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朱に交われば赤くなる6

 


 毎週木曜日は委員会で、週に一回狼谷くんと話すのがいつもの流れ。

 それが、先週から月曜日と金曜日は狼谷くんに勉強を見てもらう日になった。



「最初狼谷くんに勉強見てもらうって聞いた時は何の冗談かと思ったけど。まあ無事に続いてるみたいで良かった」



 前の席に座り私の手元を覗き込むカナちゃんは、心配してくれていたらしい。


 未だに彼女の中では「狼谷くん=野蛮」というイメージが拭えないようなので、こまめに近況報告をするようにしている。


 机の上には自分のノートと、狼谷くんのノート。

 家で勉強する時に参考にしたいと言ったら、快く貸してくれたのだ。



「へー。白のノート綺麗だなー」



 突然にょきっと顔を出したのは、隣の席の霧島くんだった。

 彼の目が捉えているのは狼谷くんのノートで、私は咄嗟に口を開く。



「あ、こっちは狼谷くんのノートなんだ。すごく綺麗で分かりやすいよね」


「えっ、そうなの? あいつちゃんとノート取ってんだ〜」


「霧島くんが取らなさすぎなんだよ……」



 部活の朝練のせいなのか、それともただ単にやる気がないだけなのか。

 彼はいつも隣で気持ちよさそうに授業中机に突っ伏している。



「ちょっと俺にも貸してくんない? 今回のテストまじでやばいんだよ〜」


「え、えーと……狼谷くんに聞いてくるね」



 そう返して立ち上がったはいいものの、教室内で狼谷くんに話しかけるのは初めてだ。

 正確に言えば初めてではないけれど、大体委員会の前に「行こうか」と軽く言葉を交わすだけ。あとは朝タイミングが合った時に挨拶するくらいだ。



「狼谷くん」



 眠たそうに頬杖をついていた彼に、横から声をかける。



「どうしたの」



 狼谷くんは意外そうに眉を上にあげて、こちらに体を向けた。


 彼の近くの席の人から視線が飛んでくる。

 いくら同じ委員会とはいえ、やっぱり私と狼谷くんが二人で話すのは珍しい絵面なんだろうな、と他人事のように考えた。



「えっと。霧島くんがね、狼谷くんのノート貸してくれないかって」


「ふーん……別にいいけど」


「ありがとう」



 それだけです、と手を合わせて踵を返す。



「羊ちゃん」



 背中から呼び止められて振り返ると、狼谷くんは至極真面目な顔で続けた。



「俺、今週理科室の掃除当番だから先に図書室行ってて」



 うん、彼は何一つおかしなことは言っていない。

 分かってる。分かってるけど……



「羊ちゃん?」



 返事のない私に、狼谷くんは訝しげに眉根を寄せる。


 何だろう。最近狼谷くんが可愛く見えてきた。

 噂であんなに凶暴だって言われているのに、掃除当番を真面目にこなすのがちぐはぐすぎる。


 不真面目になりきれないヤンキーみたいで、何だか微笑ましい。



「うん、分かったよ」


「何で笑ってんの」


「……笑ってないよ?」



 嘘つき、と不服そうにしながらも、狼谷くんはその後少しだけ口角を上げてみせた。



「あとでね」


「うん。今日もよろしくお願いします」


「……先生、は?」


「あ、よろしくお願いします、狼谷先生」



 どういうわけか、狼谷くんはこの間から「先生」と呼ばれるのにハマったみたいだ。



「従順すぎるよ、羊ちゃん」



 彼はそう笑うけれど、楽しそうだから良しとする。





 ***





「そこで大丈夫だよ。ありがとう」



 理科準備室にノートを運び終え、その言葉に私は小さく息を吐く。


 帰りのホームルームの後、学級委員長の坂井(さかい)くんは先生に雑用を託されていた。

 彼は「ちょっと手伝って」と近くにいた私に声をかけてきたのだ。



「どういたしまして」



 坂井くんとは全然話したことがないけれど、委員長というだけあって、真面目で温厚なクラスメートだ。

 誰とでも気軽に話せてしまうし、周りをよく見ていると思う。



「白さん。一つ、聞きたいことがあるんだけどいいかな」



 ノートの並びを整えていた私に、坂井くんは突然そう言った。



「え、な、何?」


「最近よく狼谷といるけど、二人って仲良いの?」



 一体何を聞かれるんだろうと思えば。

 思いがけない質問に、うーんと首を捻ってしまう。



「一応友達、かな」


「そうなんだ。……あのさ、悪く思わないでほしいんだけど」


「うん?」


「狼谷とつるむのは、やめた方がいいと思うよ」



 はっきりとした物言いに、少したじろぐ。


 流れる空気が不穏になったのを察したのか、坂井くんは「あーごめん、違う」と難しい顔をした。



「なんていうのかな。狼谷には狼谷のテリトリーがあるっていうか……白さんみたいに真面目な子がわざわざ関与しなくてもいいんじゃないかなーって」



 そこまで言われて、私はようやく彼の意図を理解する。


 たぶん坂井くんは私のことを心配してくれているんだ。

 彼は委員長だし、クラスのみんなのことを見守るお父さん的な、そんなポジションでもある。



「白さんが狼谷に脅されてるんじゃないかとか、いいように使われてるんじゃないかとか、そういう風に思ってる人もクラスにいるみたいだから」


「そんなこと……!」


「いや、何もないならいいんだ。ごめん。余計な心配だったね」



 眉尻を下げて弱々しく笑った坂井くんに、私は首を振る。


 彼は視線を逸らして頭を掻くと、ゆっくりドアの方へ歩き始めた。



「ほら、文化委員もじゃんけんで決めたわけだし……免れた人は安心してるけど、白さんのこと心配してもいると思うんだよね」



 そう話しながら坂井くんはスライド式のドアを開ける。



「……え、」



 彼がドアの横に顔を向けたまま固まった。

 その様子を訝しみながらも、私は彼の視線の先を追う。



「狼谷くん……」



 気だるそうに壁に寄りかかり、両手をポケットにしまい込んだ状態の狼谷くん。

 彼の切れ長の目が動いて、私たちを捉えた。



「あー……狼谷、その――」


「羊ちゃん。もう図書室行ける?」



 坂井くんが歯切れ悪く呼びかけるも、狼谷くんはそれを気にとめていない。



「うん……行けるよ……」



 どうして彼がここに、と思った直後に、そういえば理科室の掃除当番だったなと思い出した。


 いつからいたんだろう。もしかして坂井くんとの会話が聞こえてたんだろうか?

