69話 秘密。
羽毛を身に引き付けたかのような軽い感覚。
それは当たり前の感覚であったことに蛍は気づくと同時に視線を下に落とした。
「ムギさん……」
麦と視線を合わせることなく、蛍は麦の名を口にしたがそれに対して麦はおどけた声を上げた。
「ホタルちゃん!?どうしたの?今日は1人?」
麦のその明るい声は何も気にしていないようでまるで、あの河原での会話を忘れてしまったかの様であった。
だが、それは蛍の傲慢でもある。
麦に精神的余裕がないことは麦を見ればわかる。
だからこそ、麦は今、大人の対応をしているのだ。
どれだけ、気持ちに余裕がなくても余裕を作ろうとしている。
それに比べて蛍は自身の気持ちにすがり付き、勝手に気まずさを感じているだけである。
「はい。今日は1人です」
「そっか。オレはしばらく依頼で店を空けるから時々、おやっさんの様子を見に来てあげて」
「しばらく店を……?」
麦がしばらくこの店からいなくなる。
それに寂しさを蛍は感じたが、それ以上に麦がどこへ向かうかが気になって仕方がなかった。
鶴巻のこともある。
蛍は下げた視線を上へ上げて麦と目を合わせようとしたが、その頃には麦は蛍に背を向けていた。
「じゃ、そういうことだから」
麦は蛍に手を振って背を向けるとゆっくりと歩き始めた。
その歩幅はゆっくりであるが、確実に修復屋から離れていく。
どんなに手を伸ばしても届かない場所に麦が行ってしまいそうで。
どんなに声を上げても届かない場所に麦が行ってしまいそうで、蛍は怖くなった。
当たり前の日常が消え去ること、麦がいなくなることに耐えきれなくなった蛍は言葉よりも体が動いた。
「待って…。待って下さい……」
背を向けた麦のシャツの袖を強く握り締めた蛍はその手を離そうとしなかった。
このシャツの袖を握る手を離せば麦は遠くに行く、と思っていたからである。
「ホタルちゃん……?どうした?」
麦の問い掛けに蛍は下唇を悔しそうに噛んだ。
この気持ちをなんと表現すれば良いのか蛍にはわからなかったのだ。
今の気持ちを言葉にするには言葉があまりにも少なすぎる。
そんな蛍に追い討ちをかけるように麦は言葉を掛ける。
「ホタルちゃん……?」
さすがの麦もいつもと違う蛍の様子を見て焦りを隠せなかった。
しかし、そんな麦の声に蛍が答えることはなかった。
グルグルと色々な想いが渦を巻き、蛍は声をあげることができなかったのだ。
だが、麦は蛍を払い除けなければならない理由があった。
麦の行き先は“林檎が丘町”である。
そして、この依頼に記載されていた“水野 空”という人物。
麦には感覚的に理解できるものがあり、その為、今回の依頼に関しては蛍には口を閉ざしていた。
「麦さん、どこへ行くんですか?」
蛍のその疑問が麦の胸を貫いた。
同時に麦の心を大きく揺らして、心臓の鼓動を激しくさせた。
そして、その音は蛍の耳に届いた。
「……ムギさん、焦ってますか?」
この蛍の指摘は実に的確で的を得ていた。
麦はそれに対して焦りの声を上げることしかできず、蛍の疑心を確信へと変えていく。
「焦ってないよ。それよりもどうしての?」
これは駆け引きでもある。
この会話の主導権を握ることができるかどうかにこの話の行方は決まっていく。
絶対に蛍を連れていきたくない麦と麦を離そうとしない蛍。
この両者の考えはまるで違い、そして交わることはない。
それでも両者が折れることはないだろう。
「何もないです……」
しかしながら、蛍はその性格上、強がることしかできなかった。
そして、それは麦が離れていく合図でもあった。
「そっか、じゃ、オレは行くよ」
麦は蛍に背を向けたままゆっくりと歩み始めると蛍の手は自然と離れていった。
蛍はまた後悔をしようとしている。
やって後悔することを選ぶか、やらずに後悔することを選ぶか。
蛍の答えは決まっていた。
前者である。
やって後悔する道を選んだからこそ、今、こうやってもどかしい気持ちに襲われてはいるがそれでも蛍は前者を選択した。
「ムギさん!」
ゆっくりと離れていく麦の背に声を上げた蛍は再び、麦に手を伸ばしたがその手はシャツの袖を掴むことはできなかった。
だが、それでも麦の歩みを蛍は止めることができた。
「これは……手紙?」
ふと、麦のポケットに入っていた林檎が丘町からの依頼の手紙は見事に蛍の手へと渡ってしまった。
そして、蛍はその手紙に吸い寄せられるように目を向けて、言葉をなくした。
「この手紙の名前は……」
蛍には思い当たる節があるのだろう。
手紙を目にした時から蛍のことを考えていた麦は蛍から手紙を取り返すことはせず、黙って蛍を見つめた。
蛍が手紙に目を通した後、2人の視線はぶつかった…。
次回の更新は1月20日(日)です!
【登場人物】
花形 麦→修復屋ウィートの修復士。
半 重春→修復屋のオーナー。
水野 蛍→蜜柑高校1年1組。父親を探している。
春下 舞火→蛍の友達。蜜柑高校の生徒。
月並 零花→病気が完治。
嵐山 轟太→学校の問題児?
嵐山 雪子→轟太の6つ下の妹。
青野 温子→ゴミ屋敷の住人。
青野 槙子→ゴミ屋敷の幽霊。
剣持 境矢→聖人?
謎の女?→浄化。
鶴巻 大也→鶴巻グループの人間。




