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重い分厚い雲に覆われた空は、まるでこの悲惨な現実から目を背けるかの如く浮かんでいた。
その下では、いくつもの数の天使と悍ましい姿をした化け物による死闘が繰り広げられつつあった。
魔獣。獣の中で特殊変異を持って生まれたもののことをそう呼ぶ。大きさは個体によりそれぞれで、大きいもので数百メートルもあるものもいるという。
両者の死体があちこちに転がる中、一体の天使が現れた。顔には魔獣にやられたであろう切り傷がいくつも刻まれていた。頼みの剣も折れ、敵に追われた挙句ここまで逃げてきたのである。
「くっ、」
壁に追いやられ、折れた剣をそれでも自分を追い込んだ敵に突きつける。
向けられた凶器に、その二匹の雄叫びが轟いた。二足歩行で叫ぶライカンは、狼のような顔つきはしてはいるものの、体は異常なまでに巨大化しその天使の体をゆうに越している。丸太のような腕には鋭いかぎ爪が伸び、獲物を狩ろうとするその眼光は一直線に追い詰めた天使に注がれている。
グオオオオオオ!! ライカン達の咆哮と共に天使に鍵爪を振り上げる。とっくに戦意を失っていた天使はついに覚悟を決めたらしく、瞼を閉じ終わりを待った。
だか、いくら待っても天使の体に痛みは感じられなかった。薄めを開け状況を確認するが、どういうわけか振り上げられた腕はそのままの状態で宙に浮いていた。
ライカン自身も何が起きたのかと、上げた腕を見ると、無数の鎖がそこには複雑に絡み付いていた。鎖の先を目で追うとその後ろで、やらせないと言わんばかりに一生懸命に鎖を引くチサの姿があった。
「こっちよ、化物!」
彼らの頭上から今度はミラが大声で注意を引ひ、ライカンが顔を上げたところで彼女は杖をライカンにかざした。
「イエロ 女王の息吹!」
ミラがそう唱えると、杖の水晶に冷気が溢れ出し一直線に標的のライカン目掛けて飛んでいくと、その冷気がライカンに触れた瞬間、ライカンは氷漬けになった。それを待っていたかのように、鎧に武装したシオンが長剣をその魔獣に振り下ろした。
「うおおぉりゃああアアッッ!!」
氷漬けになったライカンは綺麗に真っ二つになり、そこから亀裂が入ると粉々に砕けた。
同胞がやられたことを悟ったもう一体のライカンは、その少年に威嚇を浴びせる。とその横で、いつの間にか現れたマークがマントから分厚い一冊の書物を取り出し何かを唱えていた。そして、マークは魔獣の頭を指差しこう告げる。
「光魔法 レイ————」
彼の指先に小さな光が集まり、ライカンの額を貫いた。
何が起きたのかも分からないまま、ライカンは倒れ絶命した。
「まずは、二匹だな」
シオンが長剣を振り上げ、肩にかけて言う。
それを彼らとは少し離れ、ひらけたところでアレクは見事といった様子で背中越しにアルに話しかけた。
「ほう、今回のエンジェル達はどれも優秀だな。隊長さん」
アレクのおだてに耳を貸すものの、アルは目の前に現れた三匹の魔獣に臨戦態勢をとっていた。
低く唸りながら、真ん中にライカン。その左に全身を茶色い毛で覆われた魔獣ハイート。右にはタコのような頭を持ったクラーク。彼らの咆哮とともにライカンが一体でアルに突進してきた。だが、彼女は身を屈め敵に踏み込むことで攻撃を避け、それに応じて懐に入った。そのまま無防備の腹部へ強烈な打撃を食らわす。
「ちぇあッッ!!」
渾身の一撃は見事に敵の急所をつき、魔獣は声を漏らす代わりに青い液体を吐き出した。その背後にもう二体が攻撃を仕掛けてくる。しかし、その攻撃はアルに倒された魔獣に向けられた。正確には、向かうはずだった標的が消えたのだ。仕留め損ねたことに気付き、魔獣達は辺りを散策する。その頃、アルは空中に飛躍していた。
「っぬああ!!」
相手の位置を空中で確認し、空高く上げられた右足をクラークに振り下ろした。蹴りは魔獣の脳天に命中し、今にも目玉が飛び出してきそうな勢いだった。そのままその頭を土台に、ハイートにもう片方の足で再び蹴りを見舞いした。
「っせい!!!」
これもまた華麗に決まり、蹴りは魔獣の顎を直撃、歯の何本かが口から外へ避難した。
たった数秒で三体もの魔獣を一体で仕留めたアルに、天使達は歓喜に舞い上がった。
「すごい…」
「どうだ? あんたらの隊長さんはよ、大したもんじゃねえか」
アルに感心の目を向けるチサとアレク達天使だが、自分達の隊長の活躍だというのにミラ、マーク、シオンの三体は納得のいかない様子でアルを見つめていた。
「あんた、格闘系なんだな」
再び背中合わせになり、アレクの一言に次の敵に対し再び臨戦態勢なり、背中越しで答えた。