 そうだとしたら、狼谷くんは一体、今どんな気持ちで――。



「坂井」



 狼谷くんのその声で我に返る。



「心配しなくても傷一つつけないから、安心しろ」


「え――」


「行くよ、羊ちゃん」



 唖然と立ち尽くす坂井くんにそう言い放ち、狼谷くんが私の手を引く。


 それに素直に引っ張られながらも、私は狼谷くんの胸中が気になって仕方がなかった。







 三十分以内にこの五題解いて。


 図書室に着いてから、狼谷くんはそれしか言葉を発していない。

 目の前の課題に集中しようと努めたけれど、どうしても彼の様子が気になってしまう。


 それに何だか、物凄く見られている気がする。


 やりづらさを覚えていると、おもむろに狼谷くんが席を立った。

 少しだけほっとして肩の力が抜ける。


 三問目に取り掛かろうとしたところでつと視線を上げると、狼谷くんのスマホが机の上に無防備に置かれていた。

 瞬間、その画面がパッと明るくなる。



『誕生日おめでと! 今度また遊んで〜』



 メッセージがポップアップで表示された。

 反射的に目を逸らしたものの、見てしまったことには変わりない。


 でも、それよりも。



「狼谷くん、今日誕生日だったんだ……」



 知らないのは当然といえば当然だけれど、居心地の悪さを覚えてしまう。


 何より申し訳ないのは、そんな大切な日に私の勉強に付き合ってもらっていることだ。

 もしかしたらこの後に予定があったりするんだろうか。だとしたら早く終わらせた方がいいんじゃないだろうか。


 悶々とそんなことを考えていると、狼谷くんが帰って来た。

 彼の手には数学の教科書。どうやら教室に取りに行っていたようだ。



「あ、おかえり……」



 手を動かしていないことを悟られないように、私は努めて笑顔で言った。



「ただいま」



 律儀にそう返した狼谷くんは、特にこちらを不審がる様子もなく腰を下ろす。


 どうしよう。このまま普通に見てもらっていいのかな。

 早く帰りたいなら正直にそう言ってもらった方がいいんだけれど……。



「どうしたの」


「えっ」


「そんなに俺のことじっと見て。分かんないとこあった?」



 無意識のうちに凝視してしまっていたらしい。

 私はぶんぶんと首を振って、「大丈夫!」と背筋を伸ばした。



「ごめんね、じろじろ見て……」



 いけない。

 とりあえずこの問題を一秒でも早く解いて、なるべく早く狼谷くんを解放しないと。



「……別にいいのに。前も言ったじゃん、羊ちゃんは俺のこともっとちゃんと見て」


「あ、えと、そうだよね……気を付けます……」


「ん。俺から目離したら許さないからね?」



 じ、と私の瞳の奥を覗き込むような狼谷くんに、思わず身を引いてしまう。


 ずっと見ていると吸い込まれてしまいそうな。

 彼はたまに、そんな目をする。



「か、狼谷くん、あのね」


「ん?」


「せっかく見てもらってるのに申し訳ないんだけど、今日はちょっと早く帰ってもいいかな……」



 目の前の小さなブラックホールから逃れるように、私は早口でそう述べた。



「用事?」


「あ、うん、そうなんだよね……」


「……そっか。分かった」



 僅かに思案するような表情を見せた後、狼谷くんは落ち着いた声色で了承する。


 私は急いで問題を終わらせて、狼谷くんに採点をお願いした。



「羊ちゃん、ここ。これも。展開間違ってる」


「え!」



 最後の方、ちょっとやっつけで終わらせちゃったもんなあ……反省。

 早く終わらせたいという思いとは相反して、結局懇切丁寧に解説してもらうことになってしまった。



「あ、時間大丈夫?」


「ええと……そろそろ、かな」


「じゃあここで終わろうか」



