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惚れた病に薬なし7

 


「そっちビニール手袋足りてるー?」


「この食券なに!? 何でここに落ちてんの!?」



 生徒会進行の開祭式が終わり、舞台は各教室。開始一時間ほど経った今、まさに戦場だった。


 文化祭初日は生徒や先生のみで、明日は一般公開となっている。

 今日でこれだけ慌ただしいとなれば、明日は一体どうなってしまうんだろう。少し不安ではあるものの、準備はしっかり行ってきたので大丈夫だと信じたい。



「あ、白さん! 今この波終わったら休憩行ってきていいよ!」


「うん、ありがとう」



 九栗さんがこちらに物を取りに来て、振り向きざまに声を上げる。


 男子五人ほどとお金のやり取りをし、食券を渡したところで、カナちゃんと約束通り休憩をとることになった。

 あかりちゃんはシフトの時間の都合上噛み合わなかったので、部活の子たちと他の教室を冷やかしに行くらしい。



「もう普通にお昼どきだよねー。先に何か食べようか」



 パンフレット片手にぼやくカナちゃんの提案に頷き、私も周囲を見渡す。

 ちょうどお化け屋敷をやっている隣のクラスの人と目が合って、ちょっとだけびっくりした。血糊がリアルだ……。



「羊は食べたいのある?」


「うーん……和食が食べたい……」


「和食って」



 苦笑したカナちゃんが、「うちのクラス甘い匂いしてるから気持ちは分かるけど」と付け足した。


 私たちのクラスはカフェというだけあって、ワッフルやドーナツ、シフォンケーキなど、軽食を扱っている。

 去年は飲食じゃなくて展示発表だったから、先輩たちのクラスに行って甘いものもかなり食べた。



「あ、ここいいじゃん。ライスバーガーだって。和食かどうかは微妙なラインだけど」



 悩んで貴重な時間を削るのも勿体ないということで、結局そこに落ち着いた。

 幸い物凄く混雑しているというわけでもなく、カナちゃんと二人で教室内の飲食スペースに腰を下ろす。


 イベント特有の喧騒を流し聞きしながら、軽く味の感想を言い合いながら。穏やかに食事をしていたところで、カナちゃんがぎこちなくお茶を口にした。



「……ほんとに良かったの、あれ飾っちゃって」



 私は一瞬返答に迷って、「うん、まあ」と視線を落とす。


 あれ、というのは、犬飼くんが描いた作品のことだった。

 彼の詳しいその後は分からないけれど、退部したことは部長の口から部員みんなに伝達された。カナちゃんとはあの日以降、特にそのことについては触れていなくて、何となく今日まで黙っていたのだ。



「あれの仕上げを羊がやるっていうのがまあ、何とも皮肉だけどさ……」



 彼の作品に描かれていたのは、端的に言うと「天使」だった。瞼を閉じ、両手を組み、何かを祈る天使の絵。


 ほぼ完成まで出来上がっていたその仕上げを、部長は私に委託してきたのだ。彼の面倒をみていたから、という理由だったけれど、確かに妥当だとは思う。


 せっかくだから彼の作品も展示しよう、という話になったのは、心優しい部員たちにとってはきっと当然の流れだった。カナちゃんは最後まで渋い顔だったけれど。



「……でも、私も犬飼くんの作品に向き合ってて分かったんだけど、絵を描くことは本当に好きだったと思うんだよね」



 優しい筆遣いや、対象を見つめる真剣な目。それは確かに見受けられたし、絵を描いている時の彼が私は一番印象に残っている。


 流石にちょっと、いやかなり、驚かされたことはあったんだけれども。芸術とか音楽とか、アーティスト気質の人は変わったタイプが多いと聞くし、彼も例外ではなかったのかな、とか思ったり。



