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朱に交われば赤くなる1

 


「羊。困ったことがあったら、一人で抱え込まずに相談するんだよ」



 昼休みの教室。

 カナちゃんは私の両手を力強く握ると、そう告げた。



「え? ええと、どうしたの急に?」



 あかりちゃんはといえば、慈悲深い眼差しをこちらに向けている。


 二人のただならぬ様子に引き攣った笑みを浮かべていると、カナちゃんが切り込んできた。



「今朝、狼谷くんと一緒だったでしょ。大丈夫? 何もされてない?」



 ようやく合点がいって、ああ、と天井を仰ぐ。


 狼谷くんの方は朝から女の子たちに質問攻めされていたけれど、私は特に何も聞かれなかった。

 というよりも、気を遣って誰も聞いてこなかったのだと思う。



「脅されてたりしないよね? 弱み握られた?」


「物騒だなあ……」



 ぐっと身を乗り出して問うてくるあかりちゃんに、苦笑してしまう。



「だってびっくりするでしょ。ドジでおマヌケで可愛いうちの羊が、あの問題児と登校してくるんだもん」



 ん? なんか私、馬鹿にされてない?

 肩をすくめるあかりちゃんを横目に、私は紙パックのイチゴミルクを啜った。


 問題児、とはよく言ったものだ。

 確かに狼谷くんとまともに話せるのは津山くんぐらいだろうし。



「いやぶっちゃけ、狼に捕食された羊の図だったよ。あれは」



 羊、なんか腰引けてたしね。

 そう付け足して、カナちゃんはお弁当箱を開けた。



「狼谷の周りの女子くらいだよ、キャーキャー騒いでんのは。他はみんな羊のこと可哀想……同情してると思う」


「可哀想って聞こえたな?」


「そこは気のせいだと思って流してもらえると嬉しい」



 ごほん、とあかりちゃんがわざとらしく咳払いする。


 いかにも人生充実してます、といった風貌の女の子たちは、いつも狼谷くんや津山くんの側にいる印象だった。


 それ以外の女子と男子は、触らぬ神に祟りなし、我関せず、といった感じ。

 やっぱりどこか怖いイメージが拭えないのだと思う。



「あの女どもが持ち上げるからいい気になるんだわ。あんなんちょっと顔がいいだけの、ただの不良でしょ」


「ちょ、あかりちゃん……! 聞こえる! 聞こえるって!」


「聞かせとけ聞かせとけ」



 散々言って満足したのか、あかりちゃんは椅子にもたれかかって食事を再開する。

 私としては、本人の耳に入って怒らせてしまうんじゃないかと気が気でない。



「まー、心配しなさんな。ないとは思うけど、もし陰湿な嫌がらせにでも遭ったら私たちが蹴散らしに行くから」



 非常に頼もしい申し出だったけれど、私はゆるく首を振った。



「大丈夫だよ。狼谷くん、想像してたよりも普通の人だったから」


「普通の人って……羊の中で元々どういう位置付けだったのよ彼は……」



 呆れたようにカナちゃんがウインナーを口に運ぶ。


 それと、と私は微笑んだ。



「私、狼谷くんと友達になったから、大丈夫だよ」



 前に女の子に質問されていた時、彼は私のことをクラスメイトだと言った。

 だけど、今朝は友達だと。そう答えたのだ。



「友達? 何その不穏な感じ……契約とかじゃないよね?」


「ごめんだけど私もそう思ったわ。取引でもしてんの?」



 未だに訝しんでいる二人に、どうしたものかと首を捻る。



「真面目な羊があんなのとつるんでたら、みんな心配するって。そのうち授業さぼりだしたら笑えないからね」


「あはは、それはないよ。授業聞かないとテスト大変だもん」



 あかりちゃんは至って真面目に諭すけれど、結局友達とはいえ委員会の時くらいしか関わりはないし。



「あー、そっか」



 カナちゃんが唐突に呟く。



「ヒツジがオオカミに食べられることばっかり考えてたけど、ヒツジが噛み付くことだって有り得るよねえ……」







 だからつまり、狼谷くんを羊が更生させればいいんだよ。


 昼休みにカナちゃんが放った言葉が、脳内でぐるぐると回っていた。


 更生って、そんな大袈裟な。

 私が何か施したところで、昨日みたいに彼を怒らせてしまうだけのような気がする。


 それに、彼には彼なりのポリシーとか、こだわりとか、そういうものがあると思う。

 私が「違う」と思ったものでも、彼にとってはそれが正解なのかもしれなくて。



「あ、あのっ、白さん!」



 帰りのホームルームが終わって教室が騒がしい。


 考え事をしていた私は我に返って、声の主を振り返った。



田沼たぬまさん? どうしたの?」



 彼女が話しかけてくるなんて珍しい。

 田沼さんはとっても真面目で、休み時間はいつも読書に勤しんでいる。



「あの、その……」


「うん?」



 少しずり落ちた眼鏡をくいっと上げて、田沼さんは口ごもった。

 彼女は抱えていた日誌を私に差し出すと、そのまま勢い良く頭を下げる。



「すみません! 代わりに日誌を書いてもらえませんか!」



 そんな大きな声出せるんだ!?

