『死人』
死にながら生きることに、彼女は意味を見いだせるのか。
私の一日は一個のレーズンパンから始まる。別に誰かを意識している訳ではない、本当にそれで始まるのだ。どんなに寝起きが悪い私でも、これさえ口に入れればとたんにテンションMAXだ。それだけ好きなんだもの、レーズンパン。というか蒲萄美味しい。これがあれば生きていける。もう死んでるけど。
死んでいる、とは言ったが、私は二本の足で自立し、こうしてパンを、物を食べている。じゃあ本当は生きているのでは? いいえ、ちゃんと死んでいます。自分の死亡を認める事に多少の抵抗はあるが、まあ、事実なので仕方ない。
え? なんで死んでるのに普通に生活してるのか? それはここが天国だからです。嘘です、実は地獄です。もちろん嘘だ。
生命を終えた私が、どうしてまたこうして生きているように生活しているかというと、それは私の叔父様のおかげです。私が家で絶命して、倒れているところを叔父様が見つけてくれて、蘇らせてくれた。蘇った、とは言うが、生前とまったく同じなわけではない。今の私はいわゆるゾンビ状態だ。・・・・・・ゾンビか。一応私も年頃の女の子なもんで、ゾンビ扱いはちょっと嫌だと思いましたが、死んだままよりはマシだと開き直ることにした。
そして私を蘇らせてくれた、叔父様。
叔父様は、私が生まれるずっと前から偉大な魔法使いとして、崇められていた。なんでも、私が住んでいるこの村が、天地を揺るがすほどの大災害――いわゆる天災だ――に襲われた時、村を救ったのが叔父様だとかで。その天災は過去にも例がないほどのものだったらしい。大地をえぐれ、山は崩れ、海は人を食べた。もう誰も彼もが、もう駄目だ、ここで死ぬんだと悟った、のだが。そんな時に現れたのが、私の叔父様だ。
その時に、叔父様がどうやってその場を収めたのかは、私は知らないけれど、見た人はそれを『奇跡』と言った。次の日にはもう、いつもどおりの日常に戻ったらしい。全てを蘇らせる再生魔法、それは叔父様だけが使える超上級魔法。私が蘇ったのもそれのおかげだ。
蘇ったとき、私は片眼を失くしていた。消滅したわけでない、とある魔法使いに奪われたのだ。無理やり眼球を引っこ抜いたのだろう、眼の奥から血が溢れていたと、叔父様は言っていた。
そして叔父様は蘇ったばかりでまともに動けなかった私の面倒を見てくれた。15歳の女の子の世話なんて、慣れてなかったのだろう、ものすごく戸惑っていた。いや人の世話をした事がないだけか。お茶の沸かし方さえ分かっていなかったのだから。お皿も何枚か割った。ようやく動けるようになった時には、ここって本当に私の家・・・・・・? と思うほどに散らかっていた。それの片付けは私がした。叔父様にも手伝ってもらったが、それでも丸一日かかってしまった。
私は自身の『失くなった片眼』の代わりに、叔父様に埋めてもらった義眼を撫でた。痛かった。叔父様特製の魔法の義眼だ。視力も、元々の眼と対した差はない。私の眼は黄色なのだけど、左の義眼は赤色だ。自分ではまったく分からないけど、傍から見れば違和感があるだろう。どうして私の片眼が奪われたのか、そしてどうして死んでしまったのか、それは――――。
私の目には膨大な魔力が潜んでいる。それは叔父様から聞かされたことだ。私に、魔法使いとしてのセンスはないが、魔力の量は異常だという。私にその自覚がないので、そうなんだ、としか言えなかった。だが私はそれが原因で『殺された』。狙いは私の眼だったようで。
叔父様はその時にこう言った。
「・・・・・・まずいな。お前が持っているから安心していたが、わざわざ奪いに来るような奴らだ。悪用するに決まってる」
叔父様は私の眼を奪った魔法使いを追うことにしたそうだ。頼りになるのは、その男の顔だけだ。危うくもう片方の眼を取ろうとしたところに、叔父様が偶然私の家に来たので、魔法使いが逃げ出そうとしたその時に、叔父様も魔法使いの顔を見ていた。私は叔父様について行くことにした。叔父様は止めた。私一人で十分だ、お前はおとなしく待っていろ、と。だけど私はわがままを言いました。連れて行ってくれと。最後には叔父様は折れて、翌日には出発するから準備しておけ、とだけ言って私の家を後にした。
そして一日経って、6月27日。旅立つ日。特に汚れていた訳ではないけれど、掃除とかしてしまった。やはり長い間留守にする事を考えると、つい。洗濯物は・・・・・・やめておこう。今からじゃ間に合わないかもしれない。なにより、脱衣場にはまだ、私の血のついた衣服が散らばっているだろう。正直、自分の血で汚れた服なんて、できれば見たくない。あの服は捨てることにしよう、と思っていると、コンコン、というドアをノックする音が響いた。
「――アネル? 準備は出来てるか、もう行くぞ」
叔父様がやってきました。もうそんな時間か。時間が過ぎるのって早い。私は適当に使った食器を片して、戸締りをする。窓よし、トイレよし、キッチンもよし。うん、大丈夫だ、これで長い留守の間、泥棒さんは入れない。盗る物なんてないけど。とりあえず、最低限必要なものだけ持って、私は扉を開けた。
「おお、なにいっちょまえにおめかししてんだ」
叔父様はそう言うとその大きな手で私の頭を掴むように撫でた。
「いいじゃないですか、私だって女の子ですよ」
「まあな。――で、最後に聞いておくが、本当に行くんだな?」
この質問は私を心配してくれている証拠なんだろうけど、私はそれに、うん、と答えた。すると叔父様ハッハッハ、と笑った。
「なら、行くか。お前の目を取り返しに、そして――世界を見にな」
叔父様はそう言うと、私に杖を手渡した。・・・・・・なんだろう、これ。何に使うのだろうか。歩くときに使うのかな。長旅になるだろうし。なんて事を考えている事が見抜かれたのか、叔父様は。
「・・・・・・それは歩くときに使うものじゃないぞ」
べべべべ別にそれぐらい分かってましたよ。ええ、もちろん。
「それはお前の母さんの物だ」
「え」
意外か? と叔父様は言いました。・・・・・・この杖はお母さんの?