「とりあえず何事もなくて良かったよ。持ってるのが筆じゃなくて包丁だったら、流石の私も怖くなっちゃうからさ」


「そ、それはないんじゃないかな……」



 若干物騒な比喩におののきつつ、頬を引き攣らせて相槌を打った。



「羊はさ」


「うん」


「あの時、怖いから泣いてたんじゃないよね?」



 カナちゃんの質問に、私は顔を上げる。



「いや、もちろん怖いのもあったんだろうけどさ。なんていうか、むしろ犬飼くんの方がズタズタだったから」



 この子は本当にすごいなあ、とため息をついてしまった。

 正直、怖さで泣いたことはあまりない。ホラー映画を見ても心臓は縮むけれど、それだけだ。



「ちょっと腹が立ってしまって」



 俯いて小声で言うと、カナちゃんが呆けたように繰り返す。



「……腹が、立った?」


「なんか……だって犬飼くん、ずっと私の意見聞いてくれないんだもん。違うって言っても逆ギレされるし、もう困っちゃって」



 あそこまで話が通じない人とまともに議論を交わしたのは初めてで、思わず愚痴のように零してしまう。


 カナちゃんは黙って私の言い草を聞いていたかと思えば、突然大声で笑い出した。



「いや――ほんと、肝据わってるわ……飽きないねえ羊は……」


「え? ごめん、何か私変なこと言ったかな……」



 あと付け加えるとすれば、散々狼谷くんを馬鹿にされて頭に血が上っていたというのもある。正直に言おう。結構いらいらした。



「何となくだけど、一番怒らせたらだめなの羊な気がする」


「えっ、全然そんなことないよ!? 怒鳴ったりしないから!」


「うん、いや、分かってるんだけど。知らないうちに切り捨てられてそうで」



 そんな酷いことしないんだけどな……。これからはすぐ感情的にならないように気を付けよう。


 つと視線を上げると、教室の外に津山くんを見かけて「あ」と声が出た。私の様子に、カナちゃんも振り返る。


 彼の隣には可愛らしい女の子が二人、いや三人だろうか。相変わらず人気なんだなあ、と視線を戻そうとしたところで、息が詰まった。



「ねえ玄、機嫌悪くない〜? 顔怖いんだけどお」



 津山くんの後ろ。女の子が声を掛けたのは、狼谷くんだ。



「……まじでうるさい。触んな」



 彼の腕を掴もうとした女の子の手を払い、低い声が拒絶する。その言動に、私は胸の奥がズン、と鉛を落とされたかのように重くなった。


 今のはちょっと、見たくなかったなあ。

 自分に言われているわけでもないのに、無駄に傷を負ってしまった。


 ひどーい! と甲高い女の子の声が耳に届いて、意図せず眉根に皺が寄る。


 その後、さっきまでいらないと言っていた甘い物を大量に買った私に、カナちゃんは黙って着いてくるだけだった。





 ***





「お疲れ様でしたー!」


「売り上げ上々! 打ち上げは焼肉で!」



 学級委員二人の朗らかな労いに、いえーい、と歓声が上がる。

 文化祭二日目も無事に終了し、教室内は花が咲いたように盛り上がっていた。


 あとは後夜祭を残すのみで、今は待機しながら後片付けを行っている。


 文化委員としては、円滑に文化祭が終わったことが何よりも安心だ。ようやく慌ただしい毎日から解放されるのかと思うと、本当に涙が出る。


 鼻歌交じりで作業したいところだけれど、浮かれた気持ちをぐっと堪えた。……つもりでも、体はすっかり気を抜いていたらしい。



「いっ……!」



 がんっ、と割と生々しい音を立てて、教室のドアに額をぶつけた。引き戸の溝に少し躓き、抱えていた段ボールに気を取られていたのだ。


 思わず壁に寄りかかり、数秒項垂れる。

 結構痛かった……いやでも、コケてたんこぶできたとか、情けなさすぎて死ねるかもしれない……。



「大丈夫?」



 じんじんと頭の中を駆け巡る痛みに耐えていると、背後から声が飛んできた。

 途端、心臓がエンジン全開で稼働し出す。



「あっ……え、狼谷くん……」



 まさか彼からお世辞でも心配の言葉が聞けるとは思っていなかった。ただでさえ話すのが久しぶりだというのに、それがこんな内容で本当にやるせない。



「結構打ったでしょ。冷やした方がいいよ」



 数歩近寄って私の額を見た狼谷くんが、至極冷静に言う。



「保健室行こ」


「えっ、」



 反射的に顔を上げ、彼の発言に驚いていた時だった。



「岬」



 狼谷くんは私に背を向けて津山くんを呼ぶと、当たり前のように告げる。



「羊ちゃん保健室に連れてってあげて。手当てお願い」



 ――ああ、なんだ。

 がっかりしている自分に唇を噛む。当然だ。狼谷くんが付き添ってくれると一瞬でも思ってしまったのが馬鹿みたい。


 津山くんは困惑したように私と狼谷くんを見比べた後、渋々といった様子で立ち上がった。



「……白さん、行こうか」



 珍しく眉尻を下げて笑う彼に、困らせているな、と。心底申し訳なくなる。



「うん。……ごめんね」



 手間を取らせてごめんね、なのか。板挟みにさせてしまってごめんね、なのか。

 実に曖昧な謝罪で誤魔化して、私は津山くんの背中を追いかける。



「ほんと、白さんってやっぱり天才だと思うんだわ」



