表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
49/55

能ある鷹は爪を隠す3.5―Nana Konoha―

 


 どこか冷めていて、完全に諦めきった孤独を映した瞳。

 ああ、きっと私と同じだ。そう思った。



「狼谷玄くん、だよね?」



 虫の居所が悪ければすぐに手を出し、関係を持った女の子は数知れず。

 そう噂されていた彼は、実際に対峙してみると、ただの「男の子」だった。


 私は、ただ気持ち良くなりたかったんじゃない。好奇心旺盛だったからとか、年頃だからとか、そういうことでもない。

 そうすることが、一番温かみを感じられると、本当に思っていたんだ。


 同情するなら金をくれ、とはよく言ったものだと思う。

 周りの大人はみんな、私のことを「可哀想」、「何とかしてやりたい」だなんて口先では言っていたけれど、手を伸ばしてくれた人はいなかった。面倒事に巻き込まれるのは御免、とでも立証しているのか。結局人間誰だって、自分が一番可愛いんだ。



「……あのさ」



 ベッドの上。寝転んだ彼が口を開く。



「俺、あんたのこと何も知らないんだけど。理由くらい教えてくんない?」



 そう問う彼の目は、学校ですれ違い様に見た時と比にならないくらい、生気がみなぎっていて綺麗だった。

 見惚れていると、目の前の端正な顔が歪む。



「ねえ。聞いてんの」



 苛立ったような声色。でも多分、本気で怒っているわけではない。

 私は「ああ、ごめん」と軽く笑って、彼に視線を投げた。



「理由って言われてもなあ……」



 今さっき、初めて関係を持ったばかりの彼。

 どうしてしたの? だなんて、初めて聞かれた。今まで関係を持った人はみんな、始まりも終わりも呆気なくて、「どうして」は野暮すぎる。したいと思ったからした、以外に理由なんてあるんだろうか。


 現に、彼はとっくのとうに行為が終わった今もこうして横にいる。

 目的が終わったら去る、というわけではないようだ。その場限りの相手に、理由を聞くなんて変わっている。



「まあ、頼めばしてくれるって聞いたから?」



 私の答えに、彼は目を丸くして。



「……は? 誰が? 俺が?」


「君以外に誰がいるの」


「いや、初耳ってか……もうちょいマシな嘘つけよ」



 嘘なんてそんな非生産的なもの、私はつかない。見破ってくれる人もいないし。

 だとしたらなぜ、彼はこんなに驚いているんだろう。


 まさか、とは思うけど。



「ねえ、初めてだった?」


「…………だったら悪いかよ」


「あー……なるほどね。うん、分かった。ごめん」



 確かに、節々で感じてはいた。

 ぎこちないし乗り気じゃなかったし、自分は彼の好みには該当しなかったのかな、なんて。そんな呑気な方向に思考を巡らせていたけれど。


 噂は、本当にただの噂だったってわけだ。



「いやー、それはごめんね? 断られなかったし、てっきりそういうことなのかと」


「どういうことだよ……」



 自己完結した私に、彼は不服そうに眉根を寄せる。


 そっか。今までの人と違うって、もしかしたらこの人なら分かってくれるかもって、そう思ったけど。

 この人は根本的に違ったみたいだ。こっち側に来るべきじゃない人。



「……うん、ごめん。もう今後は関わらないようにするから」



 あ、したくなったら呼んでくれていいよ?

