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魚心あれば水心3

 


 バレーボールが軽やかに宙を行き交う。

 その行き先を目だけで追いかけながら、私は自分の両膝を抱え込んだ。



「やっぱりこないだのNステ、最高だったな〜! 新しい衣装めっちゃかっこよかった!」


「あー、でもちょっと露出多くない? 可愛さで売ってる私の推しにはセクシーすぎた気がするわ」



 カナちゃんとあかりちゃんが横で座り込み、話に花を咲かせる。


 午後の体育は眠気覚ましになってちょうどいいと思うけれど、あいにく私は運動神経が良くない。

 さっきも顔面でパスを受けて、みんなの爆笑をかっさらってしまった。



「あ、男子の試合白熱してるね。向こうはバスケかぁ」



 カナちゃんの言葉につられて顔を上げると、仕切りのネットの向こう側ではバスケの試合が行われていた。



「男子の試合って迫力あるからついつい見ちゃうよね」


「分かる。スポーツやってる時、何であいつら三割増でかっこよく見えるんだろ」



 靴が床を擦る音に、ドリブルの振動。

 走り回る男子たちはみんな汗だくで、顔つきも凛々しい。


 その中で一際目を引くのは、素早い動きでボールを運んでいく津山くんの姿だ。

 そういえばバスケ部だったっけ、と首を捻る。



「玄! 頼んだー!」



 津山くんが声を張り上げてボールを手放す。

 ゴール下にいた狼谷くんの手の平にボールが吸い寄せられて、彼が放ったシュートは綺麗な弧を描いた。



「――しゃっ! ナイスー!」



 ぱん、と小気味良いハイタッチが鳴り響いて、審判が笛を吹く。


 その一連の流れを見ていた女子たちといえば、惚けたように顔が緩んでいた。



「さすが二年三組の二大イケメンだわ……絵になるぅ」


「ちょっと今の腹チラ! やばくない!?」



 そのうちテレビでアイドルを拝まなくてもいい時代が来るのかもしれないな……としょうもないことを考えていると。


 狼谷くんが突然コートから抜けて、先生の元に駆け寄った。

 そして何か一言二言交わした後、先生は顔をしかめ、振り返って戻っていく狼谷くんは険しい表情だ。


 何だろう?

 コートに戻った狼谷くんに、津山くんが声をかける。

 狼谷くんは首を振って、それからまた試合が再開した。


 しばらく眺めていたけれど、何かおかしい。


 狼谷くんの様子が明らかに変だ。

 動きが緩慢で、ずっと眉間に皺を寄せている。



「はーい、ではそこまで。一旦休憩にします」



 女子担当の先生が手を叩いて指揮をとった。

 今日は二時間連続で体育の時間割だ。



「私、タオル取ってくるね」


「はいよー。いってら〜」



 体育館を出ると少し涼しくて、空気も爽やかな気がする。

 更衣室で軽く汗を拭ってから、廊下の水飲み場に向かった。


 先客がいたらしい。

 男子が一人、思い切り背中を丸めて蛇口を捻っている。水を飲むというよりも、水を浴びているという方が正しい。


 あれだけ走っていたら水浴びしたくもなるよね。

 僅かな同情を抱えながら、私も水を飲もうと蛇口に手を伸ばした時だった。



「……狼谷くん?」



 少し顔を上げた拍子に、彼だと分かった。


 私の声に反応して、狼谷くんが上体を起こす。



「ああ――羊ちゃんか」



 そう返した彼の顔色が悪い。元々白いのに、更に血の気が引いている。



「狼谷くん、大丈夫……じゃ、ないね」


「大丈夫だよ」



 どこが!