 思わず驚いて目を見開いた。完全にクラスの視線を集めてしまって、羞恥に心拍数が上がる。



「た、田沼さん顔上げて! みんな見てるから!」



 慌てて彼女の両肩を掴み、半ば強制的に上体を起こす。



「日誌、書けばいいんだよね?」


「い、いいんですか……?」



 私の問いかけに眉尻を下げて、田沼さんは安堵したように息を吐いた。


 今日の日直は田沼さんと霧島きりしまくんだったはず。

 軽く教室内を見回しても霧島くんの姿は見当たらないし、もう部活に行ってしまったのかもしれない。



「助かります! 本当に、すみません……ありがとうございます……」



 ぺこぺこと何度も頭を下げて、田沼さんは足早に教室を出て行った。

 何か急用があったのかな。そうでもないと真面目な彼女が頼み事をするなんて滅多にない。


 文字を書くのは嫌いじゃないから、日誌を書くのもそんなに苦じゃなかった。

 幸い、今日はちゃんと見たい番組を録画してきたから急ぐ必要もないし。


 掃除当番がほうきや雑巾を持って教室掃除を始める。

 私は日誌と鞄を持って、廊下に屈んだ。



「あれ、羊。帰らないの?」



 カナちゃんが歩み寄ってきて、私の腕の中に視線を落とす。



「今日、日直だったっけ……?」


「違うよ。ちょっと頼まれたんだ」


「ふーん……じゃあ私も手伝うよ。黒板消してくるね」



 あまりにも自然な流れで言うものだから、「うん」とつられて返してから急いで振り返った。



「えっ、カナちゃん!? ごめん、大丈夫だよ! 私やるから!」


「いーよいーよ、どうせ一緒に帰るし。早く終わらせてアイスでも食べに行こ!」


「うう〜〜〜ありがとう〜〜〜」



 優しさが身に染みる……。

 有難く黒板はカナちゃんに任せることにして、私は日誌を進めた。


 ――と、これが昨日の出来事で。



「お願いします、白さん!」



 その次の日、私は田沼さんに頭を下げられていた。

 物凄いデジャブだ……とおののきながら、私は差し出された日誌を受け取る。



「えーと、今日も代わりに出しておけばいいかな?」


「本当に! 助かります! すみません!」



 そして脱兎のごとく駆けていく彼女も昨日と同じだ。


 カナちゃんは私の手から日誌を取り上げると、ぱらぱらとめくって肩をすくめた。



「また頼まれたの? 二日連続はさすがにどうかと思うけど」



 日直は一週間ごとに変わる。今日は水曜日で、ちょうど折り返しだ。

 霧島くんも相変わらず見当たらないし、少し参ってしまう。



「うーん……田沼さんに限ってめんどくさいからとか、そういうのはないと思うんだよね……」



 私の言葉にカナちゃんも「まあ確かにね」と頷いて、それから首を傾げた。



「ていうか、いつの間に田沼さんと仲良くなったの?」


「え? 昨日初めて話しかけられたよ?」


「……初絡みで頼み事って。意外としたたかなのかね、彼女」



 そんな論評をして、カナちゃんはそのまま日誌を抱えた。



「今日は私が日誌書くよ。羊は黒板お願いね」


「え! 今日も手伝ってくれるの……?」


「当たり前でしょ〜。ほら、早く終わらせるよ」



 ぽんぽん、と背中を叩かれて、冗談抜きに涙が出るかと思った。

 持つべきものは友達だ……と謎に緩んだ涙腺を引き締めて、私は黒板に向かった。


 ――とまあ、これがここ二日間の振り返りだ。


 もしかして? ともはや若干期待していたまであるかもしれないけれど、今日も今日とてそれは起こった。



「すみません、白さん……本当に、申し訳ないです……」



 木曜日。今日は委員会があるから、できれば頼まれたくなかったというのが本音。

 だから、私はささやかに意見を述べた。



「えっと、私今日委員会があって……他の人に頼んでもらってもいいかな?」



