第7話 新たな動き
第7話です。楽しんでいただけたら幸いです。
ある日の、新月の夜。
相模国、小田原。
北条氏の本拠地であり、小田原城近くにある居館にて北条家3代当主、北条氏康は風魔忍群頭領である風魔小太郎より、安房国に関する報告を受け取っていた。
「館山湾の開発か、厄介な……」
「はっ、左様でございます」
小太郎は頷く。
「しかし、この報告ではあまりにも抽象的過ぎる」
そういって、小太郎から渡された紙を見せつける。
氏康が受け取った報告は、
・館山湾に一大拠点を整備している。
・大規模な生産拠点を含む城下町が建設されている。
・人夫は賤民が中心。
・海岸から海に向かって船を止める“橋のようなもの〟を作っている。
・用途不明の道具類を製造中。
・大型船を建造中。
・水軍は気象学、算術、読み書き含めて訓練中。
―――等々。
氏康からすれば要領を得ない、重要な所だけ分らない報告に苛立ちを隠せなかった。
「申し訳ありませぬ。配下の忍が言うに、あまりにも物珍しい道具が多く、更に理解できないことが多数あるようで……」
北条家では他国から有用なものは取り入れようと、風魔の情報を基に政策や道具の開発を行っていた。特に里見家は有用そうな農業政策や道具類が多く、北条方でも実行したところ失敗が多いのだ。
農業では百姓や役人にそういった知識が無く、また部分的な情報であったため、上から言われた通りにやっても苗を育てる際に枯らす、芋類から病気が発生するなど、逆に収量が落ちた場所も出ていた。
道具も円匙、十字鍬といった分りやすい農具類はともかく、忍には旋盤や紡績機、運搬車といった類の何に使うのか、また構造が良く分からないものが多いのだ。
特に運搬車は小回りが利き、大量の荷物が運べるその便利さが報告され、相模国の職人衆に再現を命じたものの、ベアリングの仕組みを知らないために重く、大八車の様な劣化品しか作れなかったのだ。
使ってみても言うような便利さは感じにくく、唯でさえ下に見られやすい忍に対して不信感が現れていた。
「ちっ、どうしようもないな。この大規模な生産拠点はどうだ?」
「周りを堀と塀で囲んでおり、常に兵士が巡回しております。中では武具を中心に生産されている様ですが、数名の配下が侵入するとの連絡を最後に途絶えております。恐らく、捕まった模様です」
「……一人残らず、か?」
「はっ……」
氏康は風魔のあまりの不甲斐なさに怒りが込み上げるが、怒鳴りつけても変わる筈もないため、落ち着かせるように2回、3回と長く息を吐き出した。
「……まあ良い。それだけ厳重ならば中にはそれだけ重要なものが有るということだ。何としても探り出せ」
「御意」
次は失敗するな、と念を入れて、攫われた民の状況について聞く。
しかし、これも芳しいものでは無かった。
「男は人夫、女子供は製糸業や〝食堂〟という海岸沿いの大規模な食事処にて給仕にあたっており、衣食住が提供され、更に給金も出る現状に不満は無いようです」
「厄介な、ここまでやりづらいとは……。風魔、この館山湾を主導しているのは誰だ」
恐らく義堯の側近か、家臣団の中から任命したのだろうと思っていたが、風魔の答えは更に予想を超えていた。
「里見義堯の子、五郎でございます。」
「なにっ、義堯の、元服前の小童だというのか!?」
「はっ、某も信じられませんでしたが、本当のようです。政務の類は安西の者がやっているそうですが、政策の発案、特に水軍に関わっているとの事であります」
「……ちっ、義堯め。陸だけでなく海に自分の手駒を置いて権力を集中させるつもりだな」
氏康にも直ぐに義堯の狙いが分かった。
義堯は陸では嫡子の義舜、その家臣の安西実元がいるため充実していたが、海は岡本氏、正木氏が中心となっていた。
特に重臣である正木時茂・時忠ら正木一族は半独立的な勢力であり、準大名と言えた。
今は家臣として協力関係であるものの、義堯から見ればいつ裏切るか分らないのだ。
特に内房正木氏は戦で失敗を犯し、史実の事を聞いたために信用できず、五郎を館山湾の開発にあてたのも強力な船を設計、建造させるだけでなく、自身の子を置くことで自由に使える勢力を作り、万が一の際に正木氏に対抗するためでもあった。
「そして、家臣には岡本安泰がいます」
