のし
二十歳の小野寺善行は、海水浴の真っ最中だ。
海辺の町で育ったせいで水泳が得意な善行は、調子に乗り過ぎたのかもしれない。
始めから、へっぴり腰だった江守友和は、すぐに引き返した。
善行は、ちょっと後悔している。
この辺りまで来ると、うねる波のせいで、水の中のそちこちに浮かんでいる人々が、ほとんど確認できなくなる。
すぐ傍で、誰かが泳いでいた筈なのだが、波間に浮かぶ善行の目線からは、まったく見えなくなった。
(馬鹿な事をしちまった。こんなところまで来るんじゃなかった)
本当に地球とは水の惑星なのだと、今更ながら実感する。
見事な球体の表面に、海と呼ばれる大量の液体がへばりついていて、その液体は表面張力がみなぎっているのだ。
目の前はどこもかしこも海水の固まりではないか。
まあ、これは、あたりまえの事なのだが。
大いなる液体と気体の狭間に、ちっぽけな善行は漂っている。
確認できるものは、自分自身の手足のみ。
──タッポン。タッポン。
独特の音をたてて波がうねる。
(ああ、海は広いな大きいなってか)
(いいとこ見せようとして、頑張りすぎちゃったな)
立ち泳ぎで精一杯伸び上がって見た。
波間に漂う人の頭が、いくつかみえた。
(そうだ。そんなに沖へ出た訳じゃない)
浜辺では友和が、先刻知り合ったばかりの、おねいちゃんの二人連れと一緒に、こっちを見ている。
だけど三人は、踵を返して浜茶屋の方へ歩いて行くじゃないか。
(くそっ、友和め! 薄情者め! 早く帰らなくっちゃ)
善行は横泳ぎで砂浜へ向かって泳ぎ出した。
「松葉崩し」と同じ恰好の「横泳ぎ」は、何となくウププな感じがする。
例によって右手が「ギター爪」の善行は、右腹を下にした「松葉崩し」の時と同じ恰好の横泳ぎだ。
まあ、横泳ぎとギター爪は、なんの関係もないのだが。
とにかく横泳ぎは楽でいい。疲れてきたら、真夏の鮮やかな青空を見ながら、仰向け気味になって、ほにゃらほにゃらと泳げばいいのだ。
空を見ながら泳いでいると、一筋のひこうき雲が見えた。
その時、善行の頭の中のステレオのスイッチが入った。
荒井由実の曲『ひこうき雲』が鳴り出した。
この曲は本当に、ガツンと来た曲だった。
実際、この曲を聞く度に、周りの奴らにばれないように、こっそり泣いたりした。
一年ぶりで復学した善行の、最近の飲み仲間である学友達は、何故だか、ロック好きにしても、フォーク好きにしても、アンチ荒井由実が多いからだ。
「生意気そうで、鼻持ちならぬ」
と言うのだ。
「ブスで悪声だ」
とも言う。
(まあ、確かに、アイドルのように可愛くはないにしても、ちょっと酷いんじゃない?)
と思う。
しかし、こんな状態でのこの曲、『ひこうき雲』は、何だかちょっと、ヤバイ感じもする。
善行の頭を思い出がよぎる。