「ああ、触れた方が勝敗がすぐにわかるから」
って口では言ってるけど私、武器使って戦うの苦手なんだよね。
「そうか、それなら俺も縮こまっちゃあいられないな!」
陽気なアレクの声に反応し、二体を囲んでいた魔獣達が殺到した。すぐさま、前の敵に精神を集中させるが、背後から強大な霊力を感じ振り返る。すると、そこには大きな筒のようなものを両手で持ったアレクの姿があった。その筒の入り口に霊力が集まっているのか、鮮やかな色を出して今にも飛び出しそうだった。
「しゃがんでいろ! アル!」
不意にアレクが叫ぶ。反射的にアルは前の敵のことも放り出し、出来るだけ身を小さくした。
「夜に咲く手筒花火!!」
アレクの雄叫びと同時に、はち切れんばかりの光が空へ向かって放たれると、方向を変えアルとアレクを囲んでいた魔獣達に目掛けて急降下し始めた。一つは小さい光の粒が、目では識別出来ない数で、魔獣達の体を蜂の巣の如く突き抜けていく。
「どうだ、俺の攻撃は。綺麗なもんだろ、ははははっ!」
満足げに笑うアレクに、アルはひょこっと頭から顔を出し彼に振り返った。
「まさか、召喚魔法の手練れでしたか」
召喚魔法とは、異空間からものを取り出す魔法であり、大きく分けて二つ種類がある。一つは神獣や使い魔などの生命体の召喚。もう一つは、彼のように武器を異空間に事前に置いておき、必要なときにいつでも手元に出すことが出来ることをいう。ものを大量に所持する者にすれば便利な魔法である。
「おう、俺の武器は持ち運ぶにはちと骨が折れるものでな」
その後、アル達や他の隊の天使達の活躍もあり、魔獣との攻防戦は見事天使達の勝利へと傾きつつあった。
気付けば、魔獣達で立っているものはいなくなり、両者の死体が地面に散乱していた。だが、その死体のほとんどは魔獣のもので、戦死した天使の数はごく僅かに収まっていた。
「有難うございます。アレクさん達のお陰で助かりました」
先程、二体の魔獣から生還した天使が深々とアレクにお礼を言っていた。
「いやいや、俺は何もしてないよ。感謝なら今期の支援部隊の子達に言ってやってくれ。とは言え、まだ気は抜けん。先に後退していろ。お礼はその時にな」
「はい!」
そう言うと、天使は二枚の翼を広げ壁の最上階を目指して飛んで行った。
その頃、アルは倒された魔獣達を見下ろしていた。周りからは仲間の死を嘆く天使の泣き声が聞こえ、無力な自分への苛立ちを向けるところを知らずに、ただ血と涙を吸い込んだアザレスの地面を踏みつける音がした。
だが、彼女はそれに同情することはなかった。これが戦争だと、ここへ来るずっと前から知っていたからだ。ましてや、見ず知らずの同族が死んだところで、それを悲しいとも思わない。ただ、虚しいだけだ。
「どうか、この子達の魂が自由であるように」
そう祈ると、隣にアレクがやって来た。こう見ると、親子ぐらいの背丈がある。
「一先ず、我々の勝利だが。どうもいい気分にはなれんな」
アレクもどうも素直に勝利を喜べないらしく、アル同様に死体が転がる荒野に目をやった。
「………みんな、必死なんだ。こんな中でも、生きてたいって精一杯なんだよ。きっと」
生きるためには邪魔なものを取り除かなければならない。彼らにとって、それが私達だったというだけ。他に戦う理由もない。
「……そうだな…………」
すっかりしんみりとしてしまった空気に、アルにはアレクが何かまだ思い詰めているように思えた。
「どうした…んですか?」
「ん、あ…いやな。どうも……妙でな」
眉根を寄せ、顎に手を置く。
「いつもは、この数の数十倍は来る。この壁よりもでかいやつもな。」
そう言うと、後ろの壁を見るとまた前に顔の位置を戻す。
「だが、今日はなんだ」
その言葉に、アル自身も前線にしては手応えが余り感じられなかったことを思い出していた。
確かに、このくらいの実力ならば、私達が招集されなくてもアレク達だけでもなんとか出来たはずだ。それなのに……なんだ、この胸騒ぎは。
「………一つだけ、考えられることがある」
重く口を開いたアレク一言に、アルは顔を上げる。
「悪魔がここに来ている。それも、複数な」
その言葉に、アルに緊張が走る。
悪魔は、まず魔獣達を前線に向かわせるという。だが、そのほとんどの魔獣は悪魔を恐れており、無理矢理戦場に駆り出している話もある。そんな恐怖心からか、魔獣達は身近に悪魔の気配を感じると何処かへ逃げてしまうらしい。だが、悪魔自ら前線に来ることは滅多にない。もし、アレクの言った通りこの違和感がそれならば、一気に片をつけなくては………。
そのとき、アルははっとしたよう周りを見渡し始めた。しかし、いくら往復しようとも、どこにもエンジェル達の姿は見つからなかった。




