第五話『小さな夜会』 2/2
グラナリアス家長女にして次期頭首。ミラーレ・グラナリアスは雷の体質を持って生を受けた。
その力は神からの贈り物とされ、彼女は幼くして七大天使の称号を与えられた。それから幾年が立ち、七大天使の中から四人の天使で構成される四大天使の一人が戦場で命を落とした。すると、すぐにその絶対地位を狙おうと次の四大天使の継承者が選別されたが、その結果、彼女がその称号を勝ち取ることとなる。
淡い青色の稲妻は互いに弾き合い、主の命令を荒々しくも静かに待っていた。それを見てか、天使たちは悲鳴を上げながら一斉に後ろへ体を方向転換した。
四つに分かれた通路に天使たちが殺到し、数分間その状態が続いた。
再び十字の廊下に静寂が訪れると、ミラーレは小さく息を吐いた。それを合図に、彼女を取り巻いていた稲妻が液体のように彼女のコートの中へと染み込んで消えていく。
「相変わらずだな」
その後ろで、ズイイェンと並んでいたゼフが言う。
「鬱陶しかっただけですわ。わたくし、人の多いところは苦手ですの。……それに、これは同族の仕業ではないのでしょう?」
そう言い、二人に視線を向ける。その海色の瞳は、真剣にこちらを見つめていた。その言葉の意味は、彼ら自身もわかっていた。
どういった経緯だとしても、ここ天界内に悪魔が出たのだ。それを無暗にこのような公共の場で発言をすれば、天界内での混乱は避けられない。増して、それが大魔王直属の配下だと知れば尚更だ。
疑いはしているものの、まだその真実を知らないミラーレにズイイェンが口を開いた。
「悪魔が出た」
その一言に一瞬、耳を疑う。
「悪魔、悪魔が出たって言うの? ここ……。———わたくしの敷地内で…!」
ズイイェンに疑いの目を向けるが、彼が冗談をいうような奴ではないことはわかっていた。それがより、ここの領主である彼女から余裕を奪った。
そこに口を挟んだのは、その悪魔を追っていたゼフだった。
「ここへ来たのは偶然だ。その悪魔を追っているうちにここに出てきていた」
二人の輪に入り、冷静に出来事を伝えていく。その言葉にどこかミラーレの表情が緩くなっていった。
「だが厄介だ。現れたのは大魔王直属の配下だそうだ」
その横で額のしわを増やしてズイイェンが告げる。
「十柱………」
ミラーレの表情が一気に険しくなった。
魔王と同等のその称号は、天界内で言えば彼女たち隊長クラス。否、それ以上の恐れもある。そんなのと戦場で遭遇すれば、いくら七大天使及び四大天使の称号を持つミラーレであってもただでは済まされない。
「詳しいことは後だ。先程、緊急招集が入った。各隊の隊長及び副隊長は大聖堂に集まれとのことだ。すぐさまその事を部下のものに伝えるよう。
もちろん、貴様のところもな」
急かすように、ズイイェンがここへ現れたもう一つの理由を上げた。案件を伝えると、最後にゼフに首を向けた。
ゼフが副隊長を務める十三部隊は、ほかの隊とは異なり普段隊の招集には声がかからない。その事を踏まえながら、ゼフの口角は不敵に上がっていた。
「珍しいな。そんなに手を焼く現状か? あんなにうちの隊を毛嫌いしていたくせに」
「生憎だが、無駄口に割く時間はない。ここへ来たのはここの隊長にこれを報告に来ただけだからな。飛んだ時間を食わされた。
———それでは失礼する。確かに伝えたぞ。なお、欠席は認められないからな」
そう告げると、二人の護衛を従えながら足早にその場から去って行ってしまった。途中、ゼフに襲い掛かろうとしていた天使の鋭い眼光が彼を捉えていた。
勘弁しろと言いたげに、ゼフは鼻から息を吐いた。
「……ったく、会議に出席するだけ少しは有難く思えってんだ」
不貞腐れた様子で彼らが通っていった廊下を眺めていると、半分呆れ顔のミラーレが隣に来ていた。
「はいはい。一々噛み付きませんの、平和になるわけじゃないんだから。どこの隊も同じこと思っていますわ、きっと。……少なくとも、伝達を任せる相手は間違えてる」
付け加えられた言葉に、思わず鼻で笑う。
「それは同感だ」
「ふふっ。———そう言えば、どうして貴方がここにいるわけ? 今日の監視役の仕事は終わったの?」
「第二塔を出た廊下ですれ違った女が天使に化けた夢魔だった。そんで、逃げたそいつを追っているうちに気付いたらお前んとこの領内だったってことだ。
前線で何かあれば監視役にはすぐに戻る」
ミラーレが所有する領内は、ゼフが監視官を務める第二塔を出てすぐ下のところに位置する。普段は一般開放しており、何重にも積み上げられた本棚のある図書館や女神像の飾られた噴水などの公共設備が備わっている。
「貴方が一発で仕留められないなんて、相当ね」
「夢魔の類は苦手だ」
「なるほどっ。……ところで、これからどうしますの?」
「会議には出る。俺たちの隊が呼ばれるってことは、奴らの準備もそろそろ整ってきたってことだろ。これからが本番だ……」