「なんだと、あいつまでいるのか!?」
この報告には氏康は腰を浮かし、怒鳴っていた。
岡本安泰は北条方でも有名な武将であった。当然、憎い相手として。
安泰は北条方の経済を削りとるため、未来でドイツ海軍の使った戦術〝仮装巡洋艦による通商破壊〟つまり商船への襲撃を行っていた。
一隻の商船に化けた里見水軍は江戸湾、相模湾を中心に航海させ、北条方の商船に近づいては攻撃し、船ごと奪い取っていた。捕獲した船は沈めるか、兵を乗せて自身の拠点へ帰還していた。商人たちはそこで解放され、船は解体して材木を流用するか、東北交易に回される。
海賊衆には偽の積み荷と通行料を払い、悠々と航海を続け、食料が少なくなれば敵国の湊へ入り、奪った積み荷を売り払った金で補給をして襲撃を続けていた。
そのお蔭で商人たちは北条方との交易はリスクが多いとして敬遠し始め、交易量が減り続けていた。北条方も調査を始め、里見水軍、岡本安泰が商船の襲撃を行っている事が分かったが、対策が取れずにいた。
報復として里見方の商船や房総半島や攻撃を仕掛けても、襲撃した商船が里見水軍の軍船であったり、房総半島へ行っても迅速な対応が取られ撃退されている状況だった。
氏康はどかり、と音を立てて座り直し、やや疲れた表情を見せた。
「里見家は急速に力をつけている。それも嫡子の義舜、正木兄弟、安西実元、岡本安泰と逸材の者たちが現れてからだ。更にここでもう1人出てくるだと……」
そういってため息をついた。
陸では当主の里見義堯を中心に里見義舜、正木時茂と勇猛な武将が揃っており、海では岡本安泰が暴れまわっている。後方には正木時忠が交易、安西実元が道具の開発を行っており、急速に豊かになっているのだ。この状況で海に五郎という存在が追加となると、北条方としては最悪である。
だが、戦国大名として、北条家当主として、この問題を解決しなければならない。
そのためには、何としても情報がいる。
「風魔」
「はっ」
「何としてでも情報を盗み出せ。政策、技術全てだ。それと現体制に不満を持つ者を探し出せ。そして有用なものはこの北条に役立てるのだ」
「……御意」
小太郎は一礼し、音を立てず消え去る。
一人になった氏康は憎々しげに言葉を吐きだした。
「里見め、北条の夢の邪魔はさせんぞ……」
*
天文19(1549)年10月 安房国 館山
五郎がこの世界に来て、既に5ヵ月が経とうとしていた。
「慣れてしまった自分がやだ……」
本日の鍛錬が終わり、五郎はぞろぞろと大量の人を引き連れて活気のある城下町を歩いていた。
じいの教育(調教)は最初の頃の様なスパルタではないが、毎日の鍛錬と勉学は五郎にはキツイものだった。
特にゴツい身体を振るわせ、爛々と目を輝かせ、軽い笑みを浮かべさせながら問題を出していく姿は恐怖でしかなかった。
単にこれは五郎がちゃんとじいの出した問いに答えており、それに感動しているためなのだが、当然ながらそんな事は知らなかった。
また、五郎の武芸の腕前は鉄砲以外はからきし駄目で、馬術に至っては馬に乗れる程度である。
鉄砲に関しては悪くなく、むしろ家臣らよりも優れていた。
これは家臣たちが鉄砲に慣れていないのもあるが、意外にも五郎は前世で猟銃免許を持っており、暇な時には猪や雉、鴨を狙いに狩りに行っていたのだ。そしてライフル銃が扱えるほど年季が長かった。
そのため、鉄砲は安泰の思い付きで始まったクレー射撃モドキで重点的に鍛えられ、他の武術もせめて並程度には扱えるように訓練が行われるようになっていた。
ちなみに、兄の義舜や時忠は全てこなせる超人である。元軍人はともかく、時忠はどうしてそんな事まで出来るのか、一回聞いてみたい五郎だった。
そんな感じで、五郎は打ち身やら筋肉痛にも慣れてしまい、余裕が出て来たので久々に造船所へ行くことにしたのだ。
今までと違い、五郎の周りに大勢いるのも先日、職人街へ侵入者が出たとかで、五郎には監視兼護衛として常に人が付くようになった。他にも荷物を運ばせているためなのだが、お蔭で注目の的となっていた。
民衆は物々しい雰囲気にぎょっとするものの、先頭にいるのが五郎だと分かるとひっきりなしに声を掛けてきた。
