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「ンジャナメいっちばーーん!!」
薄桃色の髪を靡かせ、ピンクを基調とした白いフリルの付いた可愛らしいワンピースの少女が応接室に飛び込んできた。
色白の無防備な足が赤い絨毯の上に立つと、少女は満面の笑みで着地のポーズを決めた。しかし、代わりに彼女の発言は今自身に向けられている複数の視線に阻止された。
「………あれ?」
自分が一番乗りだという思い込みとは異なった光景に、左は若葉色、右はベージュ色のオッドアイの目を丸くして喜びが驚きへと交代した。室内にいる同じ境遇の者達を認識すると、少女は小さな人差し指をその一人一人に向けた。
「一、二、三、四、五、六———………ンジャナメ、八ばーーん!!」
人数が数え終わると、両腕を高く上げて少女はそれでも満足そうに喜びを全身で表現した。そんな少女の無邪気な姿を見てか、ロアは静かに抜きかけた剣を差し戻した。
「……争いの空気ではないな………」
「ああ……」
それと同時に、シンも腕の力を抜いて肩をどっと落とした。
「やめだやめだ。ったく、興がそがれたぜ……命拾いしたなロア」
「その言葉、そのまま返そう」
二人は互いに睨みを利かせると、背を向けそれぞれの席に戻って行った。薄桃色の髪の少女以外のメンバーは事が納まったことに安堵の表情を浮かべた。緊迫としていた空気のことなどつい知らず、突然現れた少女は今も笑顔を振りまいている。そんな少女を横目に、シンは小声で「…ほんと、調子狂うぜ……」と無意識に深く溜息をついた。
「ね、言ったでしょ?」
一難が去り、シュレディンガーはふふっとシキに微笑みかけた。シキは、それに静かに頷いた。しかし、なぜ彼がこうなることを予想することが出来たのか疑問に思ったが、彼女はその問いを彼に聞くことはなかった。
扉の前で未だに幸せそうにする薄桃色の髪の少女に、ヘタマイトが優しく声を掛けた。
「ンジャナメさん、そろそろ集まるように言われた時間です。司会者が来る前に早く座ってしまいましょう」
ンジャナメと呼ばれた少女は、ヘタマイトの言葉を聞くと両手を下げて空いている席を探し始めた。
「はーい! えっとねえー………ハデルの隣ーー!」
そう叫ぶと、一目散に部屋の奥を目指して駆け出した。その先で「っあ、てめ!」とシンの悔しがる声が聞こえてきた。
その頃、ロアは自分の席に戻るとすぐにナツェッタに声を掛けられた。
「どういうつもりよ、あんた。卵同士が戦闘になればどうなるか、貴方が一番よく知っているでしょ…?」
騎士を見るその目は鋭く、きつく彼を凝視している。
「……すまん、」
「謝って済む程度の事じゃないから言っているの。生憎、ここの中で納まる程あたし達の身分は低くないわ。最悪、貴方の血族だけじゃない、貴方達を支援している彼女達にも危害が加わるのよ。それを忘れないことね……」
頷くように首を深く下げると、ロアは腰の剣を見た。
ロアの家系は彼の父親からハデルの家族に仕えるようになった。彼ら騎士の家系は魔法の発達と共に数が減少し、今魔界に存在する騎士の勢力は二つだけである。それでも、少数の彼らの血族がこうして『十柱』の椅子に鎮座することができているのは、それほど名高く、実力にも優れている証明である。
その後、彼は顔を上げると自身の主人であるハデルに視線を向けた。目は閉じており、正しい姿勢で椅子に座っている。その容姿はまだあどけなさは残るものの、端麗でまるで月明かりに照らされる一輪の花を連想させた。幼い頃からハデルの護衛を任され、二人は兄妹のように育ってきた。そんなロアにとって、自分の行いの一つで彼女へ危害が加わることを考えると、心臓を刃物で突かれるような感じに襲われた。
「………私の首にかけて誓う」
手に自然と力が入り、力強くナツェッタに応えた。甲冑越しとはいえ、その決意を感じ取ったのか、ナツェッタの表情が和らぎ始めた。
「あんたの首がどうなろうと知ったことじゃないわよ。死にたきゃ勝手にどうぞっ。目の前のことに流されて後々悔いが残らないようにねー」
「忠告、感謝する」
「ああいうあんたの態度嫌いなのよね」
「すまん……」
「ああ! 謝るのも嫌い!!」
「……(どうしろと…)」