 言いつつ狼谷くんが片付け始める。

 罪悪感を抱きながらも、私も教科書をしまって帰り支度を始めた。



「もう少しで模試だけど、大丈夫そう?」



 学校を出て歩きながら、狼谷くんがそう問いかけてきた。

 私は拳を握って声を張る。



「狼谷くんのおかげで英語の長文はだいぶましになったよ! 数学はまだ危ないけど」


「それは良かった」



 ちょうどバス停に来たところで、狼谷くんは立ち止まって軽く手を挙げた。



「じゃあね。気を付けて」


「あ、狼谷くんは自転車?」


「ううん。歩きだよ。家近いから」



 そんな会話の往復をしていると、信号を通過してバスが来た。

 彼の方に視線を投げる。



「ほら、早く乗りな。じゃあね」



 手を振った彼が背中を向けた。一歩、二歩、遠ざかっていく。


 これでいいんだろうか。釈然としないまま、一日が終わってしまっても。


 ――ううん。やっぱりだめだ!



「狼谷くん!」



 地面を蹴った。

 夕方の空気を肺いっぱいに吸って、その背中を追いかける。



「狼谷くん! 待って!」


「……羊ちゃん?」



 振り返った彼に安堵して、私は立ち止まる。


 後ろでプシュー、とバスの発車する音が聞こえた。



「どうし――」


「お誕生日おめでとう!」



 ここ一週間で最も大きい声を出したかもしれない。

 勢い任せに口に出したら、そこからはどうにでもなれ、という気持ちだった。



「ごめん! さっき狼谷くんのスマホ見ちゃって……誕生日だって分かったんだけど、言ったら変に思われちゃうから言えなくて……」



 正解なんて分からないし、考える間もなく追いかけてしまって。

 でもきっと、言わないと後悔する気がした。



「勝手に見てごめん! でも、やっぱりおめでとうだけは伝えたかった!」



 一気に吐き出して、恐る恐る顔を上げる。


 狼谷くんは分かりやすく驚いた顔をして、それから口を開いた。



「……まさか、それだけを言いに追いかけてきたの?」


「え? う、うん……」


「バス逃してまで? 用事あるのに?」


「あっ、用事はないよ! 大丈夫!」



 私の答えに、狼谷くんはますます不思議そうに首を傾げる。



「えっと、狼谷くん、他の人との約束とかあるのかな? と思って。遅くまで私に付き合ってもらうの悪いから……」


「それでわざわざ嘘ついたの?」


「ごめんね……」



 こういうの余計なお世話って言うんだよね、知ってる……。


 最終的に全部バレたというか、白状してしまったし、嘘をついたことは申し訳ない。



「…………なに、それ」



 低い声が耳朶を打った。

 狼谷くんは俯くと、乱暴に頭を掻いて唸るように呟く。



「あー、何だよそれ……まじか……」



 ただならぬ彼の様子に、私は固まった。


 怒った? 怒らせちゃった?

 確かにスマホを勝手に見た時点で有罪だし、そのうえ嘘もついたし、一発くらい殴られても文句は言えない。


 普段比較的柔らかい話し方をする狼谷くんだけれど、今の彼はすごく「男の人」らしいというか、少し乱暴な口調だ。



「あの、狼谷くん、ほんとにごめんね……」



 せっかく穏やかに会話できるくらい仲良くなったのに、しょうもない私の言動でチャラになってしまったのではどうしようもない。



「羊ちゃん」


「はいっ」


「用事、ないんだよね?」



 ぬらりと狼谷くんが顔を上げる。息を呑んだ。


 いつものような優しい笑顔なんてどこにもなくて、ただ真っ直ぐに私を射抜くその目に圧倒される。



「な、ないです……」


「そう。じゃあちょっと付き合って?」



 嗚呼、たぶん、拒否権はない。

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