怪しく目を光らせたゼフに、それをミラーレが心配そうに横で窺っていた。
「……無茶は、しないでね」
「お前に言われたくないな。先代の四大天使がいたときに相当やらかしたのは知っている」
「それとこれとは別でしょ? わたくしは本当に心配して……っ」
そこまで言うと、ミラーレは咄嗟に口をつぐんだ。おかしな言葉の止め方にゼフは思わず、ん? となる。
「…な、何でもないですわっ。………そ、それで会議が終わった後はどうしますの?」
「特に用はない。だが、何かあればればまた戻る」
「そう……」
彼女の問いの意味が理解できないでいると、ミラーレはゼフに背を向け腕を組むと、何やら考え事をしているようだった。その頬は、どことなく赤らんでいるような気がする。
ミラーレ・グラナリアス。彼女の実力は、天界内では最高位である熾天使を除けばトップクラス。その大胆且つおおらかな性格故、そこに惹かれて毎年彼女の隊に入隊を希望する天使は百を超えるとか。
だが、そんな魅力、権力、実力を兼ね備えている彼女であるが、一つだけ不足がしているものがある。
それは、共に人生を誓うことのできる存在である。何度がそのような声はあり、交際したことも多々あったのだが、やはりなにか違うと彼女から断りを下すことがほとんどだった。
そして今、そんな彼女の鼓動を早ませているが、このゼフという男の存在である。
その昔、彼に助けられたことがあり、それ以来この数十年片思いを貫いている。何かとアピールはしているつもりなのだが、どうにももう一歩が足りないらしい。
なにをしていますのわたくし。これはチャンスよ! 次、次会ったら言うと熾天使様に誓ったじゃない。
自分に言い聞かせるも、プライドが邪魔をしてうまく声にすることが出来ない。気を取り直そうと、自身の頬を両手で叩く。
イメージトレーニングですわ、ミラーレ! 今日こそ、この男に誘いを申し込むのよ。まずは息を深く吸って———
唇をぐっと引き締め、心の中でそう自分に告げる。
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………………………………。
………………、
………
……
……無理ぃ………
だがしかし、結果はミラーレの想像で幕を閉じた。
「立てるか、アル」
「う、うん」
一人悶えるミラーレに、ゼフはその頃床に座り込んだままのアルに手を差し伸べていた。
その声にハッと我に返ったミラーレは「ちょっと———」と振り返るが、すぐに発言を取りやめた。
「アル?」
聞き覚えがあるのか、ミラーレはゼフの手を取って立ち上がる少女に歩み寄った。
勢いよく鳴らされるヒールの音に気付く頃には、その女性はアルの顔を除き込むように前屈みになっていた。
目の前にまで迫った権力者に、思わず上半身を少し後ろの方へ倒し距離を置くアル。先程のことの件もあり、アルは額から嫌な汗が滲み出てくるのがわかった。
少しの間その状態が続き、流石に気まずくなったのかアルはぎこちなく「こ、こんにちは……です。」と一言不器用に彼女に告げた。
「こんにちは。あなたがアルね」
「…え、…っあ……はい。」
微笑むミラーレの問いに、アルは躊躇しながらも頭を縦に振った。
「そうぺこぺこしなくていいですわよ。———まっ、わたくしを前に緊張することは必然なことですから…」
「は、はあ……」
どう返すべきかを悩んでいると、ミラーレと目が合う。
「話はルルーから聞いていますわ。まずは大天使昇格おめでとう」
「あ、ありがとう…ございます。………あの、もしかしてあなたはルルーサの」
「あら、ルルーのことをそう呼ぶのね。でも、その呼び方、相当本人から指摘されたんじゃない?」
微笑んで問うミラーレに、アルは少しうろたえた後に小さく頷いた。
「やっぱりね、うふふ。確かに、私はメルシー・グラナリアス・ルルー・サの姉よ。…でも、これからもそう呼んであげてね」
「は、はい……」
そう言い軽く頭を下げると、その上にミラーレの手が添えられた。
「あなたは悪くない、と言ってしまえばそれは嘘になるわ。だからって、裁こうだなんても考えもない。これは”あの子”自身が選択したことだもの。それを棚に上げてあなたを中傷したところで、その事実は変わらないわ。ルルーも、そのことは分かってる。
分かってて、まだ認めたくないないのよ。ああ見えて、一番家族思いな子だから。」
そう言うと、ミラーレはアルから手を離し改まった様子で彼女に深々と頭を下げた。
「だから、どうかルルーのことを嫌いにならないでほしいの。お願い」
彼女のその姿に、ゼフや彼女の護衛も驚きを隠せない様子で事の行方を見守っていた。なにより、まだまだ一般兵とすぎないアルに、あの第三部隊隊長及び七大天使の一人が頭を下げているのだ。
