1 2/2
階層の中央付近に位置するその森には、古くから精霊の噂がある。
精霊とは、その地を愛するものの思いから生まれた守り神的存在のことを指す。彼らは決して種の前に姿を現すことはないのだが、ここ第五層では精霊の目撃情報が後を絶たないでいる。
それも、階層そのものが国宝とまでいわれる所以なのかもしれない。森や山脈などを含め、そこに生息する魔獣達は希少種ばかりである。その価値は一匹で家が建つ程もあり、彼らを狙った密猟者が増加傾向にあった。それが五層の動物達の激減や環境破壊へと繋がり、それが精霊の目撃が大きく関係していると一部では話題になっている。
精霊は種の思いから生まれた生命体である。彼らの愛したものを見守ることが精霊の役割である。もし、それを壊そうとするものがいるとしたら、彼らの怒りは深淵よりも深いだろう。
魔獣達が逃げた後の森は、すっかり静まり返っていた。その中、騎士は謎の氷の生物と対面していた。
生き物には目や鼻、口といったの感覚器官は確認できず、骨格はきゅっと引き締まり全身が氷の断面を思わせる容姿だった。手足は我々のそれとは異なり、刃物のように鋭く尖った構造をしており、それに反射した騎士の姿が映る。
騎士はそれが噂の第五層の『守護精霊』であることを確信していた。
騎士の出方を窺っているのか、氷の精霊はぴくりとも動くことなくこちらを凝視していた。それは騎士の腰にかかった剣に置かれた手が原因であった。先程、彼を狙った攻撃を見事交わすも、反射的に自身の剣に手を置いてしまったのだ。
「………」
氷の精霊は鋭い両腕をゆっくりと広げ、最後の警告を促す。
しかし、騎士は冷静に相手に分かるように大きな動作で剣から手を離した。そして、慎重に馬から降り、今度は剣の持ち手と切っ先を両手で持ち、その場に膝をついた。
「…お前たちに危害を加えに来たわけではない。精霊よ、お前が彼らを密猟者から守ろうとここを訪れるすべての種族を警戒していることは知っている。既に手にかけられたもの達への悲嘆と憎悪は凄まじいだろう。…だが、それでも私がここへ彼らを狩りに来たのではないことは信じてほしい」
そう言うと、騎士は持っていた剣を地面に置いた。
こちらに戦う意思などないことを精霊に伝え、相手の反応を待つ。
「………」
氷の精霊は剣と騎士を交互に見合うと、男の方へ近づいていった。その道中、茂みから複数の氷の破片が精霊の周りに集合し、一枚ずつ主人の顔の周りで一列に回り始めた。三周ほど回ると、それは再び茂みの方へ散会し戻っては来なかった。
そのうちに、男を見下ろしながらその周りを一周する。他に武器がない事を確認すると、精霊は騎士の顔を覗いた。
何の用? と聞くように首を傾げると、
「私はお前たちの主人に用があって来た。…どこにいるのか、案内をしてくれたら助かる」
と告げた。
少しの間のあと、精霊は体を方向転換させ、元来た道へと戻っていった。すると、こちらをちらりと見、同行を促した。騎士は急いで剣を持ち元の場所に戻すと、馬に跨りその後を追った。
森の最奥地。一つのぽっかりと空いた洞窟がある。
入り口から中にはあちこちに氷柱が張り巡らされ、侵入者の潜入を拒んでいる。その先に一際氷で覆われた空間があった。
蕾のような形状をしたそこは、巣というよりはまるで中にいるものを守っているかのように感じさせた。
中は外と同様に氷が蔓延り、足の踏み場もない。その間で、静かに寝息を立てて何かが眠りについていた。
*****
そこは、いつも似たような景色が広がっている。一面に咲き乱れる多彩な色の中、幼い頃の私と父親の姿があった。
遠い、父との記憶…。
ここは一体どこなのだろうと、その度に父に聞いた。しかし、父は「お花畑だよ」とだけ、詳しい場所は伝えずいつも私の頭を撫でるだけだった。
だから、私はこんなにも美しい場所が魔界にあるのだと考えると毎日でも来たい、と父に抗議した。しかし、私と父の外出は母に見つかると物凄く叱られるため、滅多にここを訪れることは出来なかった。
『だからね、ハデル。ここは父さんとハデルだけの秘密の場所にしよう』
『秘密の場所?』
秘密とはいけことと聞いたことがある。しかし、これ以上に胸が高鳴りわくわくしたことはない。
私達しか知らない場所。ほかの誰も知りえないこと。私と父だけの。
ああ、と頷く父に、私は今までにないくらいの笑顔で返事をした。
この関係は永遠に続く、そう思って疑いもしなかった。首だけになった父の姿を見るまでは。
首元から染み出た鮮血を今でもよく覚えている。膝から崩れ落ち、込み上げてくるものを必死で抑えようとしてすごく痛かった。傷口にガラスの破片でぐりぐりと押し付けられているような痛みだった。
あんなにも大きかった背中は、私よりも小さくなってしまった。もうあのお花畑に連れて行ってくれることは出来ない。父は私の世界からいなくなってしまった。