 いつぞやかのように私に保冷剤を手渡した津山くんは、振り返って肩を揺らした。



「高校生にもなってたんこぶって……コケてぶつけるって……」


「津山くん……」



 傷口に塩を塗りこまないで欲しい。


 保健室に着いて早々、保健委員の彼は手際良く手当てをしてくれた。それは非常に有難い。

 そして多分、暗い顔をしている私をそれとなく励まそうとしているのも、何となく感じ取れた。


 普段通り明るく振る舞う津山くんは、近くの椅子に腰を下ろす。



「玄と何かあった?」



 変わらぬトーンに、少し滲む心痛の響き。



「ごめん。俺、遠回しに聞くのとか苦手だからさ。嫌なら全然無理して話さなくてもいいよ」



 はは、と気遣わしげに笑った彼の眉尻が、また下がった。


 今更津山くんに取り繕ったところで、全部バレているんだろう。

 小さく息を吐き出してから、私は瞼を閉じる。



「……私、どうしたらいいか分からなくて」



 ううん、嘘。言いたいのはそんな中途半端なことじゃない。

 だって自分でも分かってるはずだ。このまま距離を保って狼谷くんと接するのが正解なんだって。


 でも、私は。それじゃ耐えられなくなってしまった。



「狼谷くん、もう私には笑ってくれないから……ほんとは、ちゃんと割り切らなきゃいけないって思うんだけど」



 津山くんがじっとこちらを見つめている。



「でも、私……もう、辛い。このまま半年以上も我慢しなきゃいけないんだって思うと、」



 文化委員の任期が終わるまで。クラス替えするまで。

 もし来年同じクラスになったらどうしよう。卒業まで私は、この気持ちを引き摺らなきゃいけないんだろうか。


 まずい、泣きそうだ。こんなところで泣くわけにはいかない。津山くんだって困ってしまう。


 息を止めて懸命に感情を飲み込む。

 そうしていると、津山くんが「あー……」と唐突に頭を掻いた。



「これ俺の口から言ったらフェアじゃないと思うんだけど……いやでも何が悪いって、言葉足りてないあいつが一番悪いんだけどさー……」



 と、しばらく呟いた後で、



「玄ね、もうかなり前から女の子と連絡切ってるよ。今は白さん以外、誰とも連絡取ってない」



 そう、言った。



「……誰とも」


「うん、誰とも」



 何で。だってそんなの、一言も言ってくれなかったじゃない。この間も昨日も、女の子と話してたじゃない。


 狼谷くんにとって、恋愛ってそういうものなんだって。好きとか告白とか、彼にとってはそこまで大きいものじゃないんだなって。


 出会ってから今までずっと、彼の影には女の子がいた。

 どんなに私に甘い言葉を吐いたって、優しく触れたって。それは決して愛しいからではなくて、ほんの戯れのようなものなんだと。

 彼が「本命」を作ることはないと言っていたから私は、必死で自分を律していたというのに。


 もし、そうじゃないのだとしたら。



「白さん!?」



 もし彼の今までの言動が全て本意で、あの日の言葉も心の底からのものだったんだとしたら。



「ごめん津山くん、ありがとう!」



 最初に切り捨てたのは私じゃないか。最初から決めつけて、狼谷くんの気持ちにちゃんと向き合っていなかったのは、全部全部、私の方だった。


 保健室を飛び出してひた走る。



『好き』



 見ていたくせに。聞こえていたくせに。

 苦しそうな表情も、震える声も、何一つ疑う余地がないくらい、本物だったのに。


 ただの自己防衛だ。自分が傷付くのが怖いだけだった。

 本当に好きになってしまったら、彼の優しい手を信じてしまったら、いつか「本命じゃない」と言われてしまうのが怖かったから。


 だから彼はそういう人だと予防線を張って、逃げ続けた。



『俺、羊ちゃんが好き』



 ごめん、ごめん――本当にごめん、狼谷くん。

 結局私は、自分が一番可愛いだけだった。



「はあ……」



 教室に着くや否や、視線を左右に振って辺りを確認する。

 先程よりもどこか騒がしい空気に、違和感を覚えて首を捻った。窓際に張り付いて外を見ている人がやけに多い。



「あ、九栗さん」



 近くにいた彼女の肩を叩いて、私はせっつくように問うた。



「どうしたの? 何かあったの?」


「あ、えっ、白さん! おでこ大丈夫?」


「大丈夫! 外に何かあるの?」



 早口な私に目を瞬き、九栗さんは頷く。



「ええと、今さっき他校の人が乗り込んできてね……狼谷くんの知り合いだったのかな? 何か外に出てっちゃったよ」



 彼女の返しに、私は窓際まで駆け寄った。

 玄関と校門の間。まばらではあるけれど、人だかりができていた。



「あ、羊。戻ってきた。派手にやったね〜、痛かったでしょ」


「ごめんあかりちゃん! また後で!」



 横をすり抜けた私に、「え、ちょっと!」と焦ったような声が追い縋る。



「危ないよ! 下で狼谷と他校の男子、殴り合いしてるから!」



 あかりちゃんの忠告を振り切って、私は廊下を走った。


 もう迷わない。もう何も、怖くない。

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