ちょっとお茶でも
「え? なに? ……ごめん、よく聞こえない」
ふたたび人が多く見えるようになった道で、私のつぶやきを、神宮さんがしっかりと聞いていた。
素直に驚くしかない。だって、普通にしゃべった神宮さんの声は、私には、やっと聞き取れる程度のものだったから。人混みに書き消され、全然聞こえない。私は、呟いた程度の声だったのに。
「よく、聞こえたね」
「でも、何言ってるかまでは分からなかった」
では、もう一度いってあげましょう。
「そろそろすいたかな、って言ったの」
情けない顔になる神宮さん。マンガだったら、頭のまわりにクエスチョンマーク(?)をたくさん並べられてしまうだろう。
しかし、分からないのは無理もない。あれは単なる独り言。私が本当に言おうとした言葉は、こっちだったから。
「ちょっと、お茶していかない?」
そんなわけでやってきました、某有名カフェ。全国規模のチェーン店って、すごい。こんな田舎にまであるとは……。
いや、駅前だから発展しているとはいえ、バスで30分山にのぼったら、田んぼだらけだよ? 大通りの方に行けば発展しているけれど、お店はどれもこれも敷地が大きい。それに、土地代が安いんだろうなって予想がつくくらい、上に伸びている建物が少ない。そんなところにまであるとは。
でも、高校生になったら、学校帰りに寄ることが夢だったんだけど。……ここでは、そんな夢は叶いそうにない。残念。
と、地元の人にしてみればかな~り失礼な事を考えつつ、神宮さんと、一緒にお店に入る。中はまだ混んでいた。
少し待つかな、と思ったら。
「あ、私たち、もう出ますから」
カップルと思われる2人が、そう言ってトレーを片付け始めた。
「すみません、ありがとうございます」
「いえいえ、もう出るところだったので」
にこやかに笑ったその人は、大人っぽく見えた。後ろにいる男の人も、目が合うと、にこっ、と笑ってくれた。
これは、私のもといたところではなかったことだな。あの2人が例外なのかもしれないけど……。
私はカフェモカ、神宮さんは迷った上に、紅茶にした。
「コーヒーというのは苦いの……んだろ?」
セーフ? 今のはセーフですよね、おばあちゃん!
「そうだね、お母さんにも、よく“大人の味”って言われたよ」
ちょっと飲んでみる? とカップを差し出した。恐る恐るカップを受け取って、何を思ったか、蓋を開けてマドラーで飲み始める神宮さん。
「うわっ、にがい」
思いっきり眉間にしわを寄せる。……そこまで苦かった?
「これはあけないで飲むんだよ?」
でも、よく見ると、紅茶は開けずに飲んでいる。
「でも、それ、菅野のだから」
「あ……」
気にして、くれたんだ。
「……ありがとう」
神宮さんが、あの無邪気な笑顔でうなずいた。その笑顔は、いつもよりも、ちょっと照れていて、どこか誇らしげだった。
――私もつられて照れてしまうくらい、堂々とした笑顔だった。
本当は、もう少しいたかったんだけど、そろそろバスが来る時間だ。夕飯までには帰らないと、次の外出許可が出なくなる。名残惜しいけど、仕方ない。
バス停までの短い時間、夕日を背に、2人で並んで歩いた。バス停のあたりまで来て、ふと気がつく。
さっきまでは、人混みだったから気がつかなかったけど、これだけ早い時間に、あんな田舎へ向かうバスに乗る人は、少ないらしい。だからこそ、気がつくことができたんだ。
――長い影が、2つ並んでいた。
「まるで」
そこまで言いかけて、やめる。神宮さんは耳がいいんだった。予想通り、「む?」という謎の発音でこっちを振り返る。私は、慌てて「なんでもない」とごまかす。
『まるで、恋人みたい』 ……なんて事考えてたんだろう。
“恋人”には憧れるけど、神宮さんのことは、まだそう考えられそうにもない。
なんだか、あえて突っぱねているような気がしなくもないけれど、こうにじっくりと考えてみると、素直になれないのも事実。普段、一緒に行動するときは、気がつくと神宮さんのペースに飲まれている気がするのが、少し悔しくもなるな。
仲良くなりたいと努力する私と、突っぱねたがる私がいて、天使と悪魔のようにひたすらケンカしている。
……頑固なところは、おばあちゃん譲りなのだ。