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「おーい」
病室を後にしたアルとカイトは、廊下からその聞き覚えのある声を聞いた。
そこに現れたのは、大聖堂の時にカイトと共に大天使を誘導したタルシュだった。と、その隣にはふくよかな容姿の眼鏡をかけた女性も連れていた。
すかさず、カイトがアルの前に出てタルシュと対面した。
「お疲れ様です。そちらはどうなりました?」
「ああ、今頃はほかの医療班とけが人の手当てを手伝っているところだ。こちらはお主たちと違って門の中な故の。」
「ところで……」と、先程とは打って変わり、真剣な眼差しで白髪の老人はカイトに問いかけた。
「聞いたぞ、わしの孫が怪我をしたと。一体どんな相手だったのだ、その悪魔は」
「それはこちらも詳しくは分かっておりません。貴方のお孫さん達の証言によれば、黒い長髪で、なにも氷を見たと言っていました」
「おのれ、悪魔め。わしのかわいい孫の腕を斬り落としてからに……」
「急速な治療のお陰で、腕も戻り今は病室で随分落ち着いておりますよ」
「おお、そうかそうか。ならよかった……」
二人が話す中、アルはタルシュの言った『孫』という言葉の意味が分からず、何度も頭の中で復唱していた。
………まご? 孫、まご、孫。わしの……孫、わしの。腕を斬り落とし……孫…怪我をした……。まご…………孫ッ———?!
瞬間。アルの脳裏にシオンの顔が現れる。
あいつ、孫ォ—————?!!
そういえばと、大聖堂でタルシュが「わしの孫も……」と言っていた記憶が掘り起こされる。今、アルの中ですべての疑問が繋がった。そして、そう考える内に、アルは何とも言えない恐怖感にも似た生きた心地のしない何かに襲われた。
「…………」
ちらっと、孫自慢をするタルシュと、それを頷きながら聞くカイト。
アルは口を開閉しながら、今カイトに話すべきか、ではないかを必死で考えていた。話そうとしてはぎりぎりで留まり、それを繰り返しては、声は不発に息だけが体外に吐き出されるばかりだった。
「カ———…」
ようやく絞り出たその呼び声も、カイト自身により静止を余儀なくされた。
それに気付いてか、否か。会話に花を咲かせていたタルシュが、アルに視点を落とした。
「お、そうか。お主がわしの孫の隊長さんになったのか」
現に、その本人のいる病室の前にこう立ち往生していては嘘などつけるわけがない。
「…は、……はい……」
心底震えながら、アルの頭の中はどうしようの一言でいっぱいだった。
「そうか、其方が…」
ゆっくりと呟くと、タルシュはアルに老人とは思えない鍛え上げられた腕を伸ばした。
殴られる! そう思い、アルはぎゅっと瞼を閉じた。そして、アルの綺麗に弧を描いた肩に、タルシュの手が軽く乗せられた。
「わしの孫を助けてくれてありがとな」
予想外の答えに、アルはぱっと目を見開いた。
「その悪魔も相当の手練れだな。これでわしの孫も少しは修行に励むことだろ」
彼女から手を離すと、タルシュはアルの返事を待たずに、孫のいる病室へと姿を消していった。彼に触れられた肩の温もりを感じながら、アルは呆然と立ち尽くしていた。
「彼は必死で部下を助けようとした相手を決して責めたりはしないよ。そして、それが自分の家族を死に追いやった相手だとしても、常に敬意を払い、制裁を下す。それが、彼だ」
彼の入っていった病室の扉を見ながら、カイトはアルの横で言った。
「カイト………」と再びアルが彼に問いかけるのに数秒の間があった。
さぞかし緊張していたのだろう、無理はない。と一人納得し、いつも通り「カイトさんな」と告げると、
「どうしよ、私、殺される…! 羽斬り落とされるかな…? 完全に宣戦布告だよアレ」
と青ざめた表情でカイトに見たのだった。
予想以上の慌てぶりに、流石のカイトですらかける言葉に詰まる。
