部長に言いくるめられた
「どう思うかね、木村君」
広めの会議室には遠藤部長と第二課の木村課長、そして第一課の僕。もちろん、部長を呼び出して話し合になったのは僕の提案があったからだ。案の定、部長もいつまでも沈静化しないイケメンフィーバーにお手上げ状態だったらしい。美人は三日で飽きるなんて嘘だ。イケメンはいつまでたっても世界の中心だ。
急遽空いている会議室を押え、部内会議が行われた。
「まあ、早川が悪いわけではないんですよ。仕事は早いし、丁寧だし、取引先ともなかなかうまくやっています」
黒ぶち眼鏡を押し上げながら木村課長が言う。遠藤部長はため息を付いた。
「そうなんだ。本人はとても優秀だ。それなのに」
「女性陣が恐ろしいことになっておりますね」
三人で大きくため息を付いた。
「まさかあの高田君まで信者になり下がるとは……」
「信者って、なんですか?」
遠藤部長の呟きに思わず反応してしまう。遠藤部長は大いに嘆かわしいと言わんばかりに天を仰いだ。
「知らんのか。お前は課長としての職務を何だと思っているのだ」
「えええ?」
思わぬ攻撃に目が白黒なる。気の毒そうに木村課長がそっと教えてくれた。
「小林課長、課長は管理職ですよ。職場を明るく正常に管理するためには噂話もしっかり入手しておかないと。どこに地雷が含まれているか判断できませんし、ついうっかり失言して誤爆などしようものなら目も当てられません」
「え、そうなの?」
驚きの回答に目を瞬いた。そんな仕事が存在しているなんて知らなかった。
「だからお前はいつまでたっても査定が低いのだ」
まさかの評定基準に絶望した。嫁に教えてもらった流すものは流す精神ではどうやらダメだったらしい。
「これは一つ、経験を積むということで早川はお前の下につける」
「は?」
「いいですね。これを機にこの部の深淵を知っていくのがいいと思いますよ」
いい笑顔で木村課長が後押しする。
「それはひどいじゃないですか、部長!」
「上手くまとめられるようになれば、君は一段上のランクに上がれるぞ」
ははは、と豪快に笑う。木村課長もうんうんと頷いていた。
「小林課長、去年の修羅場を俺に押し付けたでしょう? いつまでも逃げているわけにはいかないんですよ」
去年の修羅場と聞いて眉根を寄せる。そんな大きな出来事があっただろうか。
「お前のそういうところがいかんと言っているのだ。我々は管理職なんだぞ。部下たちが気持ちよく能力を発揮できるようにするのが仕事ではないか。調整の一つや二つ出来んでどうする!」
「去年の修羅場はひどかったですね。浮気されたと思い込んだ奥様が乗り込んできましたから」
「ああ。包丁を見た時にはどこの肉なら被害が少ないか、真剣に考えてしまったぞ」
そう言いつつ、遠藤部長は自分のでっぷりした腹を叩く。どうやら犠牲になる個所は腹の皮下脂肪だったらしい。果物ナイフならまだしも、包丁を受けるのは無理じゃないかと密かに思う。
「包丁?」
「そうだ、ホームセンターで税込み1080円の特売品だ」
包丁、と聞いてようやく思い出した。結婚4年目の男性社員がどうやら浮気を疑われていたらしく、会社に愛人がいると思い込んだ妻が包丁を持って乗り込んできたのだ。包丁を見て社内がパニックに陥った。その日はちょうど取引先に出かける用事があり、騒動があるのを知っていたが無視したのだ。自分にかかわりがなかったのですっかり忘れていた。
「結局あれは何だったんですか?」
「あれは奥方の被害妄想だ。どうやら育児ノイローゼ気味で旦那が仕事で帰ってこないのを愛人との逢引きだと思い込んだらしい」
「はあ」
それはまた迷惑な話だ。
「何がはあ、だ。これを間に入り丸く収めたのが木村課長だぞ。あの社員はとても優秀なんだ。そんなつまらないことで手放すわけにはいかない。奥方の心神喪失が原因であるとの認識を広め、彼が嫌な思いをせずに働けるようにするためにどれほどの苦労があったことか」
「そうですね。彼はさらに集中力が高まり、今まで以上の成果をあげるようになりました」
二人の思い出話をただただ聞いていたが、部長がふうっと大きく息を吐くとぽんと僕の肩に手を置いた。
「では、よろしく頼む。是非ともこの職場を正常に戻してくれ」
マジか。それって管理職の職務を超えていないか?
いや、範囲内?
うーん、よくわからん。




