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天国への横断歩道

作者: 三日天下

 男の家の前には横断報道がありました。

 男は出かけるときには必ず横断歩道を渡っていきました。

 遊びに行くとき、学校に行くとき、会社に行くとき、旅行に行くとき。

 出かけるときには必ず横断歩道を渡りつづけました。

 月日は流れ、男は老人へとなりました。

 老人となった男は窓から見える横断歩道をじっと見つめました。

「やれやれ。私も年を取ったが、お前も随分くたびれた姿になったな」

 窓から見える横断歩道に男はボンヤリと語り始めました。

 男が子供の頃、横断歩道は真っ白でした。

 しかし長年の風雨にさらされ、いつの間にか横断歩道のペンキは所々はげ落ち、すすけた色となってしまったのです。

 それは確かにくたびれた姿に見えました。

「考えてみればお前には随分と長い間世話になってきた。だというの、私は礼の一つもしたことが無かったな。ふむ」

 男は老いた身体をゆっくりと動かし、物置から白いペンキを持ちだしました。

「どれ、一つペンキでも新しく塗ってやろうか」

 そう呟くと、男は横断歩道に新しいペンキを塗り始めたのです。

 それはすっかり足腰の衰えた男には大変な作業でした。

 しかし男は長年の感謝の気持ちを込めて作業を行いました。

 それから間もなく、新しいペンキに塗られた横断歩道は白い輝きを放ち始めました。

 作業を終えた男は額の汗を拭いながら満足げな表情を浮かべました。

「よし綺麗になったぞ。新品同様だ。これならこれから先も頑張れるぞ」

 男の言葉に、横断歩道はどこか嬉しそうに輝いて見えました。

「もうお前の上を私が渡ることは、そう何度もないだろう。年だしな。だがお前にはまだまだ未来がある。これからもみんなの為に働くのだぞ」

 それから間もなく。

 男は風邪をこじらせて誰にも知られることなくひっそりと亡くなったのです。


 暗闇の中、男は目覚めました。

 いったい何故自分はここにいるのだろう。随分暗いがここはどこだろう。他に誰かいないのだろうか。

 男は周囲を見渡しました。

 しかしなにも見えません。どこまでも闇が広がっているだけです。

 どうしたものだろうかと男が考えていると、不意にどこからか声が響いてきました。

「お前は死んだ。ここは天国への狭間。さあ天国への道を歩むがよい」

 突然の言葉に男は驚きました。

 ですが、その言葉に男は思い出したのです。自分が死んだことを。

「さあ正しい道を進むのだ。でなければ永遠に闇の中を彷徨うことになるぞ」

「ですが、こう暗くては道などなにも見えません」

「闇は生者たちの祈りによって払われる。お前の死を悲しむ者たちによって道は照らされるだろう」

「そ、そんな……」

「さあ早く正しい道を歩め。出なければ永遠に闇の中を彷徨うことになるぞ」

 男は困り果ててしまいました。

 人一番長く生きてきた男の家族は既に亡くなっています。友人や知人たちもです。

 なによりも、一人暮らしの男の死を知っている人間は恐らくいないはずです。

 男の為に祈りを捧げてくれる者はいません。

 かといって、このままでは永遠に闇の中を彷徨うこととなってしまいます。

 と、その時です。

「……心配いりませんよ」

 どこからか穏やかな声が聞こえてきたのです。

 その声は始めて聞く声でした。

 しかし、なぜかとても懐かしい声のようにも男には聞こえました。

 不意に、男の足元の闇が輝き始めました。

 白い輝きが交差し、やがてそれは形づいた物となっていきました。

 それは白い横断歩道だったのです。

 驚く男を前に、横断歩道は優し気に語り始めました。

「なにも心配することはありません。私が貴方を天国へと導きます。人々を正しい道へと導くのが私の役割ですから」

「な、なぜお前が私の為に……」

「私は貴方の成長を子供の頃からずっと見つめ続けてきました。その貴方とここで別れることは寂しいことです。ですがそれは悲しいことではありません。貴方は新しい世界へと旅立つのです。それは祝福されるべきことです」

「お、横断歩道……」

 感謝の気持ちで男は胸が熱くなってきました。両目から涙が溢れてきます。

「貴方が私の上を渡るのがこれで最後になるでしょう。さあ私の上を渡って天国へと歩むのです」

「………………」

 男はもう声を上げることも出来ません。涙が滝のように流れ続けます。

 そして男はゆっくりと、噛みしめるように感謝の気持ちを味わいながら天国への横断歩道を渡っていきました。 

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