「……いや、たぶん褒めてたんだと思うんだけど……」
「いや絶対当て付けだ。私の可愛い孫と知ってここまでやるとはいい度胸だ、って事だよお、たぶん」
アルの中では、タルシュからの「ありがとう」は感謝の意ではなく、「次はないからな」という脅迫にも近いそれに解釈されていたのであった。
混乱するアル達に「おほん」と一人残った女性が咳ばらいをし、話に終止符を打った。
「あ、すみません。」
咄嗟にカイトが申し訳なさそうに頭を下げた。続いて我に返ったアルも、そういえばこの人誰だろと、カイトを向いて問いかけた。
「カイト、この人は?」
「こちら、ここの看護部長のマタニティさん。君の部下達の手当をしてくれた天使だよ」
それを聞き、彼女に振り向く。
穏やかな表情で、縁の丸い眼鏡をかけた女性はアルと目が合うなり、軽く会釈をしてくれた。その素顔に、アルは初対面にも関わらずどこか気持ちが安らいでいく感覚を覚えた。
「ど、どうも……」
緊張はタルシュのときよりは取れていたものの、まだまだ強張りながら、アルはマタニティにお辞儀をした。
「お嬢さん、よくここまで頑張りましたね。あなたが急いでここへ連れて来てくれたお陰で、彼は一命を取り留めることが出来ました」
「い、いえ……私は、なにも」
「いいえ、あなたが癒しの性質であったからこそ出来た応急処置です。患者から痛みと不安を消すことは治療の場でも大切なことです。もっとご自身に優しくなりなさい」
その優しげな声と言葉に、アルは少し頬を赤めながら頷いた。
「…は、はい……」
「そうかしこまらないの、助けたんだから胸を張りなさいっ」
「はい…!」
「ところで、なぜ彼と」
間に、カイトがマタニティに問いかける。
「お孫さんがどこの病室かわからないってね、案内したんです。丁度あなた達にも言わなきゃいけないこともあったし。結果、出ましたよ」
ここへ運ばれる途中、カイトはチサ達が遭遇したという二人の悪魔のことを彼女に調べてもらうよう頼んでいたのだ。マタニティは看護部長であると、また魔族調査研究員の一人でもある。チサ達の証言を元に、ほかの研究員達を集め、その正体を調べていたのである。
「おそらく、彼女達が遭遇した悪魔は『卵』です」
いまいちぴんと来ない用語に、アルは自身のよく知る食べ物の方を思い浮かべて、二人に問いた。
「……たまご? たまごって、あの卵?」
「イメージしてるのちょっと違うかな、」
とカイト。そう言うと、一つ間を置いてからアルに話し始めた。
「『卵』を説明する前に、まずは『十柱』から話した方がいいかな」
「とばしら?」
またしても聞きなれない言葉に、アルの頭の中で疑問符だけが増えていく。
「十人の代表魔族のことさ。その実力は魔王と同等という話もある。魔界最高司令官である大魔王直属の配下であることから、大魔王を支える十人の柱として、『十柱』と呼ばれるようになったんだ。次期大魔王も、その中から選出される」
彼の言葉に恐れを身に染みながらも、アルはどこか胸の高まりを感じていた。
そして、ふと、アルはその彼の発言に疑問を覚えた。
「……それのどこに、卵要素が…?」
そのセリフを待っていたかのように、カイトは続けた。
「卵は、その子に値する者達のことなんだ。実力はまだそれといったところじゃないけれど、将来を嘱望された子供たちだ」
「あなたの部下の腕を切り落とした悪魔がそうよ」
それに続けるように、マタニティが言った。
「それにしても、本当ですか」
「あの子達の証言から、氷の使い手は間違いなく『卵』でしょう」
「氷の悪魔……ということは彼女の、」
「…でしょうね。そうとしか考えられないわ……」
二人の会話をまるで聞かず、アルは一人、アザレスで出会った長い黒髪の悪魔のことを思い出していた。
次回4 2/2は本日の午後九時以降に更新予定です。




