悲劇の予言
雲を抜けた先には青空が広がっていた。
空と雲の境界が横に並行で分かれ、お互いの領域を保っている。そこへ、何かが降ってきた。
流れ星のような一筋の光だが、今はまだ昼間である。
光の正体は赤い、首飾りに嵌め込まれた宝石だった。上空にも関わらず、それを所有するのは白装束を纏った生き物だ。人の姿をしているが、背中には左右に三枚ずつ翼が生えていた。その種族の名は『天使』。どこへでも自由に飛翔できることを願う意が込められている。
だが、天使の翼は飛翔するどころか、六枚とも黒く焼き爛れていた。骨組みが痛々しく露出し、重力に抗う様子もなくただ落ちていく。ほかにも、衣装のあちこちに切り傷や焦げ跡、隙間から覗いた肌は赤黒く変色していた。
風圧で千切れかけた羽根や衣服が次々と本体から離れて塵と消えた。やがて、天使の体は雲より下へ沈んでいった。
視界が雲で覆われると、次の瞬間灰色の風景へ開けた。地上は土砂降りの雨だ。大粒の雫とともに地面に叩きつけられ、辺りに亀裂が走る。
仰向けに倒れた天使に容赦なく大粒の雨が降り続けた。乱れた白髪がべっとりと顔にへばりつく。
泥水を浴び、ぬかるんだ土が不快に髪や皮膚に絡みつくが、体を捻じる余力も既に天使には残ってはいなかった。
かつては美しかったであろう容姿は、血と汗と泥水で汚れ見る影もなかった。絶命したかと思われたが、雨音に微かに呼吸音と胸部が上下運動を繰り返し始めた。
そこへ、天使を囲うように四人の同族が現れた。純白の鎧を身につけ、光り輝く姿は本来の天使の威厳を放っていた。倒れた同胞を見る彼らの視線は冷徹だった。まるで敵に向ける憎悪そのもののように天使を見下ろした。
「あなたの負けよ。」
脚側に立つ一人の女天使が告げた。
数十年も昔のことである。突如一人の天使が神に反旗を翻したのが全ての始まりだった。天使は多くの同胞を手玉にとり、軍を作り故郷である天界を侵略しようとした。争いは熾烈を極め、多くの死者が出た。しかし、
その争いに、ついに終止符が打たれようとしていた。
神に反旗を翻した元凶の天使、その本人が四人の天使たちの目の前にいる。呼吸をするのがやっとなほどに衰退した裏切り者を見逃す理由などなかった。
「あなたの謀反はすべて鎮圧されました。これからあなたには天界及び、神への反逆罪として相応の裁きが下される。
随分と、やらかしてくれましたね」
冷静に話を続ける女天使たちの周りには、無数の同胞の死体が転がっていた。それは、この土地一面を覆う程の規模だ。
天使達の亡骸から流れた血液が雨と混ざり、落下した天使によって出来た凹みへ流れ込んでいく。赤い水溜りは徐々に白装束を赤く染める。
亡骸は互いが重なり合い、その数の数十倍の抜け落ちた羽根が供花の如く彼らを飾る。
鉄臭、蒸した雨の臭い、騒がしい雨音、憎悪剥き出しの頭上の天使たち。放心状態の天使は一つ深く息を吸って吐くと、不気味に笑い始めた。
「負け? 私が?」
重く、圧の籠った声は戦況がはっきりしていながらも、四人の天使たちを警戒させた。
「そうか、お前たちにとってはこれが勝利か。それはとても切ないことだ。悲しく悲しく、それでいて愛おしい子たちよ」
圧のこもった声から一変、言葉には怒りといった負の感情はなかった。まるで我が子を愛でる親の心境。
「……終わりにしましょう」
判決を言い渡すように、女天使が告げた。すると、彼女の手から炎が溢れ、裏切り者へと燃え移った。
炎に身をよじることも悲鳴をあげることもなく、至って天使の表情は穏やかだった。その口が最後に開く。
「あなた達がまた誰かを愛するのならば、いずれまたこの争いは起きるでしょう。しかし、あなた達はそれを防ぐことは出来ない。なぜなら、あなた達は愛の前では無力なのだから」
一つの予言を遺して、天使の体は炎に飲み込まれた。やがて炎は地上に伏したほかの天使たちも包み込んだ。瞬く間に辺りは炎の海と化した。あの天使の後を追うかのように、空高く火柱が立つ。雨の中、燃え盛る勢いは劣ることを知らず、すべてを我がものとした。
後に、この争いは『天魔境戦争』と呼ばれることになる。多くの反逆者を作り、そのほとんどが帰らぬものとなったことは天界史上もっとも悲惨な事件となった。
天使の反乱は鎮圧され、しばらくの平和が続いた。あのときの予言を誰も鵜呑みにはしていなかった。魔界が天界を標的にするそのときまで。
これは、終わりから始まったその後の物語———。
(2018年10月10日大幅に編集をしました)