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濡れぬ先の傘1

 


 私は何か、粗相をしてしまったんだろうか。

 そんなことをぼんやり考えながら、目を伏せる。



「白さん、大丈夫?」



 坂井くんの声で我に返った。

 私は「ごめん、大丈夫だよ」と苦笑して、止まっていた手を動かす。


 今日は夏休み前、最後の委員会だ。


 結局、狼谷くんがどうしてあんなに苦しそうな顔をしていたのかは分からなかった。


 テストが終わって勉強を見てもらう必要がなくなったから、彼と話すきっかけも然り。


 それどころか、狼谷くんはあの日以降学校に来ていなかった。

 先週の金曜日、彼の酷く傷ついたような目を見て、それからもう一週間が経つ。


 狼谷くんはいつも何だかんだ委員会には来てくれていたから、今日ももしかしたら。

 そう期待していたけれど、彼はとうとう現れなかった。


 だから今日こうして、坂井くんが代わりに出席してくれている。



「それよりありがとうね。坂井くんも色々忙しいのに……」


「いやいや気にしないで」



 欠員は代理を出さなければいけないというのを知って、私は非常に焦っていた。

 あたふたしている様子を見兼ねてか、坂井くんが親切に「俺が行こうか?」と申し出てくれたのだ。


 学級委員の彼も同じ時間帯に集まりがあるのでは? と思ったけれど、学級委員は通常の委員会とは少し違う位置づけだから、月に一度の集会でいいらしい。



「それにしても、変だよね」



 ぽつりと、坂井くんはそう零した。



「あの時の様子からして、わざわざ距離を取るようなこと、しそうにもなかったのに」


「……え?」



 彼にしては珍しく、掴みどころのない話し方だ。

 何か考え込むように腕を組んだ坂井くんは、ちらりと視線をこちらに寄越す。



「白さん。これは俺の勝手な憶測でしかないけど、狼谷を助けられるのは白さんしかいないと思うんだよ」



 助ける、とはどういうことだろう。狼谷くんが学校に来れなくなった理由と、何か関係があるんだろうか。



「坂井くんは、分かるの? 狼谷くんが来なくなっちゃった理由が……」


「そこまでは分からないよ。少なくとも体調不良ではないだろうけどね」



 肩をすくめる坂井くんに、曖昧に頷く。


 私も何となく感じてはいた。

 きっと、彼が来ないのは具合が悪いからとか、そういうことじゃないんだと。

 確証はない。ただ単に、そんな気がしただけ。



「……変な話しちゃったね。ごめん、聞かなかったことにして」



 坂井くんはそう言うと、以降は口を閉ざしてしまった。


 委員会を終えて、先生に報告しに行く。

 再度「ありがとう」と坂井くんに頭を下げてから、彼と別れた。


 人気がすっかりなくなった廊下を歩きながら、窓の外を眺める。



「あれ、雨降ってる」



 そういえば午後から降るとテレビが教えてくれていたようないなかったような。

 今日の朝は慌てていたから、よく覚えていない。



『羊ちゃん』



 僅かに開いた窓から入り込んでくる雨音。

 なぜか思い出された彼の声に、きつく目を瞑る。


 たった一週間、彼に会っていないだけなのに、会話を交わしたのが随分と昔のように感じた。


 やっと仲良くなれたと思ったのに。せっかく学校に毎日来てくれるようになったのに。

 本当に、彼はどうしてしまったんだろう。



『羊ちゃん』


「羊ちゃん」



 やけに鮮明に名前を呼ばれた気がして、ゆっくりと瞼を持ち上げる。


 相変わらず雨は容赦なく降り続いていて、雫が壁に打ち付けられる音が耳朶を打った。

 それなのにクリアに聞こえた声。


 何だかおかしいな、と首を傾げていると、再びその声が私を呼ぶ。



「羊ちゃん」



 先週ぶりに聞こえた、その声が。

 想像ではなくて現実のものなんだと、そう告げた。


 振り返ると、そこには髪と制服がしんなりと濡れている狼谷くんがいた。



「良かった。まだ、いた」



 どうやら走ってきたらしい。

 苦しそうに肩を上下させながら、彼は大きく息を吐き出す。



「……狼谷くん、」



 もしかして、委員会のために来てくれたんだろうか。

 ひょっとすると体調が優れなくて、今になってやって来たのかもしれない。



「だ、大丈夫? 風邪引いちゃうよ。傘ささずに来たの?」



 タオルでも持っていれば良かったんだけれど、今はハンカチしか手元にない。

 慌ててポケットから取り出して、彼の顔をそっと拭う。


 狼谷くんは虚をつかれたように固まって、しばらくはされるがままだった。

 すると突然、私の手をハンカチごと掴んで目を合わせてくる。



「か、狼谷くん……?」



 悩ましげに細められた目が、じりじりと焦がすように私を見つめている。


