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「あ”ア”あ”あアア”あ”アァぁ”ああ”ァッッ…!!」
動脈を伝い、天使の痛覚にこれまでに経験したことのない激痛が襲った。立っていることも儘ならず、膝から地面に崩れ顔を埋めて声を殺す。
もう片方の腕で、必死に腕からの流血を防ごうとするが、それは指と指の隙間から綺麗に流れ、地面を赤く染めていった。
限界まで見開かれた眼にはいっぱいに涙が表面にへばりつき、代わりに、ぎりぎりと噛み締めた唇から血が滲み下唇に溜まりきると吸着仕切れずに滴り落ちる。
そんな彼を、ハデルは呆然と見ていた。
————今、私はなにをした?
まるで、身に覚えがないように、天使の血液が付いた手に視点を落とす。
「おい」
呆気にとられていると、ザクロの声が響いた。声のした方に顔を上げると、いつの間にか体と同化していた彼がこちらに歩み寄ってきていた。その首には、まだ先程の傷の痕がくっきりと残っている。
「どういうことだ? こいつらは俺が全部やっていいっていう決まりだったじゃねえかよ」
そう言って、倒れ込む天使を指差す。
「……正当防衛よ。あのまま私が何もしなかったら、逆に私が腕を斬り落とされてた」
蹲る天使を一瞥する。
こいつは紛れもなく私を狙っていた。おそらく、人質にでもしようとしてたのだろう。だが、計画はいいものだったが、体がそれに適していない。殺気は剥き出し、また捕まえる際もそんな長剣に頼った。忍び込んだのがこの天使でよかった。お陰で負傷は免れた。
「惜しくもなかったわよ、ヴァーチューもどきさん。でも、不意を突いたことは褒めてあげる……次はないと思うけど」
痛みのせいで聞こえてはいないだろう。
すると、隣で顔を手で覆い隠しながらザクロが前に出た。
「天使が、ここまで卑怯もんになっていたとはな。悲し過ぎてお兄さんハゲそうだぜ………」
途中、顔から手を離すと、まるで思入れのあるものを新品に取り替えられてしまった子供のようにその表情は悲哀に満ちていた。
「だから、てめえらには躾を受けてもらう必要がある………だが、こんな所じゃ応援が来るのも時間の問題だ。よって、」
面構えが戻り、ニヤリとザクロが不気味に微笑み出す。
「今から、てめえらを俺達悪魔が住むの魔界の地に招待してやるよ……」
その言葉に、片腕を無くした以外の天使の顔から一気に血の気が引くのがわかった。
『生け捕り』。天使達の脳裏に、その言葉が過る。
「い、いや……いやあアッッ!」
ついに、天使達の精神が崩壊し、一体は背を向けて逃亡を始めた。だが、すぐさま仕込んでいたのか逃げる少女のいる地面からザクロの根が飛び出し、彼女に絡み付いた。
「ひゃあアアッ?! ————いや、離してえぇッ!!」
「なんだよ? 逃げたくなるくらい嬉しいか。こりゃあお兄さんも張り切らないとなあ、まだまだ若手には負けらんねえぜ」
はにかみじみた笑顔で、ザクロは一体目の天使を捕獲した。冷静かつ、慎重に根をコントロールする。少しでも気を抜くとそのまま握り潰してしまうからだ。
その時、手前の二体が行動を起こそうとするが、途端左腕を前に出し、ザクロはそれに静止を求めた。
「動くなよ? 動いたら、あの可愛いひよこちゃんのこま切れになる姿を拝むことになるからよぉ……」
クスクスと嘲笑うザクロに、天使は為す術がなかった。
「あと、てめえらがいる位置の下にもこいつらを忍ばせておいてある。だから、ひよこちゃんは無駄死にに終わるぜえ。まあそんな残酷なこと、考えもついてねえと思うけどな」
天使たちはザクロを睨んだ。
「あーっ、そうそうついでに武器も下ろしてもらおうか………それとも、こちらでお外ししましょうか?」
にやりとその視線は、もう一体の方の少女の体を舐めまわすように投げかけられていた。
全身に虫酸が走り、少女は体を縮こませる。先程にも増しザクロを睨みつけながら、止むを得ず二体は武器を地面に落とした。
「よくできました。やっぱり天使はものわかりがいいなあ」
満面の笑みで、ザクロは胸元で二回手拍子をした。
だが、次の瞬間。天使たちの地面から言われた通りに無数の根が飛び出し、彼らに巻き付いた。
聞いていないと口論しそうな眼差しで、二体はその悪魔を咎めるような視線を投げ掛ける。
「相手の力量もわかんねえで突っ込んできた、てめえらがわりぃ……だから、こんな危機を呼び起こすんだよ」
彼らに軽蔑の念を抱く。その眼光は暗く、天使達を見据えていた。
「だが安心しろ、殺しゃしねえよ。てめえらが、なんかよからぬ事さえ考えなきゃな。物質同士が生き別れになることはねえからよお」
