生命が途絶えた私の人『セイ』
私はその時、ミルクたっぷりのコーヒーを飲んでいた。日も高く上がった昼頃で、洗濯物も乾かし放題だ。あー、暑い。すごい暑い。洗濯物が乾くのはいいけれど、これでは私まで乾涸びてしまう。
「あっついなぁ・・・・・・」
私はだらしなく、無駄に広いリビングの冷たい床に横たわる。この家自体が無駄に広いので、私一人では、部屋があまりすぎる。家の外からは風の音しか聴こえない。今日も何もないまま、一日が終わるなのかなぁ、などと思っていると。
バッリーンッ!! と、二階の方から何かが割れる音がした。
「な、なに・・・・・・!?」
おそらく、二階のどこかの部屋の窓ガラスが割れたのだろう、わずかだが、細かい破片をパリッ、パリッと踏み割る音が聴こえる。何者かが、この家に侵入してきたようだ。いや冷静に『してきたようだ』とか言ってる場合じゃない!
「こういう時は・・・・・・」
ひとまず、私はすぐそばに置いてあった、大きなクローゼットに隠れた。そして私は息を殺して、『誰か』が降りてくるのを待った。出来ることなら、何もないまま静かに終わって欲しい。
しかしそういう訳にもいかないようで。二階の方から大きな物音がしたと思うと。
「ちっ、さすがにいきなり見つかるなんて事はないか・・・・・・。聖眼・・・・・・、殺してでも俺のものに・・・・・・」
「っ・・・・・・!」
殺す。何者かは確かにそう言った。この家には昔から私しか住んでいない。誰かが同居している訳でもなければ、私が誰かの家に居候してる訳でもない。正真正銘、私の家だ。という事は。
「なるほど、人違い、いや家違いか・・・・・・」
私は小声でそう呟いた。そうだよね、普通に考えてそうだ。どうして私が殺されないといけないんだ。理由はどうあれ、侵入してきた何者かは、単に家を間違えただけで、殺すというのは私の事ではなくて――。
「ようやく見つけたんだ。絶対に奪ってやる――聖眼、アネル・カーティオラの眼を」
おっとー。なんで私の名前が出てきたんだー。しかも声にすごい威圧的なものを感じる。怖い! いや、そんな事言ってる場合じゃない。これで狙われているのが私だという事が確定した。
「ちっ、二階にはいないか・・・・・・」
という声が聴こえると、タンタンタンッ、階段を下る足音が響いてきた。一階には部屋が四つある。それぞれ隠れられるようなスペースはなかったはず。何者かが部屋全てを見て、私が不在であると勘違いして、諦めて帰ってくれる事を願う・・・・・・。
コツコツと、ローファーでも履いているのか、そんな音が無音の部屋にうまれる。
「そ、そうだ・・・・・・どんな人か見ておこう・・・・・・」
と、私はクローゼットにある小さな隙間から覗いた。その人は若い男だった。髪の毛は墨をシャンプー替わりにでもしてるのか、というほどに黒い。そして次に目に付いたのは、男の全身の装備だった。いまから戦争にでも行くのか、というほど、男は完全武装状態だった。一体この人は・・・・・・?
「・・・・・・」
ちょっと待ってください。どうしてちょうどクローゼットの前で止まるんですか。
「・・・・・・っ」
ふと、男と目が合ったような気がして、私は息を飲み込む。バレた・・・・・・? と思うと男はクローゼットに背を向けた。と思ったのだが。
痛みというものは遅れてやってくる。私が気づいた時には、右肩が赤く染まっていた。
「――え」
「便利だよなぁ、魔法って。銃に擬似的な強化サイレンスまで出来るからなぁ。まあこの家全体に消音魔法かけてるから蛇足気味だけどな」
「――いったああぁぁああいいいぃぃいいいい!!」
悲鳴をあげたと同時に、クローゼットが開かれた。
「・・・・・・こんな娘が、聖眼の所持者、か。まあそれはどうでもいい」
男はそう言うと、私の左目にその細い指を伸ばす。
「え、なにを――」
「ざしゅっ」
セルフ効果音と共に、その指を眼に突っ込んだ。
「――ッッッッ!!??」
そして人差し指と親指の二本でグチャグチャグチャグチャグチャグチャ!!!!