『卵』は種族、年齢、生活階層まで異なり、縁がなければ一生で会うことはほぼない。天界との戦闘が熾烈を極め始めてから、魔界に住む数多の種族は自らの故郷を護るために天使を討つため駆り出されるようになった。その異種同士をまとめる為に組織されたのが、選ばれた十種類の種族、通称『十柱』、またその子に値する『卵』である。種族同士の親睦や団結等の目的が強く望まれ、これまで魔界を支えてきた。
中でも、その子供には親よりも影響力があり、逆にいえば子の行動次第では内乱も考えられなくはない。
「揃いましたね」
突如現れたその声は扉ではなく、部屋の奥から聞こえてきた。
これまでに集まった招集者の誰一人として聞き覚えのない男の声に、彼らは一斉に部屋の奥を見た。テーブルの端に設置された椅子の左側に、赤と黒のスーツに身を包んだ一人の男性が直立していた。すらっとした体格は、シーツでより細身に見える。それよりも彼らの目を引いたのは、その頭だ。犬の頭蓋骨を思わせる頭部は、壁紙が黒いためか一瞬まるで浮いているように錯覚させられた。
「どちら様ですか?」
男から斜め右に座るシュレディンガーが質問を投げかけた。男は少年の問いに答えるように白い手袋を付けた左手を胸の前に添えると、礼儀正しくお辞儀をした。
「こんばんは。私、大魔王様の側近を務めさせて頂いております、サルガタナスと申す者です。大魔王様の都合上、その代理として今回、お集まりになられた卵の皆様方に報告をしに参りました。短い間ですが、どうぞお見知りおきを」
サルガタナスと名乗る男はそう言うと、再び直立の姿勢をとった。二つの空洞の目が不気味に八人の招集者を覗いている。
側近とはいえ、支えるものが魔界最高位ともなるとメンバー達にも緊張の様子が窺われた。
「では早速……」
「———待ちなさいよ。」
招集内容に進もうとしたサルガタナスをナツェッタが遮った。
「何かご質問でも……?」
「席は全部で十席。まだあと二人来ていないわ」
腕を組み、鋭い剣幕でじっとサルガタナスを見る。すると、彼は冷静に剥き出しの歯を上下に開いた。
「……いいえ、今回ここへ招集したのはここにいる八人だけで御座います。———おそらく、部屋を用意する際に間違った席数が伝わってしまったのでしょう。こちらの手違いです。大変申し訳御座いません」
深々と頭を下げるサルガタナスにナツェッタはすぐに頭を上げるように促しそれ以上、彼女は何も追求しなかった。椅子に凭れかかり返答に理解はしたが、その表情はどこかまだ納得がいっていないようだった。
「では、改めまして。今回、皆様を招集しましたのはほかでもありません…。
—————今が攻めの時です」
開始早々の彼の発言にに、全員の表情が険しくなった。
———ついに前線。
「ようやくか……」
シンがテーブルの上で拳をもう片方の手に打ち鳴らし、ニヤリと歯を見せる。
「我々、魔族はこれまで永きに渡り天使との戦闘を繰り返してきました。既に、アザレスの現状を把握している方も多数でしょう。そこで、これからは本格的に皆様のお力をお借りしたい。大魔王様直属の守護者の血を受継ぐものとして……。良き働きを願っている。と、大魔王様からの伝言で御座います」
その後、現在の前線の現状、天界側の戦力が以前のよりも落ちていることが彼らに告げられた。出陣の際には再び連絡がいくと言われ、それぞれが内に秘めた決意を固くしたところで、その場はお開きとなった。
「この場をお借り、皆様がお集まりなられたことを大魔王様の代わりにお礼申し上げます。この度は、お忙しい中お集まり下さり有難う御座いました」
再び礼儀良くサルガタナスは彼らに頭を下げた。その言葉に、メンバー達もやっとと気を楽にし始めた。誰よりも早くハデルが席を立つと、同時にシンが大きく両腕を上げて体を伸ばした。
「……それじゃあ、俺もう行こうかな…。ハデルお茶しようぜ~」
「断る」
「てめえに聞いてるんじゃねえよロア……」
扉側のロアをシンが睨みつける。そうしている間に、話の相手は一人扉に向かっていった。
「…っあ、おい、ハデル……」
シンの呼びかけに反応も振り返りもせず、ハデルは部屋を後にする。その背中を、扉が閉まるその瞬間までサルガタナスはお辞儀で見届けた。