そんな中、やっとの思いで痛みにも慣れ起き上がろうとした天使だったが、ザクロに背中を踏まれ、ウっと声を洩らした。
「これで全部だ」
頭上で、満足気にザクロが不気味な笑みを零す。
しかし、それとは打って変わりハデルは不満気に口を開いた。
「それで? どうする気?」
「決まってるだろ。生け捕りにして知ってる情報を搾取すんだよ……」
「………拷問」
私の問いかけに、ザクロの頬がニイーと上がる。
「まあ、そうとも言うな。でもよ、俺たちの知ったこっちゃねぇだろ? 先に戦いを挑んできて勝手に負けた弱いこいつらが悪い………」
そう言い、倒れる天使の髪を掴み、帰ろうと後ろを向いた。
「遠征は? どうするつもりよ」
「魔獣は全滅。しかし、容疑者の捕獲に成功。地下牢での尋問を求める。それでいいだろ」
ちらりと天使達を一瞥すると、先程まで根の中で暴れていたのが嘘のように、いつの間にか大人しくなっていた。「ごめんなさい……」と先に捕まった少女が、涙まみれの顔で呟くように連呼している。誰に許しを請いているのか、自業自得だ。
「四体もいりゃあ、もしかすると一体くらいはお持ち帰りできるかもなっ」
「……何を考えているわけ?」
「別に、ただ天使の生き血にはどんな傷でも治す、癒しの効果があるらしい。そこらのやぶ医者よりいい商売になるだろうぜえ?」
どういった性質なのかは判明してはいないが、その血液が一度傷に付着すれば、忽ち傷は癒え、痛みも引いていくという。そして、その心臓には相手一体をを蘇生させる能力もあると噂されている。
「そういうあんたはどうなんだよ?」
不意に話を振ってきたザクロに、首を向けた。
「…なにが」
「どうも、こいつらに肩入れしているような気がすんだよな、俺には」
完全に疑いの目だ。
「てめぇこそ、なに考えてんだ?」
その表情には、どこか殺気立ったようにも思えた。
睨み合いが続く。ハデルは横に視点を落とし、その静寂に終止符をうった。
「………やめましょ。一応、仲間同士なんだから」
ここで張り合ってもらちが明かない。しかも、二体一組。疑われるのは私しかいない。これだから嫌なのよ。
無言が続いたが、ザクロは軽く溜息を漏らし、話した。
「………そうだな。俺はてっきり、こいつらに同情して挙句には逃がしてやろう、とか言い出すんじゃないかと思ったぜ」
「変な被害妄想はやめて、ただ私は純粋に気になっただけよ……」
「そうかい」
同情などしない。したところで、無駄な慈悲だ。
ニヤリと笑みを浮かべて、ザクロは前を歩き出す。
「それじゃあ……」
そのとき、何かを感じたのか、帰還の声が途中で止まった。
「どうしたの? まさか、手土産が重くて動けないとか抜かさないでよ」
「ちげぇよ………」
そう言うと、真剣な眼差しでザクロは背後に目を凝らした。
「……」
その先に、うっすらとシルエットが浮かんでいた。
天使の領地から歩いてくるということは、奴も天使か。
「へっ、ビンゴ。もう一匹いるぜ」
その言葉に、ハデルもまた後ろを振り返る。確かに、そこには微かに一つの影が佇んでいた。
「そういや、天使は五体一組の班を作って行動するんだっけな……あいつで最後か」
途端、天使達を捕獲していた根が切れ、ザクロの体に戻っていった。
「ちょっと!」
「なあに、そいつらは逃げたりしねえって。なにせ、目の前で仲間の片腕粉砕した怖〜いお姉さんが隣で見張ってるからな」
そう言って、数歩前に出ながら腕を回し始めた。
「さてと、それじゃあやり…」
——————!
それは、瞬きをする間に起きた。
ザクロが腕を下した途端。突如とし、彼は自身の目の前に現れた包帯の巻かれた謎の手に驚愕した。
………マジかよ……
間に合わない。頭の中でそう察知した。
次の瞬間。顔面を鷲掴みにされ、そのまま地面に叩きつけられる。だが、攻撃の加減は留まるところを知らず、その手は敵の司令部から体に命令をかける余地さえも与えず、掴んだそれを地面に叩き潰した。
「っ?!」
なにが起きた?
前方でザクロの体がビクビクと痙攣し、頭部のあったところに赤い水溜りができている。その上にあの天使がいた。その素顔は僅かに垂れたブロンドの髪で見えない。
だが、その容姿と背中に生えた四枚の純白の翼に、私は構えた。
こいつ、—————アーク!!
仕留めたと悟った天使は、徐々に上体を起こし、こちらに顔を上げる。
「……のこり、一匹………」
どこか虚ろな焦げ茶色の瞳が、鋭く刺さるようにハデルを睨んだ。
最後まで読んで下さりありがとうございました!
今回、この話で第一話は終了となります。ここまで長かったです笑
次回は第二話を更新します。こちらも読んで下さったら幸いです。