「――ぁぁぁぁぁぁぁああああああああああああ!!!!」
バタバタと、私は痛みに耐えられず暴れた。それでも男はその指を抜くことをせず、横に引っ張ったり、たまに押したりする。
「うあああああああ!! やめてえぇぇぇぇえええええええええええええ!!」
「ああ、もう、うるさいな。――ふんっ!」
男はそのまま、指を思い切り引き抜いた。その二本の指には、目玉が一つ。それは、紛れもない私の眼だった。
「あぐぅぅぁああああ・・・・・・」
「おお・・・・・・流石の聖眼。持ってるだけで力を感じるな・・・・・・」
男はそう言いながらそれを透明な液体の入った瓶にいれ、ポケットにしまった。
「ぅぅぅううう・・・・・・」
「――ちっ。もう死んでろ。うるせぇんだよ」
私の首に、冷たい手が回る。そのまま加減など考えずに力を込めて絞められて、私は――。
「――アネル! 起きろアネル!!」
私は叔父様に名前を呼ばれ目を覚ました。その時には車は出発した時よりもスピードが上がっており、ガタガタガタガタッ! という音が激しくなっていた。
「ど、どうしたんですか、こんな粗い運転なんかして――」
「後ろ見てみろ!」
私は言われたままに後方を確認した。
「!?」
そこには、竜がいた。一体だけではない、十数体以上の竜が追ってきていた。
「ななななな、なんなんですかあれ!」
「・・・・・・竜の首のとこ見てみろ」
そう言われて、私はもう一度竜を目視する。すると首に何かがついている事に気づいた。なにやらスカーフのように見えるが・・・・・・。それは黒の布地に、赤色で模様が描かれているだけの地味なものだったが、問題はその模様だ。
「あの模様って・・・・・・?」
「・・・・・・お前を殺した野郎、アイツがいる組織の連中だ」
叔父様はそう言うと、さらに車のスピードをあげた。それに合わせるかのように、竜たちも速度をあげて追いかけてくる。
「クソ、やっぱ逃がしてくれねえよな・・・・・・」
ちっ、と舌打ちして叔父様は私にむかって。
「アネル、運転交われないか?」
「む、無理ですよ!?」
「十秒だけ!」
叔父様はそう言うと運転席側のドアをあけ、車の上に飛んだ。
「え、ちょっと!」
ハンドルの自由から解き放たれた車は、好き勝手にフラフラと不安定に動く。
「うおおお、おいアネル頼むぞ!」
「ああもう! どうしてこんな事に・・・・・・」
私はしぶしぶ運転席に移り、ハンドルを握る。しかし今の私は、生前よりも貧弱なのだ。ハンドルを動かそうとしても、うまく力がはいらない。
「アネル、せめてまっすぐ走らせてくれねえか!」
「無茶言わないでくださいよぉ!」
なんて事を言い合っていると、竜がいる方から声が聴こえてきた。
「――おーい、止まれー。止まってくれーい、ねえー。飴あげるから止まってくれないかなー!」
呑気な声で無理難題を言うその声の主は、一際大きい竜の首に跨っていた。女だった。
「なあアンタ、なんで俺たちを追ってくる――」
「ねえー、止まってくれないの? 止まってくれないんだね? そう、そうなの。分かった。じゃあ殺して止める!」
「話聞けよ!」
女は腰のホルスターから小型の銃を取り出すと、照準を合わせることさえせずに発砲した。そして銃弾は明後日の方向へ飛んでいった。
「馬鹿が。下手くそめ、どこに撃ってやがる」
だが、銃弾は、ありえない角度をカーブして車の左後ろのタイヤを貫いた。機動力であるタイヤの一つを失った車は、バランスを崩してズザッー、と倒れた。
「きゃあああああああああ!?」
