彼の理由
ひかるがどうして私を選んだのかは未だに分からない。
彼の告白を聞いたときはなんの冗談だと思ったけれど、どうやら彼の方は至極真剣なようで、あまり気分は乗らなかったけども、申し出を無碍に突っ返すのも悪いような気がして、結局私たちは付き合うことになってしまった。
ただし、最初はあくまでお試しとして。
恋人らしいことと言えば、休み時間に少し話をするとか、帰りに寄り道して適当な喫茶店に入るとか、休日に食事に行ったりはする。
だけど逆に言えばそれ以上のことは特に何もなく、私たちはまだ手をつないだことすらない。名目上「つき合い始めて」から三ヶ月くらい経っているのにもかかわらず、だ。
客観的に見て、ひかるは美少年と呼べるくらいの顔だと思う。それに性格も悪くなく、やや細めだけど勉強もスポーツもそれなりにこなす真面目な優等生で、人から好かれるタイプだと思う。
当然教師達にも受けはよく、そしてそれ以上に同級生や後輩の女の子達にも好かれている。見たことはないけどファンクラブに近い団体もあるようで、私達の関係が尾ひれ付で広まった頃は、私の下駄箱にゴミが入っていたり椅子に画鋲が置かれたりという、何とも古典的ないたずらにあったこともある。 ま、引っかかりはしなかったし、すぐに収まったけれど。
そんなこんなあり、三ヶ月経った今、私たちは校内で比較的有名な彼氏彼女の関係として知れ渡っているのだけど、私は彼のことをそこまで好いているわけじゃなかった。少なくとも恋人としては一度も見たことがない。
人のいい彼をだますのは気が引けるので、私は最初にはっきりそう言ったし、ひかるもそれを弁えている。妙な話かもしれないけど、今の私達を正確に表わすなら、「男を変なヤツだ思っている女と、その女と恋人同士になりたいことを公言している男」だろうか。それはそれで面白いような気もするけれど、友人達は皆異口同音に変だという。実際私もそう思う。
ひかると一緒にいること自体は悪くない。基本的に彼は楽しい人だし思っていたより気も合うし、見た目よりも芯がしっかりしている。彼のような人と付き合ったり結婚したりしたらそれは幸せなんだろうとも思う。けれども私は彼を恋愛対象としては見られない。
その理由は自分でもよくわからないけれど、ひとつには何故彼が私を選んだのかがよく分からないということがある。
告白されるまで、私とひかるはクラスも違うしまともに話をしたこともなく、廊下ですれ違うくらいしか接点がなかったはずなのだ。
彼には同じクラスに男女問わず友人も多いし、彼に公然とアプローチをする美人も何人も見たことがあるのに、全くと言っていいくらい縁の無かったはずの私が何故彼の中に居たのかがさっぱりわからない。私だけでなく、多分ひかる以外全員。
それがどうにも気持ち悪くて踏み込み難かった。彼を理解するためにも何度か理由を聞いたのだけど、いつも笑ってごまかす。意地になって何度も何度も聞いてみても同じ反応でムカムカしてくる。もしかしたらそうやって私の気を引こうと考えているのかも、と邪推までしてしまうけど、仕方のないことだろう。
まあ、もしかすると大した理由なんて無いのかもしれない。友人があの人が好きと言ってその理由を聞いても大体格好いいとか優しいとかありきたりなことしか言わないし、それは彼女たちの本心じゃないと私は思う。下手な理由を並べられるよりも「何となく」とか言われた方がよっぽど納得してしまいそうだ。
もっとも、私には大した恋愛経験は今まで一度もないのだけれども。
私達はお互いの部活が終った後、早い方が校門で相手が来るのを待つのが習慣になっている。大体いつもひかるの方が遅い。
待っていると見知った顔が通りすがりにまた明日とか暑いねえとか冷やかしの言葉を投げかけてくる。出て行く人の数が少なくなった頃にひかるは現れて、お待たせと笑って軽く手を挙げる。
歩いて十分くらいの駅までと、そこから五駅後でひかるが降りるから、その間が平日で一番長く一緒にいる時間になる。校内にいるときは殆ど会わないから、たまに外で会う以外はここでの会話がほぼ私達の全てになる。
会話はひかるが一方的にすることが多い。私がどちらかと言えば寡黙気味なこともあるけど、私が知らなかっただけなのかもしれないけど、想像以上にひかるはよく喋る。と言うか、話し方が上手い。
大したことのない話題でも不思議と面白く感じられる。そうでなかったら、私はとっくにつまらないと見限って、別れていたかもしれない。
ただ、ひかるの話は脈絡がない。近づいてきた修学旅行の話をしていたかと思えば、いつの間にか今夜のテレビ番組の話に変わっていたりする。最初は前の話はどこいったのといちいち突っ込んでいたけど、最近では慣れてしまってすっかり私は聞き手に回ってしまっていた。考えるたびに彼に飲まれてるなあと思う。
駅までの道は当然私達だけじゃなく、男の子や女の子の集団も、私達のように男女で歩いている人達もいる。時折友人が自転車の二人乗りをしながら手を振って抜き去っていく。
彼らを見ていると、やっぱり普通の恋人というのはこっちが気にしていなくても私達は付き合ってますよという雰囲気があるものだった。私達にはそんなものは無いはずだけど、傍目から見るともしかしたら同じようなものかもしれなかった。
もしそうなら面倒だなとは思うけど、別に悪い気はしなかった。どうせ尾ひれだらけの噂は収まらないし、一応聞かれたら友達と答えてはいるけど大半は信じてないだろうし。ひかるを褒め称える単語を聞くと嬉しいというよりは、よくもそこまでと感心する。
また一組の友人とその彼氏が通り過ぎていったあと、私がふと、彼女はあの男の子のどこが好きなんだろうと呟くと、ひかるはそりゃ何か理由があるんだよ、とごく当たり前のように言った。
私は殆ど反射的に、じゃあひかるはどうして私が好きなのよ、といつもの質問を口にした。どうせ笑って誤魔化すのだろうけど、と特に何も期待せずに。
なのに、その時のひかるはまっすぐに私の方を見ながら、こう言った。
「翠ちゃんの笑顔が見たいから、かな」
返答があったこととその内容に、私は「あれ?」と思考が停止した。
立ち止まって、私は口を開けたまま、ひかるを呆然と見ていた。半歩前に出たひかるが振り返り、またいつもの笑みのまま私を見て、どうかしたのと声をかける。
その時の自分が満面の笑みを浮かべていたのに気付いたのは、それからしばらく経ってからのことだった。