私の夢がどうして大魔王なることだったか。何をしたかったのか。それはね、父さん。
あなたを、守りたかったからなの。私が守りたかったのは、貴方だったのに。
もう、私には何もない。
*****
目を覚ます。開かれたセレストブルーの瞳が氷の壁を見つめた。
―――また、同じ夢。
ゆっくりと上体を起こし、身体を伸ばす。首を左右に動かすと、氷の皮膚が互いに擦れ合う音がした。
遠征での状況報告を終え、彼女は生まれ故郷であるこの地へ戻ってきたばかりであった。家には帰らず、ちょっとした羽休みにこの洞窟を利用している。
まだはっきりとしない頭で立ち上がると、氷に反射した自分の姿を見た。
頭部には、まるで鉱石のように重なり合った氷が生え、頬や肩には氷柱のような鋭い突起物が伸びている。すらりと伸びた氷の体は、触れれば一瞬で壊れてしまいそうなほど繊細で、微かに背後の景色が見える透明度である。
自分の姿が映し出された氷を大きな手で隠す。その面は無表情だが、何か思い詰めているようだった。
すると、氷の皮膚が音を立てて体の中へと飲み込まれていく。氷の肌は徐々に滑らかな黒い皮膚へと変貌し、頭部には長い黒髪が現れた。そこには、遠征の時に見せたハデル・インフィール・フォーネーゼの姿があった。
彼女は悪魔と氷の精霊の間に生まれたハーフである。謂わば、混血種である。
黒くなった手を引っ込め、再び氷に反射した自身の姿を見た。頭には、まだ幼い二本の角が生えている。それにそっと手を添えると、愛でるようにその形をなぞった。
洞窟から顔を出すと、外の光で目を細めた。同じ階層とはいえ、洞窟と外とではまる気温が違う。
手で顔への光を遮り、ふっ、と息を吐く。
特に寒いといった様子も無く、視界が慣れてくるとハデルは辺りを見渡し始めた。いつもと変わらない景色に退屈そうにしながら、視線を森へ移すと、中から一体の精霊が現れた。こちらに気付くと警戒する様子もなく近づいてくる。
「…どこ行ってたの?」
ハデルの問いに答える術は無く、精霊はその周りをくるくると回ると、彼女に擦り寄った。精霊自身の鋭い手足を相手に当たらないように注意し、甘えているか、スー、と音が聞こえてくる。
ハデルは少し困ったように眉を潜めるが、仕方なさそうに精霊の頭を撫でた。
「よしよし」と精霊の頭を撫でるのを尻目に、「ハデル」と聞き覚えのある声に耳を傾けた。
そちらに顔を向けると、そこには一頭の馬に跨った騎士の姿があった。彼はハデルを見つけると馬の手綱を引き、停止させた。
そのまま馬から降りると、ハデル達に歩み寄る。それに反応してか、隣で精霊が騎士に威嚇をし始めた。ハデルはそれを手で静止させると、こちらに振り返る精霊に小さく、「大丈夫」と告げハデルは騎士と対面した。
「…道理でこの子がいない筈ね。誰か知らない気配感じるとすぐに飛んでくの。……ロア?」
先程の声のトーンや身に付けている装備を確認して、ハデルは騎士の男にそう問いかけた。それに応えるかの様に、彼は自らの兜に手を置いた。頭から兜が外していき、素顔が露わになる。
そこに出てきたのは真っ白な髑髏だった。皮膚や髪の毛等は一切無く、剥き出しの歯と目に空いた二つの穴が目立った。
アンデットと呼ばれるその種族は、その種全員が『不死者』であることからその名が付けられた。その名の通り、死ぬことはない。不死の存在である。
その素顔に動じる様子も無く、ハデルはそれが彼であることを確信し話を進めた。
「…何の用? 遠征の報告ならとっくに済ましたけどっ」
「それとは別だ。」
ロアと呼ばれた騎士はそう言うと、眉間に皺を寄せる彼女に続ける。
「緊急招集だ。第四層、大魔王様の城に『卵』全員だ。」
「至急にな」と付け加えられた言葉に、分かりやすく顔を歪ませた。
「……面倒」
「俺に言うな」
ロアは軽く受けながすと、彼女は深い溜息を吐きながら重々しく歩み出した。そんなハデルに、ロアの手が差し伸べられる。
「乗っていけ」
もう片方の手で馬を指す。
「………」
ハデルは知っていた。この男がこの手のことには決して引かないことを。
所謂、二人は主人とその騎士の関係である。生まれつき騎士の家系に育ったロアは、幼い頃から彼女の家系の騎士仮護衛を勤めている。そのため、唯一ここ第五層にも自由に出入りすることを許されていた。
ここで自分が首を横に振れば、お馴染みの「騎士たるもの主を護ることは当然」などと言われその繰り返しが待っている。
考えた末、観念したようにハデルはその右手に掴まった。
「それにしてもロア。貴方ここにはよく来てるはずだけど、なんでまだうちの精霊に侵入者扱いされてるの?」
「それはこっちの台詞だ」
「さっきも威嚇したし…」
「……」
「きっと貴方のこと嫌いなんだわ」
「これでも傷つくぞ」
次回も読んでくれたら幸いです!