「お、若様だ」「若様、お久しぶりです」「若様、新鮮な魚はどうです!美味いですよ?」「若様、また造船所ですか?」「今度、ウチの店によってください。上手い飯を食わせますよ」「あ、テメェ抜け駆けするな!」など、以前と変わらない姿だった。
その様子に五郎は前に出ていた護衛を下がらせ、笑いながら答えた。
「や、みな元気そうだな。済まないが今日は店には寄れないな。この通りだし」
そう言って、後ろを見せて大勢の家人たちがいることを告げる。
それを見て納得した様子の民衆たちは邪魔にならないよう、道を開けていき、五郎は民衆たちと軽く会話をしながら再び歩き出した。
暫くして、水軍の停泊する海岸近くまで来ると周りに民衆が居なくなり、じいが近寄って小声で話しかけてきた。
「若様、貴方様はここの領主なのですから、もう少し威厳を示さないと」
「良いじゃないか。子供に威厳があったら逆に怖いさ」
「確かにそうですが、先日風魔らしき忍びが捕まったのです。もう少し警戒をしても……」
じいが言っているのは先日、職人街に侵入者が出た一件の事だった。
複数の侵入者は職人に変装し、巡回中の兵士や門番が手を出しても木符しか差し出さなかったため既のところで全員捕えることが出来たが、翌日には地下牢で自害していた。
身元を判明するものは無かったが、恐らくは風魔忍群だろうとの予想だった。
その事は五郎も良く知っているが、過度に警戒する必要は無いと思っていた。
「この状況下で風魔は襲わんよ。無駄だし北条は命令しない」
「それは、一体どういう事で?」
「ふむ、そうだな。じいは忍びをどう思う?」
いきなり話が変わり、じいは混乱するも、直ぐ様思った通りに答えた。周りの護衛たちも気になるのか、聞き耳を立てていた。
「……信用に値しない、金次第で動く野盗紛いの存在ですな。他国の忍びや、やり口を聞くにそうとしか思えません」
じいの答えは予想通りのもので、見れば護衛たちも頷いているのが分かった。
ま、そうだろうな、と五郎は軽く言い、じいの疑問に答えた。
「じいがそう思ったように、北条もそう考えているからだよ。風魔を下に見て、いつ裏切るか分らないから働いても禄を与えない。信用も信頼もしていないからな。そんな事をされて働く奴はいるか?いないよ。だから風魔はやる気が無くなり余計に働かない。そして更に信用しなくなる。その繰り返しだ。そして、そんな奴に暗殺なんて大それた事をすると思うか?やるなら既にやっているよ」
そう言うと、じいや周りの護衛たちは一様に納得した顔をした。
言われてみれば、という感じであった。
「しかし、そうなると何故そこまでして北条に仕えるのかが分りませんな。他にも候補はあるでしょうし」
「考えられるのは縄張り意識が強いのだろう。他の地域に行っても受け入れてくれないだろうし。かといって、近くにいる大名は今川氏、武田氏、関東管領、古河公方か。今川と武田は既に忍びを持っているし、管領と古河公方は落ち目だ。まず無理だな」
ふうむ、とじいは何か思うことがあるのか、思案顔になった。
「まあ先日の一件から見ても、風魔の動きは情報収集が中心だ。当分は大それた動きはしないさ」
「……思ったのですが、それは可能性の話であって、襲われないという確証は無いということでは?」
じいは見落としていた事実を言うと、「あ、バレた?」と五郎は悪戯が知られた、子供の様な笑みを浮かべながら言う。
その様子にじいは顔を真っ赤にし、怒り始めた。
「駄目ですっ、駄目ですぞ!また脱走して街に出るのは!!分かっておられるのですか!?」
「分かった、分かったから、そう怒るな。気を付けるよ」
「貴方様は分かっていないっ!このじいを含めてどれだけ胃を痛めているのか―――」
また始まった、と五郎はウンザリした顔をする。じいの説教は同じことを繰り返して長いのだ。
「聞いているのですかっ!?」
「聞いているって!」
そんな平和な、コント染みた事をしながら五郎たちは目的地である造船所にたどり着いた。
遂に北条&風魔が登場。……次に出るのはいつだろうか?
話が進まない、そして微妙なフラグを建てたような気がする五郎。
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2014/9/6 文章の一部を修正しました。