70話 優しさ。
麦と蛍の視線がぶつかるとそれは気まずいというレベルではなかった。
あっという間に辺りの空気が張り詰め、その緊張感から身を隠すように麦はすぐに蛍から視線を離した。
しかし、蛍から逃げることはできない。
麦は蛍から視線を会わせぬように目のやり場を迷わせているが、真っ直ぐな蛍の視線を全身で感じていた。
「“水野 空”……偶然にも私の父と同じ名前です……」
麦が蛍の手に持たれている手紙に目を通した時、一番に思ったのが蛍のことであった。
この“水野 空”という人物のことはわからない。
だが、この人物が蛍と何らかの繋がりがあった場合にこれを蛍に言うべきなのかを迷った。
“水野 空”が蛍と関係しているかわからない中、それを口にすることは蛍の精神を磨り減らすのではないか。
最終的に麦が出した答えはそうであったが、本当はこれは言い訳でだったのかも知れない。
手紙が届いたと同時に店にやって来た鶴巻。
見事に最悪なタイミングだった。
だからこそ、麦の心には余裕がなかったのかも知れない。
蛍の気持ちを気遣うだけの余裕がなく、蛍の為と自分に言い訳をして自分を守っていたに違いない。
「そっか……」
麦はそう一言、声を洩らすと迷った視線を蛍の瞳にぶつけた。
蛍の瞳は真っ直ぐに麦を捕らえており、逃げられる気がしなかった。
それほどまでに強い視線ではあったが、蛍の視線は怒りに支配されていることはなかった。
怒りとは別に悲しみに蛍の視線は支配されていた。
今にも瞳から溢れ落ちそうな涙がそれを物語っている。
「ホタルちゃん!?」
蛍の瞳から溢れようとしている涙を見た麦は呆気に取られた。
あまりにも意外な反応を蛍が見せたからである。
そして、その蛍の様子は麦の胸を激しく締め付けた。
どうせのことならば手紙を黙っていたことを責めてほしい、と麦が思っていたからである。
だが、蛍の気持ちはそんな麦とは反対であった。
今の麦の気持ちは自分勝手である。
蛍に責められることで許しを請おうと思っているのだから。
だが、蛍は麦に心ない言葉を吐き出そうと思う考えはなかった。
「ムギさんは……大丈夫なんですか?」
蛍が最初に思ったのは麦への心配であった。
鶴巻の件で心に余裕がない麦が自分のことで神経質になっていたのでは、と思うと蛍の心はいっぱいになった。
そう麦が思ってくれたことが麦の優しさであり、その行動が麦を象徴しているような行動である。
「……大丈夫?なんでそんなことを聞くの?」
「だって…この手紙が見た時、悩んでくれたと思うから……」
それは違いない。
麦が蛍のことを気にかけて悩んだことは違いないが、それは少し違う。
だからこそ、麦はこの蛍の優しさには胸が痛くなった。
偽善的な優しさと真の優しさ。
この2つが交わる時、偽善的な優しさは簡単に破壊されてしまうのだろう。
優しさは計算や誤魔化しでは作れない、偽物がないものだから。
「それは……」
麦は言葉を詰まらせて再び、蛍から視線を反らした。
「ムギさん、私も行って良いですか?」
それはあまりにも予想通りの一言であり、麦は驚くことはなかった。
しかし、それは同時に聞きたくなかった言葉であった。
それはどうしても聞きたくなかったのだ。
決して、蛍の為ではない。
麦は自分自身の為にその言葉を聞きたくなかったのだ。
別に蛍と一緒に行ったとしても“水野 空”を救うことに何の支障もないだろう。
だが、麦の心に余裕がないからこそ、誰かと一緒にいたくないのだ。
特に優しい人と一緒に時間を過ごすと胸が痛くなる。
「それはダメだよ」
「なぜですか?私が邪魔ですか?」
「そんなことはないけど……」
今の自分の気持ちを言い表すことができないのは麦も蛍も一緒である。
だから、話がなかなか前へ進まない。
「なら、一緒に行かせて下さい。初めてムギさんに会った時、父のことを話しましたよね?」
「うん、聞いたよ」
「私は父と会いたい。それと同時に父が何をやっていたのかを知りたい。だけど、それだけじゃないんです。……私はムギさんと一緒に居たいんです。私がムギさんを守るから……だから…一緒に……」
あまりにも懐かしい包容力。
そして、それは麦に安心感を与えたことは言うまでもなく麦は少し口元を緩めて笑みを溢した。
麦の中にも薄くなっていた切ない記憶。
その中で生きる愛しい人の姿が今の蛍と重なった時、麦の心はスッと楽になった。
「わかった、行こう」
恥ずかしそうに麦を守る、と口にして少しモジトジとしていた蛍は麦の許可の声を聞いた瞬間、姿勢を正した。
「良いんですか…?」
「もちろん」
麦の中で何が大切なのか、何を守るべきなのか。
それがわかった。
修復屋にやって来る無邪気な笑顔を見る為に麦は自身を削っているのだ。
だから、麦は歩き出した。
隣にある1つの笑顔を守る為に…。
次回の更新は1月26日(土)です!
【登場人物】
花形 麦→修復屋ウィートの修復士。
半 重春→修復屋のオーナー。
水野 蛍→蜜柑高校1年1組。父親を探している。
春下 舞火→蛍の友達。蜜柑高校の生徒。
月並 零花→病気が完治。
嵐山 轟太→学校の問題児?
嵐山 雪子→轟太の6つ下の妹。
青野 温子→ゴミ屋敷の住人。
青野 槙子→ゴミ屋敷の幽霊。
剣持 境矢→聖人?
謎の女?→浄化。
鶴巻 大也→鶴巻グループの人間。