「か、顔を上げてください…っ、えぇっと、ル、ルルーサのお姉さん」
動揺と何とも言えない恐怖から、アルは両手をミラーレの方に向けると顔を上げるよう促した。
「別に、私はルルーサのこと嫌いなわけじゃないです……。ただ、ただ……」
「ありがとう。そう、それなら大丈夫ですわっ。」
アルの言葉を遮るように、ミラーレは上半身を起こすと小さく微笑み返してきた。
「あと、わたくしのことはミラーレってお呼びになって構いませんわよ。まあ、それすら恐れ多いのでしたらミラーレさんでもミラーレ様でも好きに呼ぶといいですわ! おほほほほほ……!」
「わかった。ルルーサのお姉さん」
「……まあ、好きに呼んでと言ったわたくしにも欠点はありますからね………」
気を取り直して、ミラーレは肩にかかる髪を払った。
「それじゃ、わたくしは隊にこのことを伝えてから会議に出ますわ。召使いっ、あなたはメイド長にここの壁を直すように伝えてちょうだい」
横の鎧の男にそう告げると、
「わかった……」
と兜の中から重く低い声で答えた。
ミラーレ達が自分たちの隊のある方へ体を向けた際、「あ、あの……!」とその後ろでアルが声を上げた。
その訳を知ってか、ミラーレは上半身だけを向け告げた。
「なにも思い詰めることはないわ。はっきり自分の気持ちに正直に、真正面からぶつかることよっ」
頑張りなさいとミラーレはアルにウインクをすると、「でわゼフ、また会議室で」と彼女の隣で待ちくたびれた様子のゼフに去り際に伝えた。
「ああ」
返答するゼフを尻目に、会議が終了したときには必ず…! と一人拳を握り締めるミラーレであった。
やけに広くなった通路の中心で、取り残されたのは第十三部隊メンバーの二人だけだった。
無駄に気を張っていたせいか、お互いが同時に今日一番大きな息を吐いた。それに気付いてか、二人とも目を合わせて微笑する。
「……なんか、あっという間にいろいろ決まってっちゃったなあ………」
「そうだな……」
ようやく二人での会話が出来たことに安心ながら、ゼフは前に続く廊下の一点を見つめた。
「あ、あの時はありがとう。助けてくれて………」
「助けたというよりは反射だった。まさか、手まで出してきやがるとはな」
「し、仕方ないことだと思う。ただでさえ、あり得ないはずの場所に悪魔が出たんだ。ピリピリするのは当たり前だよ」
「だとしてもだ。……前々からあいつらの手段は気に入らなかったんだ。これではっきりした」
眉間にしわを寄せ、ズイイェン達が退散していった廊下を睨んだ。
「…‥でも、やっぱりゼフさんは凄いや。私、あの護衛の天使の動き全然見えなかった……」
「なに、混乱してただけだ。普段のお前だったらあんな子供だまし見えてるさ」
天界帰還直後の予想外の悪魔との接触。今こうして生きているのが信じられない程である。心臓は未だ強く胸を打ち、どこかふわふわした感覚が体の中心から全体へと漂っていた。
「……ありがと」
助けてくれたことに対する感謝と彼の言葉の意に、アルは精一杯の思いでゼフにお礼を言った。
「仲間だろ。当たり前だ……」
その横顔は、相変わらず不愛想であった。
「……それで、俺もこれからその招集ってのに行かないといけない。きっと容易なことじゃねえ。
お前ももう小隊をまとめる頭だが、今まで通り鍛練は怠るなよ」
「わかってます…!」
「ならいい。………俺もそろそろ行く。緊急というからには急いだほうがいいだろう。ルシファー見つけてそのまま会議に行くつもりだ。」
そこで話を一旦区切ると、再び話を続けた。
「だから一度部屋に戻る時間もおしい。……そこでだ。」
俯き加減に、なにやら思い詰めた様子でアルを見た。
「………すまないが、一人で部屋まで帰れるか?」
そこは、元々アルが所属する十三部隊が所有している部屋のことであった。ここよりも離れ、入り乱れた場所にあるためか、ゼフはアルが一人で部屋まで辿り着けるかどうかを心配していたらしい。
その表情は先程までの険しいものとは打って変わり、純粋にまるで我が子のはじめてのおつかいを心配する母親のようだった。
「大丈夫ですよ、一人で帰れます。何回出入りしてると思ってるんだよ。それより、早くルシファーに伝えに行ってください…!」
少しでも安心させようと彼の目を見て告げるアルに「……そうか」と、ゼフはやっと決心できたのか前に足を進め始めた。
しかし、数歩で足を止めてしまう。
「本当に平気か?」
と振り返るゼフに、
「大丈夫ですって!」
声を上げてアルは答えた。
相変わらず過保護なんだからと、どこか不安げな副隊長の背中を見送るうちに通路にはとうとうアルだけになった。
「………(このまま帰っても、まだ誰もいないだろうなあ……)」
一息ついて、壁に付られた一枚の窓ガラスを見上げる。
雲一つない空はいつになく神々しく光り輝き、こちらを無情にも見つめ続けていた。