 私がそう言うや否や、田沼さんは顔を上げて詰め寄ってくる。



「そ、そんな! あ、いや……ごめんなさい。でもお願いします、白さんじゃないとだめなんです……!」



 そんなこと言われても。

 私じゃないといけない理由がさっぱり分からないけれど、何だか彼女はとても必死だ。



「お願いします、お願いします……!」


「えーと……」



 そこまで頼み込まれてしまうと、断りづらい。

 まあきっと何か訳があるのかな。仕方ないか。


 諦めて日誌を受け取り、私は苦笑する。



「私はいいんだけどね。カナちゃんも一昨日から手伝ってくれてるから、田沼さんからもお礼言っておいてね」


「えっ……!」



 途端、彼女は硬直して泣きそうな顔をした。


 その様子に違和感を覚えながらも、時計を見て鞄を抱え直す。



「じゃあ、私行くね」



 ちょっと不憫だけど、話を聞いてあげられるほど時間がない。


 私はそのままの足で委員会に参加して、今回も無事に終えた。



「じゃあまた明日ね、狼谷くん。お疲れ様」



 狼谷くんはやっぱり優しかった。

 どこが、と聞かれれば答えるのは難しい。でも初めて会話を交わした時よりも、棘が抜け切ったような感じがする。



「……それ、まだ書いてないよね?」


「え?」



 彼が指しているのは、委員会の方の提出物だ。

 そういえば、狼谷くんはいつも私がこの場で書き上げるのを見届けてから帰っていた。



「あ……えっと、日誌と一緒に出しに行こうと思って。日誌もまだ書き終わってないから、教室で作業しようかなと……」


「日誌?」



 狼谷くんは眉根を寄せて、僅かに首を傾げる。

 綺麗な黒髪が、さらりと揺れた。



「羊ちゃん、今日日直じゃないよね?」


「えーと……うん。ちょっと、頼まれて」


「また?」


「ま、また……?」



 びっくりして、聞き返してしまった。

 何で狼谷くんが知ってるんだろう。カナちゃんくらいしか知らないと思っていた。



「昨日も黒板消してたじゃん。めちゃくちゃ背伸びして」


「あはは……見られてたか……」



 よりによって情けないところを。

 頬をかいてぎこちなく笑ってみせると、狼谷くんは立ち上がる。



「あ、えっと、お疲れ……」



 軽く手を振った私に、彼は「何言ってるの」とため息をついた。



「羊ちゃんも行くよ。教室でやるんでしょ」


「……えっと?」


「日誌。書いてて。俺はこっち書くから」



 とんとん、と狼谷くんが指先で委員会のファイルを叩く。

 言葉の意味を理解して、私は勢い良く立ち上がった。



「わっ、えっと、ごめん! そんなつもりで言ったわけじゃ……」



 遠回しに手伝ってと言ってるみたいに聞こえたかもしれない。

 弁解しようと拳を握る私に、狼谷くんは背中を向けた。



「別に委員会のに関しては、俺の仕事でもあるでしょ」



 行くよ、と今度こそ歩き出した彼を、急いで追いかける。


 ちょっぴり申し訳ない反面、優しくしてもらって嬉しかったり。


 結局、狼谷くんの方が早く書き終わって、私が日誌を書いている間に黒板も消してくれた。



「狼谷くん、ありがとう」



 黒板に向かう背中に、私は投げかける。


 やっぱり几帳面なんだと思う。

 白い筋が残らないように、力強くゆっくり黒板消しを下ろす動作。すごく丁寧で、真面目な人の消し方。



「黒板消すの、上手だね」



 日誌を書き終わって、狼谷くんの横からひょっこり顔を出した。

 彼は私を見下ろすと、小さく笑う。



「……なにそれ」



 小学生かよ、と返した狼谷くんに、こちらも頬が緩んだ。


 不思議だ。ほんとに全然、怖くない。

 少し前は怖くて仕方がなかったのに、今は平然と横に並ぶことができる。


 笑うとえくぼができて、ちょっとだけ幼くなる。

 この顔を見てしまったら悪人には見えないんだ。