「まあ、それがなんなのかは今はまだ知らなくてもいいか・・・・・・。とにかく、それはお前が持っておけ」
叔父様はそれだけ言うと、歩き始めてしまった。
「あ、待ってください叔父様!」
私はその背中を、追うのだった。
一度死んだその体で。
生きている大地を踏んで。
「――ところでお前」
「なんでしょう。叔父様」
「下はどうした」
「え?」
「なんでパンツなんだ」
「――え」
下を見るとパンツがあった。え、ちょ、しまった。なんということだ。私とした事が、うっかり・・・・・・って、ぎゃあああああああああ!!??
「なんでもっと早く言ってくれなかったんですか!」
私は悲鳴に似た叫び声をあげながら、別れを告げた家に飛び込んだ。
「いやもっと早くって、家から出てくる前に言えってか。家だけに」
「面白くないし、それは比喩です! ああ、もう! 幸先悪すぎる・・・・・・」
私はトボトボと、本来なら私の腰にあったであろう、派手すぎない膝が隠れる程度のロングスカートを手にとった。うう、まさかこんな失態をするとは・・・・・・。
「おぅい、まだかー。置いていくぞー」
「ま、待ってください! いま行きます!」
私はドアを突き破るように勢いよく開けて、外に出た。その際に長めのスカートを履いたのが悪かったのか、自分でスカートを踏んでしまい、バランスを崩して転んでしまった。
「ぎゃう!」
「・・・・・・お前、この先大丈夫か?」
「だ、大丈夫ですよ! 転けただけです、なんて事はないです!」
そうか、と叔父様は私の手を掴んで、体を起こしてくれた。
「ありがとうございます、叔父様」
「ああ――さて。向こうに俺の車を止めてある。とりあえず、そこまで歩くぞ」
「――はい!」
私は杖を大事に抱え、叔父様の後ろについて、前に進む。これから始まる長い、永い旅に。
叔父様の車を案外すぐ近くにあった。叔父様はキーで車のドアをあけ、乗り込んだ。私は助手席に、ゆっくり乗った。今のこの体は生前より脆くなっている。なのでちょっとぶつけるだけで結構痛い。動作の一つ一つに気を使わないといけない。
「――よし。じゃあ、向かうか! まずはひたすら東に行くぞ。そんで、そこで聞き込みでもなんでもして、お前の目を奪った奴見つけて、ぶっ飛ばしてやろうぜ!」
叔父様はアクセルを踏み車を発進させた。ガタガタっ、となんだか壊れてしまいそうな音をたてながら車は前に進む。
「しばらくは車での移動だ。寝ててもいいぞ」
「・・・・・・そう、ですね。この体になってから、どうにも眠くて・・・・・・」
「だろ? ま、到着したら起こしてやるからよ。・・・・・・なぁに、別に寝てる間に今度こそ死んじまうなんて事はねぇから安心しな」
叔父様はそう言うと車のスライドウィンドウを開けた。そこからはいってくる風が心地いい。・・・・・・これは例えこの体でなくとも、眠くなってしまうな。
「じゃあ、そうさせてもらいますね・・・・・・」
私はそう言い、瞼を落とす。
この辺りは建物が少なく、いわゆる田舎というやつで、人間より動物とかの方が多い。天災が起きて以来、ここに住んでいる人は減った。まあそのおかげで、建物は減り、自然が増えたが。
「ああ。おやすみ」
眠りにはすぐに落ちた。思ったよりもこの体の負担が大きい、ということだろうか。
――そして私は夢をみた。私に起きた、悲劇の悪夢だ。
旅立ち。