神の最後の晩餐
もう少しまともな物は無かったのか、と口に出してしまいそうだった。遺影の中でも嫌らしい笑顔で、かつ生まれつき悪い目付きの所為で、まるで弔問客全てを馬鹿にしているように見える。まあ、生きている時でも余り変わらないか。
本人はそのつもりが無かったかもしれないが、周りの人間にとって神谷甲という人物に対する印象は大体が「もう関わりたくない」だった。
それにしても弔う気持ちも失せるような憎たらしい顔だ。俺も多分に漏れず神谷に散々迷惑を掛けられた一人だが、それでも最期くらいは見送っておくかと神妙な気持ちで来てみればこれである。まあ神谷らしいと言えばらしいだろう。
神谷が亡くなったと知らされたのは今朝のことだ。
二日前の晩、俺が論文の作成に追われ、深夜まで大学の研究室に残っていると、どこで聞きつけたのか神谷がいろいろ持って現れた。
差し入れだと言いつつ自分が飲みたいだけの大量の酒を持ち込み、こっちはそんな場合じゃないと言っても全く聞かず、所構わず本やら資料を読み漁っていた。中身の意味が分かっているのかどうか、ぱらぱら捲っては放り投げ次に移っていき、片付けろというと棚に押し込みはするが位置がてんでバラバラで、最終的に後から全部仕舞い直す羽目になってしまう。
ともかく、その時の神谷は鬱陶しいほど元気であり、死ぬような言動も無かったと思う。只一つ、明け方近く、俺の作業が一段落したところで、突然神谷が「神はいると思うか」と聞いてきたのを思い出した。
正確に何と答えたかはよく覚えていないが、多分いるんじゃないのかとか適当に返事をしたように思う。それを聞いた神谷は
「そうか、神はいるのか。だとしたら、つまらん奴なのだろうな。こんなくだらん世界しか出来んくらいなのだから」
と、内容とは裏腹に、何が面白いのか大声で笑っていた。
神谷は頭のおかしい奴だったが悪いわけではなった。神谷との付き合いは小学校からで、その時神谷は所謂特別学級に入っていたが、勉強について、特に理系には相当強かったらしい。
しかし、これは正直本人の性格の問題だと思うが、その方面のいろんな研究機関に推薦、言い方は悪いが売り込もうと画策した両親や周囲の期待を悉く裏切るように、試験はふざけた解答ばかりで埋め尽くし、結局普通の中学、高校と進学した。言動はおかしいものの一応の常識はありコミュニケーションも取れるので、高校の時は単なる「変わった奴」として扱われていた。
一度、何を思ったか三階の教室の窓から飛び降りたことがある。それも普通に落ちたわけではなく、昼休みの時間、何を思ったか突然教室の外から窓に向かって一直線に走り、ハードルを超えるようにジャンプをして換気の為開けていた窓の空間に飛び込むという、なんともアクロバティックな方法だ。
幸いなのかどうか、足が引っかかり壁に伝うように落ちたおかげで勢いが削がれ、傷は多かったが腕を折った程度の怪我で済んだ。
流石にその後しばらくは入院していて、もう戻ってこないのではと思ったが、一ヶ月もしない内に何食わぬ顔で普通に登校してきた。
「あんな犬も逃げ出すようなところに閉じ込められるくらいなら埋蔵金を探していた方が100万倍マシだ」
というよく分からない感想だった。
それ以降、ここまでの突拍子も無い奇行は無くなったが、神谷はより腫れ物扱いされるようになり、誰も話しかけることはなくなり、神谷の方からはやたらと話しかけるが適当にあしらうのが唯一の対策だった。
俺と神谷は同じ学校にいる期間は長かったが付き合いがあったわけではない。ただどういうわけか俺は神谷のことを嫌いにはなれず、あまり邪険にすることなく話をすることが多かった。だからなのか、神谷もよく俺のところに来て話をした。
神谷の話は正直に言えば理解できないことが殆どだ。難しいと言うよりはどうしてそうなると言うものが多く、また本当に使われているのか疑問なほど聞いたことの無い単語をずらずら並べ立て、延々と喋り続けた挙句最初と言っていることが全く違う何てことも多い。
俺は早々に神谷の話を理解することを諦め、とりあえず気が済むまで話させることにしていた。その間に俺が宿題をしたり本を読んだりしていても、神谷は聞けとも言わずずっと喋り続けるので、部屋を荒らしたりされなければあまり邪魔でもない。
神谷の存在を除けば俺の生活は一般的以上でも以下でもなかった。今にして思うと、神谷を多少なりとも受け入れていたのは、日常の退屈さを紛らわす為でもあったかもしれない。
神はつまらん奴だと言ってから、神谷は自分の神に対する理論を話していた。たっぷり一時間は喋っていただろう。内容は二転三転して結論はやっぱり覚えていない。
その後、一通り論文の骨組みが出来たところで俺は家に帰るつもりだった。神谷にそう告げて追い出すと、腹が減ったから何かを食べに行こうと提案した。
神谷は散々酒とつまみを食べていたはずだが、確かに俺も腹が減っていたので、近くにある、珍しく早朝までやっている個人の定食屋に入った。
二人とも500円で食べれられる、日替わりの定食を注文した。その日は普通のヒレカツ定食だったが神谷的には「当たり」らしく、大層興奮して喜んでいた。
勘定を払う段階で、神谷は金が無いからお前が払えとさも当然のように言った。自分から誘ったんだろうがと腹は立つがこれも時々あることで、返ってくる確率は半々くらいだが、俺は仕方なく二人分の料金を払った。
「流石だな。これで明日も良い日が過ごせるぞ、親友よ」
何が流石なのかわからないが、神谷はそう言った。それから二人ともさっさと食事を済ませ、外に出るとすぐに神谷は去っていった。
それが生前の神谷を見た最期になる。
家に戻り、昼頃からまた大学に行った後は神谷の姿は見ていない。その日は普通に過ごして次の日の朝、知人から死んだことを聞かされた。明日も良い日が過ごせると言っていたが、死んでどうするんだと思った。
聞いた話では、俺と別れた後は家に帰ったが、昼前に外出してから行方が分からなくなったらしい。夜になっても戻らなかったので家族が探しに出ると、近くにある緑地公園の中で倒れているのが見つかった。死因は急性心不全と言っていたが、詳しいことは分からないし、あまり興味は無い。
弔問に訪れて記帳を行った時に親族の表情を伺ったが、両親も親戚も淡々と弔問客や葬儀屋とやり取りをかわしたりしていて、あまり悲しんでいる様子ではなかった。弔問客自体も多くなく、傍目には寂しいものだった。
家族以外では俺が神谷と最期に会い、会話した人間の可能性がある。一度両親とは話をしたことがあるし、何か言うべきだろうかとも思ったが、意味が無いような気がしてやめた。事件性もなさそうだし、今後聞かれることも無いだろう。
神谷家を出、少ししてから振り返る。閑静な住宅街がより一層静まり返っているようで、俺はたまらずにその場を離れた。
神谷は神にでもなりたかったのか。それとも神に文句でも言いたかったのか、つまらない世界には居られず見限ったのか。どれもありそうでどれも違う気がする。
何にせよ、神谷は逝ってしまった。これで俺の日常は少しだけ落ち着きさを増すだろう。研究の邪魔もされず、飯を奢らされることもない。
昨日食べたヒレカツ定食と、それを勢いよく食べる神谷の姿を思い出して、奢ったつもりの500円だったが、惜しかったなあと感じ始めていた。