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じれったい……
なかなか治まらない砂塵に、もどかしさを感じていたハデルは羽を大きく広げ、風を起こして土煙を払った。
見事、舞い上がった砂埃は彼方へと消え、代わりに四体に増えた天使達が姿を現した。その中で、一際、銀色に光輝く鎧を身に纏ったそれは、先程落下してきた天使と同じだった。
(ヴァーチュズの鎧?)
その装は、ヴァーチュズ階級だけに与えられるものだった。ヴァーチュズは力天使とも呼ばれ、光り輝くもの、輝かしきもので魔界でも知られている。しかし、中は下級天使だとハデルは考察していた。
ヴァーチューが下級天使と行動を共にするはずがないからだ。また、昇格早々の天使がそこまでの称号を与えられるとも考えられない。
………ああ……
その証を得られずに鎧を与えられる方法があるとするならば、恐らくそれは奴がその階級の天使と血縁関係にあること………
「後ろが厄介そうな奴が紛れ込んでるな……」
ヴァーチュズって確か中級天使の第二位じゃなかったっけ? そんなの来たら私絶対瞬殺される自信あるんだけど……。何もかもが話と違うじゃない。魔獣と天使の戦闘に紛れこんで敵の状況を把握するだけの簡単な任務が、なんで、私の時に限ってこんなことになるのよ……ここまで来たらもう詐欺よ! 嗚呼ぁ、帰りたい……
笑うことで、気持ちを紛らわす。
すると、途端。鎧の天使がハデル向かって突っ込んで来た。
「ーーーッ!」
天使は翼をひと羽ばたきさせ、速度を上げると、一瞬で間合いを詰める。
ハデルに狙いを定め、右手の剣を振りかざす。
「……っ」
だが、ハデルはその一瞬に動揺することなく、なんなりと天使の一振りを避けた。その結果に、流石の鎧の天使も驚いた。直ぐさまもう一撃を見舞いしようとするが、視界の横に微かに相手の左足が迫る。
「ッづぅ!!」
持っていた盾でなんとか防ぐが、攻撃の振動が体を震わせた。
やっぱり、この程度……
その後、足を内に引っ込めると、ハデルは逃げるようにその場から後退しようとする。
「待てッ!」
直ぐさま、鎧の天使はそれを追おうとするが、その前に、ザクロが立ち塞がった。
「おいおいおい、てめえら、全員の相手が俺だって言っただろ? それに、あんまりしつこいと嫌われるぜ」
「……っ」
四体を嘲笑って、ザクロは構えた。
「さあ行くぜ……精神を壊される準備はできたか? 神の子共………」
それを引き金に、彼に四体の天使が一斉に殺到した。
「……ありゃ、そう来ちゃうの…」
予想外とでも言いたげに、ザクロは目を丸くした。
「せいやあああ!!」
先頭を切った鎧の天使が、ザクロに斬りかかる。だが、ターゲットは避けるどころか笑みを浮かべたまま、その場に立っている。
違和感を感じながらも、天使はザクロ目掛けて剣を振り下ろし、その首を斬り取った。
「………えっ?」
天使達の前にザクロの頭が転がり落ち、司令官を失った体はその場に崩れるように倒れた。
まるで拍子抜けの結果に、ハデル以外のその場にいた全員が言葉を失った。
「……や、やったの?」
勝利を得たはずの天使達だったが、どこか納得のいけない勝敗に、逆に恐怖を覚えていた。
地面に転がる敵の頭を見下ろし、お互いの顔を見合わせ、我々が本当に勝ちを獲得したことを確かめ合う。すると、不意に引きつった笑みが零れ、一体残された悪魔に視点を切り替えた。
「………」
仲間がやられたというのに、長い黒髪の悪魔は無表情のまま、こちらを窺っていた。
「動揺で言葉もでねえようだな……一気に畳み掛けるぜ!」
鎧の天使がそう言うと、剣をハデルに向ける。
「まったく、君に命令される筋合いはないんだけどね……まあ、今回だけは乗らせてもらうけどっ」
その隣に白マントの天使が来ると、眼鏡を掛け直し、、そのマントに手を入れ、中から分厚い書物を取り出した。
魔導類の天使か。
これでやっと、ハデルは敵のすべての武器を把握することが出来た。
今にも襲いかかって来そうな勢いで、こちらに闘争心を燃やしている。だが、その時、
「ククククク……」
何処からともなく聞こえてきた謎の声が彼らの行動を寸止めした。その声に聞き覚えの合った四体は、まさか、といった表情でその場に静止した。
「首を取ったから俺たちの勝ちだと? こりゃあ富んだ常識野郎だぜ……」
紛れもなく、その陽気な声は先程、鎧の天使が首を斬り落とした悪魔。ザクロの声だった。
「気いつけろよ? じゃねえと……」
徐々に冷静さを取り戻しつつ合った四体は、その声が自分らの足元からしていることに気が付いた。だが、そこには死んでいるように瞼を閉じた声の主。だが、次の瞬間。バッ! と目を限界まで見開かせ、裂けそうなほど口をニヤつかせて天使達を凝視した。
「死ぬぜ?」
その一言が、その全てが、圧倒的、絶望的に彼らの目を通して脳裏へ全画面で投影される。————勝てない。それは、思考する余地すらなく、本能に直接働きかけてきた。
———死ぬ。このままだと、死ぬ!
