103話 武器。
奥に広がるのは闇である。
その闇の先に希望があるのかは麦にすらわからない。
このまま、階段を行けば闇に捕らわれて抜け出せなくなるかも知れない不安が麦の胸に押し寄せる。
それでも、麦は階段に掛けた足を退くことはなかった。
この目の前に延びる地下へ続く階段から目を背けたところで、麦には居場所がないからだ。
父によるカースト。
母と祖母による差別。
そして、兄と姉から送られる見下しの視線。
それら、全てが麦の心に障り、麦を追い詰めていく。
むしろ、先が見えない地下へ進むほうが麦にとっては楽なのかも知れない。
「この屋敷にこんな道があったなんて……」
幼い頃、麦は鶴巻低で迷子になったことがある。
鶴巻に仕える沢山の使用人が麦を探したが、見つけるのに半日の時間がかかった。
それだけ、鶴巻低は広く、使用人でも全てを把握できていないのだ。
幼い頃の麦は冒険をしているような気分で屋敷の中を走り回っていたが、大人へと近づく度にその楽しみは消えていった。
どこへ行っても感じる疎外感。
だから、麦は屋敷を歩き回ることは少なくなったし、あまり口を開かなくなった。
もちろん、今の麦の胸にはドキドキや楽しみなんてものはない。
この深い闇の先にある“なにか”に対する期待であったが、それは麦の本心ではないのかも知れない。
このまま、消えることができれば良い。
そんな思いを麦は心の片隅に抱いていた。
自身の存在を肯定することができなくなってしまった人間はどこへ向かうのだろうか。
今の麦のように妙な期待をして道を進むのだろうか。
今の麦のように消えたいと思っているのだろうか。
暗い海底へ進むことに躊躇いがあるのならば、それは自身を大切に思えているからだ。
何があるかわからない海底の脅威から自分を守ろうとする考えを持っているからこそ、躊躇うのだ。
しかし、麦のように自己肯定ができなくなってしまった人間は進むことに躊躇いがないのかも知れない。
暗い海底に対して恐怖があったとしても、恐らくそのまま暗い海底へ飲み込まれることに反抗しないだろうからだ。
コツコツと鳴る麦の靴は実に甲高く、機嫌が良い。
それは皮肉のようであり、暗い海底へ進むことに対して激励を送っているようである。
「うん?あれは……」
地下へと続く階段の先にあったのは1つの扉だった。
扉は鉄製であり、厳重にも感じられるが扉の下には小さな蓋がついてある。
トレーにのせた食器をちょうど通すことができるほどの隙間を蓋を開ければ作ることができるだろう。
「もしかして……」
麦はそんな扉を目にして顔を青くさせた。
父である鶴巻 賢次は大の野心家であり、何でも手に入れようとする。
それが結果的に鶴巻家の大きな繁栄に繋がっているのは事実だが、その野心は人にも向くのだ。
父の秘書を勤める女や父専属の使用人達は皆、若く綺麗な女性ばかりである。
何か使用人達が父に良い振る舞いをすれば、父は笑みを溢しながら使用人の胸を撫で、札束をばらまく。
そう、金は力であると鶴巻 賢次は語っており、それを体現している人間なのだ。
これは汚れた人間ではなく、自身の欲望に忠実なだけで本来あるべき人間の姿なのだろう。
そして、鶴巻 賢次は人を本来あるべき姿に変える“力”を持っている。
いずれ、兄や姉もその力を持ち始めるだろう。
鶴巻家は失敗作である麦を軽蔑の対象としているが、麦もそんな鶴巻家を軽蔑していた。
それは自分を受け入れない鶴巻への反抗心からきているのかも知れない。
そんな反抗心が今、形になろうとしているのかも知れない。
麦の目の前にある扉の先に鶴巻 賢次の弱みがあるとすれば、それは鶴巻家の終わりを意味する。
鶴巻ほどの大財閥のスキャンダルとなればマスコミは涎を溢すだろう。
麦にとってすればそれは反抗であり、復讐なのだ。
麦にはなんの罪もない。
それにも関わらず、愛を武器に変えて麦の心を指してきた鶴巻家は麦とってすれば敵でしかない。
誰だって、自分を受け入れてくれる場所や人を欲している。
それは“安心”を求めているため。
そんなものを全てを踏みつける場所や人に対して、敵意が向かないほうがおかしいだろう。
「これはチャンスだ……」
麦は青くさせた顔を笑みへと変えた。
鶴巻家が世間にスキャンダルを露見し、笑われることやバカにされることに対してなんの躊躇いもない。
あるいは父を脅迫することに対しても躊躇いはない。
今、麦は最高に高揚し、高ぶっている。
これ以上ないだろうチャンスに麦の扉に掛ける手は震えていた。
色々な思いが混ざり合う中で麦が真に求めるものを麦自身も忘れていた。
本当に欲しいものは何なのか。
そんなものが埋もれて、どこかへ行ってしまうほどに酷い状態なのだ。
最大の敵意が帯びた手で開けられたその扉は麦に激しい光を浴びせた…。
【登場人物】
花形 麦→修復屋ウィートの修復士。
半 重春→修復屋のオーナー。
水野 蛍→??
春下 舞火→蛍の友達。蜜柑高校の生徒。
月並 零花→病気が完治。
嵐山 轟太→学校の問題児?
嵐山 雪子→轟太の6つ下の妹。
青野 温子→ゴミ屋敷の住人。
青野 槙子→ゴミ屋敷の幽霊。
剣持 境矢→聖人?
謎の女?→浄化。
鶴巻 大也→鶴巻グループの人間。
犬川→手紙の主。
水野 空→??
槍の男→麦の命を狙う者?
鶴巻 栞菜→鶴巻 大也の妹。
鶴巻 賢次→鶴巻グループの社長。