 冗談めかしてそう付け足す。それでも彼の表情は険しいままで、少し気まずかった。



「何で?」


「え?」


「関わらないって、何で?」



 純粋無垢な質問。空の青さを問われているような、そんな感覚。



「いや、俺は少なくとも前と変わらずにとか、無理だなって。てかこんなことしておいて今更じゃね?」



 初めてって、そう。確かに、私もそんな風に思った。

 でも違った。想像よりもずっと呆気なくて、期待なんてしちゃだめだと学んだ。



「……期待、しすぎだよ」



 男の子のくせに。

 やめてよ、勘違いしちゃうから。君だって、穢れていったらいつか分かるよ。こんなろくでもない私、通過点だって、過ぎ去って行くのが正解だって。



「別に。期待なんてしねえよ」



 上半身を起こした彼が、背を向けて吐き捨てる。


 それ、だ。その背中。

 遠巻きに見ていて、この人を構成する中にとんでもない寂しさがあるって、そう確信した。だからこそ手を伸ばしたくなって。


 いま目の前の背中は、「寂しい」と。訴えかけてくる。



「……うん。私も」



 期待なんて、しない。

 やっぱり君は似ている。引き摺り込みたくないって思うのに、こっちに来て欲しいって、強く願っている自分がいた。


 結局、関わらずにはいられないのは私だった。

 玄は決して手放しに優しいとは評価しがたい人だったけれど、私が夜中に電話を掛けても怒らずに話を聞いてくれたし、泣きついて愚痴を零しても、黙って隣にいてくれた。



「ねえ、玄。私だけ? 私だけ、だよね?」



 行為中に取った言質なんて、意味はない。それを痛いほど分かっているはずなのに、確かめたくて仕方なかった。



「……うん」



 日に日に彼が遠くなっていくように思えて、それでも玄は私を突っぱねなかった。


 他の子としていても、笑っていても。私が泣いて電話を掛ければ来てくれたから、きっと私を優先してくれるんだって。





***





「玄と別れてくれない?」



 端的に要望を突き付ければ、丸い瞳が僅かに揺れた。


 いま玄と付き合ってるっていう、女の子。

 玄は今まで明確な彼女をつくってはこなかったけれど、女側が勝手に「彼女だ」と声高に言っていたのは何度もある。



「あれ、聞こえなかったかな。玄と、別れて欲しいんだけど」



 今回も例外ではなく、ただ噂が大きくなってしまって、取り消すにも取り消せなくなったんだろう。

 玄は優しい。それに、結構面倒くさがりだ。成り行き任せに、味見のつもりで遊んでいるのかもしれない。



「えっと、無理です」



 私を見据えて固い声を出した彼女に、ふうん、と内心鼻で笑ってしまう。


 いかにも真面目ちゃん。噂に聞いた通り、気弱そうで女の子らしくて、玄が一番手を出さなさそうなタイプ。

 可哀想に。自分が本気で相手にされていると思っているんだろう。



「……玄くんのこと、その……好き、なんですか?」



 思わず声を上げて笑ってしまいそうになった。


 好きなんですか、って。そんな浅い感情、聞いてどうするんだろう。

 慮るような、気遣うような口調。あくまでも自分が上の立場にいると思い込んでいるようで、癪に障る。



「うん、好きだよ。好きっていうか、玄じゃないとだめなの」



 これで満足?

 こういうタイプはきっと、「別に好きじゃない」と言った時点で怒りだす可能性があるからめんどくさい。


 好きとか、嫌いとか。そういう問題じゃなし、そういう次元じゃないよ。



「玄くんの気持ちを決めるのは玄くん本人だと思います。それに、私は彼と好きで付き合っているので……別れて欲しいと言われても正直嫌ですし、そういうこと言われるのは……ちょっと、気分良くないです」



 途切れ途切れに、いかにも頑張りました、といった様子で言い切った彼女に、思い切り悪態をつきたくなった。

 こんな短期間で玄の何を分かったつもり? 玄を自分のモノ扱い? 自惚れるのも大概にしろ、と。



「ないでしょ。玄はそんな感じじゃないし。まあ最終的に戻ってきてくれたらいいかなって思ってたから、二番目でも良かったんだけど……あなたと付き合いだしてから玄、おかしくなった」



 そう、おかしくなったんだ。これまでは彼女みたいな子がいても、私を優先してくれたのに。

 夏あたりから、玄は私に見向きもしなくなった。



「おかしくありません。仮にあなたがそう思ったとしても、それを強制するのは違うと思います」



 やけに鮮明な声が私を詰る。

 その顔にはしっかりと憤りの色が滲んでいて、ああ、これはめんどくさいな、と息を吐いた。



「思い上がってんじゃねえよ。玄が今あんたと付き合ってんのはただの気紛れ。お遊び。いずれ私のところに帰ってくるから」



 綺麗事だけで玄を理解しようとしているのなら、お門違いだ。

 影は光にはなり得ない。日陰と日向は混ざらない。彼の闇を分かち合えるのは、唯一、私だけ。



「あなたは……玄くんと、前に付き合ってたの?」


「付き合うも何も、寝たよ。私が玄にとって、一番最初の女」



 私の言葉に、目の前の空気が揺れた。

 かまととぶって、どうせしたんでしょう。そう思って放ったセリフだったのに、彼女は分かりやすく傷ついた顔をした。


 私は嘘なんてつかない。――って、もう時効でいい?



