敏感系主人公
『マジできみ、鈍感過ぎ……』
『いつになったら本当の気持ちに気づくのやら』
鈍感系主人公が周囲の登場人物と心のすれ違いを起こすことにより、時として読者たちを悶えさせるというのなら、「敏感系主人公」がいたっていいんじゃないかと俺は思う。ビンカンって聞くとなんだかいやらしい感じがしないでもないが、全然いやらしくなんてない。むしろ、どこの誰の、どんな些細な好意のサインも見逃さない、鈍感系主人公なんかより何百倍も紳士な存在だと自負している。
食堂で事件は起こった。
「あっあの娘! さっきから熱い視線を俺に向けている。きっと俺がいま持っているスプーンに盛られたカレーライスを、あーんってしてもらいたいに違いない!」
「なわけないでしょ。特盛5キロカレー頼む奴なんてそこそこいないからね? 好奇心で見てるだけだっつーの」
「去った! 去ったぞ!! ああ、恥ずかしそうに顔を背けている……」
「あれのどこが恥ずかしそうに見えるんだよバカ」
せっかくラブロマンスの風を感じたというのに、口の悪い親友は今日も俺に対して容赦ない。
「はあ……ますますアンタの友達やめたくなってきた」
親友がげっそりとした顔で俯くもんだから、なんだかこっちまで悲しくなってきた。
「そこまで言わなくたっていいだろう!」
今まで、ゴミを見るような眼差しを向けられることは何度かあったが、最近はその冷たさになおさら拍車がかかってきているような気がする。
親友は俺を置いて、空になった食器を一人で下げにいってしまった。慌てて追いかける。
「あのさあ!」
「何」
声、こっわ……。親友はこちらを見ない。
「なんで最近そんなにカリカリしてるの? 生理前なの?」
それならば少しばかり心がささくれ立っているのも納得がいく。人によっては大変辛い時期なのだ、と姉が教えてくれた。もし親友もその類であるのならば心配だ。
俺の一言で、親友の歩みが止まった。怒っているわけでもなく、悲しんでいるわけでもなさそうに、無の境地で言い放った。
「もうアンタの友達やめる」
「…………。えええええええええええええ⁉」
再び親友は俺を置いていってしまう。俺は冷静でいられるはずもなくて、慌ててカレーライスを平らげてから、スタスタと歩く親友になんとかまとわりつく。だって、あまりにも不可解なこんな流れで、数年来の親友を失ってしまうだなんて、あんまりだ。
「ちょちょちょちょっとお! なんでなんで⁉ 俺なんかした⁉」
「うるせーゴリラ。カレーくさいから近寄んなゴリラ」
「ひどぉい!」
まあ確かに俺と親友との体格の差はゴリラとミッフ●ーちゃんで、一緒に並んで歩けばそれはもう、辛辣な白うさぎのミッフ●ーちゃんが無理やりゴリラさんを手名付けているように見えないこともないのだった。
「飼い主がいないゴリラなんて、ただのゴリラだ。ただの放し飼い勘違いゴリラに成り下がれバカ」
それでもすがりつくような俺の視線に困ったのか、親友は大きく溜め息を吐く。気がつけば食堂を抜け出して、人通りの少ない階段の手前まで来ていた。
親友は降参したかのように言った。
「もう疲れたの、アンタの勘違いっぷりに。敏感だかなんだか知らないけど」
「敏感系主人公だよ」
「はあー……。本当にもう……はあ……何言ってんだか」
親友がいかにも、という体で溜め息を繰り返すもんだから、少しイラっとした。無駄な行いであると、余計なお世話だとでも言いたいのか。
「そっちこそ、いきなり友達やめるなんて言って、『何言ってんだか』って感じだよ」
俺は挑発に乗るような口調で応戦してみた。
ところが、親友は俺を哀れな目で見つめてくるだけで、励ましの言葉まで向けてきたのだ。
「自ずと、来るんじゃないの?」
「え?」
「敏感になんかならなくったって。アンタの日頃の良い行いを見てる人がきっとどこかにいるんだから、フツーに過ごしてたらきっと彼女できるんじゃないの?」
そして、親友はなぜか自信なさげに、恥ずかしそうに付け足すのだった。
「と、自分は思うけど」
今年一番の衝撃だった。と同時に、確信したんだ。
人気のないところに俺を連れてきて、急に恥じらう、親友の真意を。
そうだ。俺はバカだった。
どうしてさっきまで気がつかなかったのだろう。どうして素直に応えてあげられなかったのだろう。
このままでは……このまま何も言わないままでは、敏感系主人公の名が廃る。
それでいいのか、俺?
駄目に決まっている。だからちゃんと、確認するんだ。彼女の意志を。
「もしかしてお前…………俺と……!」
親友はひどく動揺している。そうだ、それでいい。
確信を持って俺は開口した。
「お前、本当は俺と仲直りしたいんだろう!」
親友は驚くほど一瞬で真顔に戻った。そして「は?」とだけ言った。つられて俺も「は?」と返した。熱気が冷めて急に静まり返った。
……え、なにこの空気。
「うん、もうそういうことでいいです。じゃあまた放課後ね」
普段の親友には似合わない種類の、無理やり感半端ない笑顔でそんなことを言われてしまう。
「ええええええ⁉ 違うの⁉ 違ったの⁉」
妙に顔を赤らめていたのは、プライド高いから中々ごめんねって言いだせなくてモジモジしてたわけじゃなかったの⁉
「なんなの⁉ 敏感系主人公の推理は見事に外れたっていうのか⁉」
「うるせえな。騒ぎすぎて学校の設備破壊すんなよ。じゃあねーゴリラ」
もうすぐ3時間目が始まる。
「ああ、でもよかった」
一番大切なことに気がついて、俺は思わず胸をなでおろした。
「何が?」
興味なさそうに親友が振り返る。
「俺お前のこと大好きだからさ、友達やめないでくれてよかったーって思ったんだよ!」
俺は心から笑っていたと思う。だから親友もつられて笑ったんだ。今度こそは、こいつに似合う、あどけない笑顔で。
かと思ったら、笑顔の隅に影をちらつかせてこう言い始める。
「いつか、アンタの友達やめたら駄目なのかな」
また俺の体に衝撃が走って、その小柄な両肩に力強く手を置いてしまった。親友はビビってしまったのか、さっきのように動揺して顔を背ける。いやいや、目ぇ逸らさないで聞けよ! こっちは真剣なんだから!
「駄目に決まっているだろう! なんなのお前、情緒不安定なの⁉」
口うるさいけど、なぜか当たりが強いけれど、俺の獰猛な見た目をものともせず、普通に接してくれた。大好きな、たった一人の親友。この先俺に彼女ができようができまいが、離したくないし離れたくないんだ。
……ん?
湧き上がった自問は、次の一言でかき消されてしまった。
「言っとくけど、アンタ、ぜんぜん敏感じゃないよ」
去り際に目線を合わせて、強がりのように親友が言ったのだ。それはなんとも喩え難い複雑な笑顔だった。そしてその意味を俺が完全に理解できるようになるのは、まだまだ先のことなのであった。