「———ひイィッ…!」
一体の天使が悲鳴を上げようとするが、喉が詰まりに不発に終わる。それと同時に、背後に気配を感じた鎧の天使は、振り返る途中、頬に強烈な打撃を感じた。その衝撃で冠が粉々に砕け散り、中からはオレンジ色の短髪をした少年が顔を表した。
「っイ………てえェエエー!」
生首のザクロが叫ぶ。
冠を破壊され、バランスを崩した天使はそのまま顔から地面に倒れた。
「ぐ…っふ、ぅ……」
立ち上がろうとするが、打った勢いで鼻から血が流れる。手でそれを抑え、恐る恐る己を殴った正体を突き止めようと後ろを振り向く。そこには、自分が首を斬り落とした悪魔の首から下の気管がこちらを見下していた。
なんだよ? こいつ。
得体の知れない恐怖に、天使は地面に這いつくばったまま呆然とそれを見た。その刹那、首無しは高々と足を上げ、天使の頭を踏み潰しに掛かった。瞬間、我に返り、上半身を起こして盾で受け止めた。
「へえ~、やるじゃん」
ザクロの本体が呟く。
「———ッぐぅ!」
力に任せ、天使は盾で首無しの足を振り払った。奴の身体がぐらついた瞬間、天使は剣を持ち、雄叫びと共に、首無しの体に振り払った。だが、何故か斬り口からは液体が飛び散ることはなかった。
「やった」
鼻血を出しながら、天使が呟くと、
「まだだッ!」
後ろで仲間が危険を知らせる。———何かいる。
「———?」
倒れることなく、停止した体の斬り口で何かが蠢いているのが薄っすらと見えた。
こいつ、まさか?!
口に出そうとした瞬間。そこから大量の根のようなものが現れた。
「ワーム型!!」
なんの掛け声も、それは機械のように天使達に襲いかかった。
「くそッ!」
瞬時に気付いた鎧の天使は翼を広げ、上空へと離脱したことにより危機は免れたが、後ろにいた残りの天使が根の餌食となった。
「……いやっ、いやあアアッ!!」
両手で持った鎖を無造作に無数の根に絡み付かせ、刈り取っていく。それに合わせるように、分厚い書物を開き、呪文のようなものを唱えると、炎の球が無数に空中に浮かび、根に向かって一斉に放たれた。
「っく、数が……」
三体掛でも、止む気配のない根相手では流石に苦戦を強いられた。
もう一体の天使が地面に杖を突き刺し、前方から殺到する根に「氷の道!!」と叫ぶと、迫りくる根の大群が凍結していく。
近く根からなんとか無双していくが、体力がなくなるのも時間の問題だろう。
このままじゃ…
空で一体作戦を立てようと天使だったが、何一つ浮かぶことはなかった。
落ち着け……なにかあるはずだ、この状況を逆転させる方法が………考えるんだ!
何かないかと、周囲を見渡していると、先程倒し損ねた悪魔が一体少し離れたところで立っているのに視点を下した。
そうだ、上手いことあいつを捕まえることが出来れば………
いけるかもしれない。戦わないのは、もしかすると奴は回復者か、何かなのかもしれない。そう悟った天使は、早速、彼女に気付かれないように、ゆっくりとその背後に転換させた。
防戦一方の戦闘には一切関わらず、ハデルは戦闘をザクロ全て任せ、一体、またしても父の記憶を追っていた。
あのとき、あの時————何を言おうとしていたんだ、貴方は……
あのとき、父さんはわたしに————
その時、今までの記憶とは違う、異なった記憶が脳裏に浮かび上がった。
その背後から、ゆっくりと天使の影が忍び寄る。
それはあの夢が覚める瞬間の続きだった。
そのときの言葉が頭の中で木霊する。
「—————いいかい? これから父さんが言う言葉をよく覚えておきなさい。これは父さんとハデルとの秘密だよ」
私が頷く。そして微笑んで出た父の言葉——————
———天使を、殺せ————
ハデルは、背後に迫っていた敵の攻撃を咄嗟に出た右手で振り払った。
その瞬間。払われた天使の片腕が凍りつき、鎧と共に粉々に砕け散り、本体が姿を現した。だが、ハデルはなにか魔が差したのか、捕獲に失敗した天使の右腕に尖った爪を立て腕を振り上げて、肩から腕を切断してしまった。
その光景に、その場にいた全ての者が立ち尽くた。
一瞬の間の後、仲間の腕が無くなっていることに気が付いた天使の一体が、すべてを飲み込まんとする津波の如く、絶叫した。
その悲鳴は、空気を振動させ、遥か彼方まで響いていったという。
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