「言っとくけど。私、こないだ玄としたから」



 ねえ玄、暴いてよ。見破って。玄が見つけてくれないと、私はもう誰も拾ってくれないんだもの。





 ***





「ふあ……」



 すっかり夜も深い街中。閉店後の店から出てきた人影は、気怠そうにあくびを漏らした。



「お疲れだねえ」



 その背中が通り過ぎる直前、労いの声を掛ける。

 目の前で進んでいた足がぴたりと止まり、双眼が私を捉えた。



「……ストーカーで訴えられてぇのか?」



 絞り出された声は低く、彼の機嫌がかなり悪いと一発で分かる。



「こうでもしないと、学校では話してくれないでしょ」



 玄が最近バイトを始めたというのは、風の噂で聞いた。流石に職場の特定はすぐにとはいかなかったけれど、今こうして彼と出くわせたのだから、不可能ではないというのは明白で。



「話すことなんてねえよ」



 歩き出した彼に、私は投げかける。



「あの子には手ぇ出してないんだ?」



 再び足が止まった。振り返った彼の顔が、酷く、私を睨めつける。……ビンゴだ。


 彼女と話して、かまをかけて、違和感を覚えた。

 いくらあの子が真面目だからって、玄のやんちゃぶりを知らないわけがないだろう。私が玄とした、と言ったぐらいで動揺しないと思っていた。むしろ、自分だってした、と張り合ってくるかと思ったのに。


 私の言葉に怯えて、震えて、傷ついていた。



「……何。何でお前がそんなこと言えんの」



 玄の唸るような質問に、だって、と答える。



「あの子、私が『玄と寝た』って言ったら、可哀想なくらい動揺してたもん。ねえ、何であの子とはしてないの? させてくれなかった?」


「てめえ……」



 ゆらりと高い背が迫ってくる。

 鈍い音と共に、手首と背中に痛みが走って、顔を上げれば血走った目とぶつかった。



「羊ちゃんに何した。何言った? ああ? 全部吐けよ」



 ぎりぎりと手首を締められる。痛い、と無意識に零すと、舌打ちが降ってきた。



「お前さ。その適当な生き方、俺はまだしも羊ちゃんに押し付けないでくれる」



 あの子は違うんだよ。

 彼の口からそんな言葉が聞こえて、頭に血が上った。


 あの子は違うってなに。そんな薄っぺらいセリフ、玄に言って欲しくない。



「ね、玄……意地張ってないで、さ。戻っておいでよ」


「は?」


「私が一番なんでしょう? あんな珍味、もう十分味見は済んだでしょ? 私、もうずっと待ったよ。これ以上、待てないよ……」



 辛いの。苦しいの。もう一人は嫌。ねえ玄、お願いだから。


 そっと彼の袖を掴む。振り払われない。ほっと胸を撫で下ろして、彼の顔を見た。



「――別に。待たなくていい」



 息が詰まった。

 そこにあったのは、ただひたすらな侮蔑と嫌悪で。



『別に。期待なんてしねえよ』



 あの時と変わらない口調で、あの時よりも残酷に私を刺すアンパイヤ。



「玄、」



 玄。玄。あなたも、私を捨てるの?

 やだ。いやだ。行かないで。居場所を失いたくない。



「じゃあ……じゃあ、証明、してよ」



 自分の声は馬鹿みたいに震えていた。静まり返る空気が薄気味悪くて、必死に言い募る。



「本当にあの子が大事なら、指一本、触れないで……!」



 証明して欲しいだなんて、本当はこれっぽっちも思っていない。

 ただ、私は。彼を独占したくて、誰のものにもなって欲しくなくて。これはきっと、純粋な我儘と欲だった。



「いいよ」


「え――」


「その代わり、分かったらお前はちゃんと身ぃ引いてくれんだろうな?」



 確固たる視線。私は何かを、決定的に踏み外したんだと悟った。



「答えろ。誓えよ。俺が証明して見せたらその時は、線引きできんだよな?」



 呆然と黙り込む私に、彼はスマホを取り出すと、催促するように告げる。



「お前、上手くつけてきたつもりだろうけど、ばればれなんだよ。そんなにパトカー乗りたいんなら、乗せてやらなくもないけど」



 彼の指が動く。一、一、〇――



「わ、分かった! 分かったから……!」


「何が」


「ちゃんとする、もう変なことしない……」



 物々しい視線は、留まることを知らずに。



「時効は」


「え……?」


「いつまでって、聞いてんだよ」



 いつまで。ああ、そうか。

 永遠じゃない。終わりがあるんだ。玄はもう、とっくのとうに――。



「……クリスマス、まで」



 吐き出した息が白く濁る。ぐんと下がった気温も頬を撫でる風も、全部が冷たくて痛い。


 惨めだ。今の私は、物凄く、惨めだ。

 期待なんてしない、そう決めたのは誰? 分かっていたくせに、もしかしたらなんて、結局期待して。


 誰かに寄りかかるのはもうやめたい。絶望の淵を歩いている方が、ああ生きてたんだって、まだそう思える。

 分かってるよ。やめたいよ。こんな自分、私が一番大嫌いだ。



「玄。その日、少しでいいから……会いたい。本当に少し。それで、最後にするから……」



 顔は見ることができなかった。どんな負の感情を向けられているのか、確かめるのが怖くて。


 返事はない。

 俯いた視界の中、彼の足が離れていく様だけが強く濃く、焼き付いた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