助手席側に倒れたことが幸いだった。ちょっと体を打った程度で助かった。が、大きな問題は、車での移動、及び逃走が出来なくなったという事だ。そして。
「お、追いつかれた・・・・・・」
私が倒れた車から這い出た時には、追ってきていた竜は地面に降りていた。涎を垂らし、こちらを睨みつけている、ような気がする。
「アネル、大丈夫か?」
叔父様は私の前に立ちながら、そう言った。
「え、ええ。なんとか・・・・・・」
「ならいいが・・・・・・それよりも」
竜を警戒しながら、叔父様は女にこう言った。
「アンタ、一体なにが目的なんだ? どうして俺たちを狙う?」
すると女は、不気味とも言える笑みを浮かべ、竜から飛び降りた。
「なにが目的? 決まってるじゃーん。そこの無駄に大きい胸のお嬢ちゃんだよー」
「ちょお! 気にしてるのに・・・・・・」
「まあ、そんな事はどうでもいいの。私のほうが大きいし――ほら隙ありぃ!!」
目前に刃が迫っていた。女の手元から伸びた銀色の刃が私の眼を貫こうと迫る。
「――え」
――刺される! 私は瞬間動けなかった。しかし次に現れたのは赤い銃だった。
「おお、おじさん。思ったより早いねぇ、反応できると思わなかったよ」
「・・・・・・こちとら、伝説の異名を背負わせてもらってるんでね。アンタ程度、どうってことないさ」
ふふん、と叔父様はニヤリと笑った。伝説。言葉にすると少しくすぐったい気がするが、それは世界中の人間が認知してる事だ。――伝説、ジーズス・カーティオラ。最強の魔法使い。
「どうした小娘。もっと早くしてもいいんだぜ?」
「言われなくてもそうするわジジイッ!!」
女はもう片方の手に、もう一本ナイフを逆手に持ち、殴るかのように切りつける。だがその刃は、叔父様にあたる事なく、消し飛んだ。
「あ?」
というか女の左手首から先が失くなっていた。傷口からはドロっとした血がピュピュッ、と飛び出す。「――あっぢぃぃぃいいいいい!? いや痛え!? あぢい! 痛え! クソがぁぁぁあああ!!」
女は醜く叫びながらその場にのたうち回る。グギィィ、と涙目になりながら叔父様を睨みつける女を見下ろしながら、その手に宿した炎を鎮めながら、叔父様はこう言った。
「――おお、小娘。思ったより弱いな。反応できないとは思わなかったぞ」
「〜〜〜〜ッッ!!」
悔しそうに、唇が切れるほど噛み締め、顔を赤くする女。それを見て叔父様はクツクツと喉で嗤う。
「おら、見逃してやるからさっさと失せろ」
「――残念だけど、そうはいかないのよ」
頭の中に響く声。叔父様は飛んだ。
「ぐあっ!?」
10メートルほど離れたところまで飛ばされた叔父様は驚いたように眼を見開いた。当然だ、さっき手を飛ばしたはずの女がピンピンして立っているのだから。
「・・・・・・幻影魔法か。ちっ、嫌な魔法を使いやがるな」
「まぁねええ。そんな簡単にやられる訳にもいかないのよ」
女はそう言って、私のほうに振り返る。失くなったはずの左手は、ちゃんとそこにあった。そして嬉しそうにニヤァ、と笑うと。
「それじゃ、今度こそ貰うよ、その眼を!」
と、女が私に迫ろうとした時。女は突然ピタリと止まった。
「・・・・・・え」
「くそ、時間かよ・・・・・・良かったねぇ、お嬢ちゃん。とりあえずは助かったね」
女はそう言うと竜に飛び乗った。そして私たち二人にこう言い放った。
「――いつまでも《私たち》はお前たちを追い続けるぞ。アネル・カーティオラの聖眼を奪うまでなぁ!」
女は竜を飛ばせて、その場から去っていった。嵐のようにやってきて、嵐のように去っていく。私の頭にはなぜかそんな言葉が浮かんだ。