 狼谷くんは眉根を寄せて固く目を閉じると、縋るように私の手に頬擦りをした。

 その動作に、訳も分からず心臓が跳ねる。



「あの時も、こうだったよね」


「え?」



 開いた彼の目が、また私を捕まえた。

 さっきのように迷いのある色とは違って、そこにあるのは充足感に満ちたような、それでいてどこか飢えているような、そんな色だった。



「俺がぶたれた時も、羊ちゃんはこうやってくれた」



 その言葉に、ようやく理解する。


 たぶん彼が言っているのは、狼谷くんが女の子にビンタをかまされていた時のことだろう。



「あの時は保冷剤が冷たくて気付けなかった。羊ちゃんの手、こんなに温かいんだって」



 掴まれた手に、一層力が加わった。


 狼谷くんは口元を緩めると、酷く優しい笑顔で言う。



「俺はずっと、羊ちゃんに『ありがとう』って言いたかったんだ。俺を助けてくれて、ありがとうって」



 不意に坂井くんの言葉を思い出す。



『狼谷を助けられるのは白さんしかいないと思うんだよ』



 何が何だか分からずにいたけれど、私はどういうわけか既に狼谷くんを助けていたらしい。



「そ、そんな、大袈裟だよ。あの時はたまたまいただけだし、冷やしただけだし、それに……」


「ううん。嬉しかったよ」


「え、あ……」



 何だろう、いつもより狼谷くんが輝いて見える。笑顔が眩しいというか。

 目尻をふにゃりとさせて、蕩けたような笑い方をしないで欲しい。


 それに、普段より饒舌だし、言葉の選び方がストレートな気がする。


 私の手をゆっくりと下ろさせると、狼谷くんはそれを両手で握り直した。



「羊ちゃん」


「は、はい」


「あのさ。連絡先、交換しない?」



 唐突な提案に、呆気に取られる。



「え? い、いいけど……どうして、」


「これから夏休みだし、今みたいには会えないから。寂しいなと思って」


「さ、寂しい」



 思わず繰り返してしまった。

 破壊力抜群の単語に、頭が沸騰しそうだ。


 狼谷くんはそんな私の様子に、少し困ったような顔をする。



「……羊ちゃんは、俺の唯一の女友達なんだ」



 突然告げられた言葉に、私はひたすら首を捻った。


 そんなことは絶対にないと思う。

 この期に及んで嘘をつかなくても、と口を開きかけた時、



「他の女の子は、みんな俺のこと『そういう対象』としてしか見てないから。一緒にいて純粋に楽しく笑っていられるのは、羊ちゃんだけなんだ」



 悲しそうに笑う彼に、口を噤んだ。


 大勢の人から好意を寄せられるというのも、大変なことなのかもしれない。

 彼は色恋沙汰のもつれなどない、純粋な友情を望んでいたのか、と腑に落ちる。



「そ、そっか……」


「うん。だから、時々メッセージ送ってもいい? 夏休み中も、どっか遊びに行こ?」


「えっ」



 まさかそこまで発展するとは。

 声を上げてしまった私に、狼谷くんは途端に表情を曇らせる。



「……だめ? 迷惑?」


「め、迷惑だなんてそんな……!」



 とんでもない。むしろ私と遊びに行って楽しいのかな、と不安になる。


 目に見えて落ち込む狼谷くんに、慌てて言い募った。



「大丈夫だよ! 全然大丈夫! 私で良ければ遊びに行こう……!」


「ほんと?」


「うん、ほんと!」



 ぎゅっと彼の手を握り返すと、狼谷くんは破顔する。



「……嬉しい。ありがとう」



 う、と喉の奥から変な声が出そうになった。


 こんな間近でイケメンの眩しい笑顔を見て平然としていられるほど、私の心臓は丈夫にできていない。



「羊ちゃん、顔赤いよ。大丈夫?」



 俯いた私を追い込むように、狼谷くんはそう問うてくる。

 逃れたくて顔を背けると、耳元に吐息がかかった。



「ここも、真っ赤……」


「ひゃっ」



 囁かれるのはだめだ。なんかもう、だめだ。

 頭が真っ白になって、ぐずぐずになってしまいそうだから。



「可愛い声」



 そう言って愉しそうに目を細めた狼谷くんは、私の頬を撫でた。

 彼の手が冷たくて気持ちいい。



「か、狼谷くん……!」


「うん?」


「帰ろう! 送るから! 傘は持ってるから!」



 どうにかこの雰囲気を打開したくて、私は声を張る。



「……そうだね。帰ろうか」



 頷いてくれた狼谷くんに、ほっと胸を撫で下ろした。



「ごめんね、折りたたみ傘だから小さいけど……」



 玄関で傘を開きながら謝ると、彼はなぜか嬉しそうに首を振る。



「いいよ。ほら、濡れちゃうからもっとこっちおいで」


「わっ……」



 肩を引き寄せられて、心拍数が上がっていく。

 俺が持つよ、と私の手から傘を奪った狼谷くんは、隣で終始ご機嫌のようだった。

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