「私、狼谷くんの笑った顔好きだなあ」



 ぽろっと、零してしまった。


 自分でも「言ったっけ?」と疑うほど自然に口に出していて、かち合った視線に戸惑う。



「……あっ、えっと……」



 急に恥ずかしくなって、一歩後ずさった。

 すると、狼谷くんはその一歩を詰めてくる。


 彼の右手が伸びてきて、反射的に目を瞑った。



「粉、ついてる」



 そんな言葉と共に頭を軽く撫でられて、首をすくめる。


 狼谷くんは腰を落として私の顔を覗き込むと、少し寂しそうに言った。



「ごめん。……俺のこと、怖い?」



 再び合った視線に、息を呑む。



「何もしないよ。もう、あんなこと言わない」



 そう付け足して、彼はぽんぽん、と私の頭をたたいた。

 手の平が温かくて、思わず目を細める。



「羊ちゃんは、大事な友達だから」



 心のこもった言葉だった。誠実で、嘘偽りのない清廉な空気。



「――ちょっと、どういうこと?」



 その場に緊張の色を落としたのは、女の子の刺々しい声だった。


 狼谷くんと二人で振り返ると、開けっ放しのドアのところで、腕を組んでいる女の子が数名。



「何で玄まで一緒にいんの? 話と違うんですけど。ねえ、田沼」



 その呼びかけに、女の子たちの後ろで縮こまっていた田沼さんが、悲鳴のような返事をした。



「はいっ! ごめんなさい……ごめんなさい……」



 まさか、と嫌な汗が背中を伝う。



「あなたたちが、田沼さんに指示していたんですか……?」



 私がそう問うと、三人いたうちの一人が、「何のこと?」と口を開いた。



「あんた直接頼まれたでしょ、田沼に。私たち何も関係ないけど?」



 いや、それにしては登場の仕方が悪役すぎます……。

 サスペンスドラマだったら三十分ともいかず終わってしまいそうなクオリティだ。



「サイテーだね田沼、わざわざ仕事押し付けて。そんなに恨みでもあったの?」



 けたけたと笑い転げる女の子たちに、呆気にとられた。

 すっかり俯いてしまった田沼さんを見据え、私は踏み出す。



「な、何?」



 突然近付いてきた私を訝しむ女の子たちの中に割り入って、田沼さんの目の前で立ち止まった。

 そして彼女の顔を覗き込み、笑いかける。



「田沼さん、ありがとう」


「…………え?」


「おかげで私、狼谷くんとちょっと仲良くなれた気がする!」



 そう言い切ると、田沼さんは顔を上げて、眼鏡の奥の瞳を大きくした。



「い、いやあー、実は? うちらが田沼にお願いしたんだよね! ちょっとお節介かもだけど、いいきっかけになるんじゃない? って!」


「そ、そうそう! ね、上手くいって良かったよね〜……」



 傍らにいた女の子たちが、口々にそう言い始める。

 私は「へえ、そうだったんだ」と返して背筋を伸ばした。



「でも、そういうのは直接確認してもらってからの方が嬉しいな」


「あ〜……次から気を付けるわ……」


「うん、お願いね」



 そそくさと背中を向けていく女の子たちを見送って、田沼さんと顔を見合わせる。



「つ、白さん……ごめんなさい……」


「えっ、田沼さんが謝ることじゃないよ! なんかごめんね、色々巻き込んじゃったみたいで……」



 望んで狼谷くんと同じ委員会に入ったわけじゃないけれど、やっかみを買うのは不可抗力なのかなと思っていたから。


 頭を下げる彼女の肩を叩いて、私は呼びかけた。



「サエコちゃん」


「え――?」


「せっかく同じクラスなんだから、他人行儀なのやめよう? 私のことは羊でいいよ」



 ありがとう、と泣き出しそうな声の彼女に、私は不謹慎だけど少しだけ吹き出してしまった。

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