 目も何となく虚ろだし、かなり憔悴している。


 私は狼谷くんのジャージの袖を引っ張りながら言った。



「保健室行こう! そんなんでまた動いたら倒れちゃうよ!」


「大丈夫だって」


「全然大丈夫そうに見えないよ!」



 一体何の意地を張ってるんだろう。

 大変失礼なことを申し上げると、今更授業を休んだところで彼の成績には大差ない気がする。


 押し問答を続けていると、狼谷くんは突然深々とため息をついて私の手を払った。



「羊ちゃん、もういいって。うざい」



 手を払われたこともそうだけれど、はっきり拒絶の言葉を告げられたことに酷く驚いた。

 怒っているというよりも、蔑んでいるような、そんな冷たい視線が私を刺す。



「ほんとにやばかったら適当にさぼるし。放っといて」



 余計なお世話だ、干渉するな。

 そんなメッセージがひしひしと伝わってくる。


 私は数秒立ち尽くして、今度は狼谷くんの腕を引いた。



「え、ちょっと。何?」



 私の行動が予想の斜め上をいったのか、狼谷くんは踏ん張りがきかずにそのまま数歩引き摺られる。



「何って、保健室行くんだよ」


「は? だから、いいって……」



 心底不愉快そうな声色で彼が抵抗する。

 そして私の腕を思い切り振り払うと、「あのさ」と唸った。



「いい人ぶってんのか恩売っておきたいのか知らないけど、まじでそういうのいらない。迷惑」



 真っ直ぐぶつかる視線に、思わず怯む。

 獰猛だし、物騒だし、やっぱり穏便にはいかなさそうだ。


 狼谷くんはおもむろに前髪をくしゃりとかきあげて、苦々しく笑う。

 小馬鹿にするような、意図的に貶めようとするような笑い方。



「言っとくけどこれ、ただの寝不足と貧血。昨日遅くまで『お友達』と遊んでたの。ちょっと激しかったから疲れちゃってさ?」



 羊ちゃんには刺激強すぎたかな。

 そう言いつつ目を細めてこちらを見る彼に、私は息を吐いた。



「……そっか。じゃあ尚更ちゃんと休んだ方がいいんじゃないかな?」



 わざとらしく屈んで私に視線を合わせていた狼谷くんが、その姿勢のまま固まる。

 私は彼の頬を軽くつついて、肩をすくめた。



「すっごく顔色悪いよ、見ててしんどくなるくらい」



 あまりにも頑なだから、確かにこれ以上は本当に余計なお世話になってしまうかもしれないけれど。



「自分の体を一番労ってあげられるのは自分だけだからさ。昨日頑張った分、今日はお休みあげてもいいんじゃない?」



 ね? と苦笑して彼の瞳を覗き込む。

 狼谷くんは呆気に取られたように私を凝視していた。



「……あ、じゃあ私戻るね」



 未だフリーズ状態の狼谷くんにそう声をかけて、私は足早に体育館へ戻った。





 ***





 まずい、遅刻する!


 バスを降りてから、私は必死に走り続けていた。


 そもそも起きたのがいつもより遅かったけれど、少し急げば十分間に合う時間だったはずで。

 それなのになぜこんなに全力疾走する羽目になったかというと、二度にわたって忘れ物をしたからだ。


 家を出て五分ほどでスマホを忘れたことに気付いて慌てて取りに帰り、その後バス停まで行ってから財布を忘れて取りに帰った。


 結局、ギリギリ間に合うかどうかの瀬戸際を攻めるような時間帯のバスに乗らなければならなくなってしまった。



「はー……セーフ……」



 校門をくぐったところで、堪らず膝に手をつく。

 何とか五分前に滑り込んだ。


 息を整えながら下駄箱に向かうと、そこには今まさに外靴から上靴に履き替えようとしている狼谷くんがいた。


 目が合って、意図せず肩が跳ねる。


 彼はふわりと相好を崩すと、昨日の冷酷さが嘘のように、随分と優しい声を出した。



「羊ちゃん、おはよう」


「あ、えっ、」



 まともに笑いかけられて、たじろいでしまう。

 真正面からこんなにしっかり笑顔を見るのは初めてで、文句なしにとびきりかっこ良かった。



「お、おはよう……」



 散々走って風に煽られたけれど、髪の毛ぼさぼさになってないかな。

 そんなことが気になって、私は前髪を押さえながら挨拶を返す。



「あ、えっと……具合はもう大丈夫……?」



 恐る恐る聞くと、狼谷くんは頷いて目を細めた。



「うん、もう平気。ありがとね、昨日」



 こくこくと馬鹿みたいに何度も首を縦に振る。

 彼の表情も声も優しくて、咄嗟に返す言葉が見つからなかった。


 昨日のはなかったことにしろってことなのかな? それとも、本当はまだ怒ってるけどこうして接してくれているんだろうか?


 考えても答えが出るはずはない。

 一人で首を傾げる私を横目に、狼谷くんは歩き出す。



「羊ちゃん、急がないと。遅刻するよ」


「あっ……うん!」



 そうだった、チャイム鳴る前に教室入らないと遅刻だ!


 慌てて靴を履き替えて、狼谷くんを追いかける。



「珍しいね、こんな時間に登校するの。寝坊?」


「わ、忘れ物しちゃって……」


「なに忘れたの」


「スマホとお財布……」



 はは、と隣から笑い声が上がった。



「おっちょこちょいなんだ、羊ちゃんって」


「たまたま! 今日だけだよ!」



 私の反論に、狼谷くんは「はいはい」と肩を揺らす。


 その後、二人揃って教室に入った私たちは、好奇の目を向けられて。



「ねえ玄! あの子と付き合ってんの!?」



 そんな女の子たちの追及に、狼谷くんはなんてことないように宣ったのだ。



「違うよ。友達」



 と。

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