第6話 館山湾開発
ようやく出来上がりました。第6話です。
楽しんでいただければ幸いです。
天文18(1549)年8月、安房国 館山
〝会合〟から3か月後。
「順調だな」
屋敷のある小高い丘の上で、五郎は館山湾の風景を眺めていた。
この丘は史実の館山城が建てられた場所であり、今は家人たちと共に此処に住んでいた。
丘を囲むようにポツポツと家が建ち始めており、特に西側は大規模な職人街として整備されていた。職人街の近くには豊富な森林資源があり、突貫工事により道路整備と用水路の構築が完了した。これにより、水車動力が使えるようになったため先日より本格的な操業が始まり、町は活気に満ちていた。
特に木炭、瓦、煉瓦は優先的に生産されており、町の開発も格段に進み始めるだろう。
湾港開発もまだまだ進みが遅いものの、順調と言えた。
既に桟橋が1つ、造船所1つに倉庫が3つ完成しており、海岸には船台が2つ設置され、弁才船の建造が始まっていた。
桟橋はコの字型のコンクリート製橋脚を建て、その上に角材を渡し、板を張った木造桟橋である。リヤカーに積み荷を乗せて互いに行き来できるように幅を広くとり、またリヤカーが滑って落ちないよう、車輪に噛む溝が掘られていた。
今までは停泊した商船は小舟で積み荷を海岸まで運んでいたが、より早く簡単に降ろせるようになった。
また、弁才船についての要目は以下の通りである。
[弁才船]
・主要目
全長17間(約31m)船幅24尺25寸(約8m) 喫水6尺30寸(約2.6m)
積載量1,000石 速力7kt(推定) 乗員12人 兵装 なし(ただし、商船に限る)
・備考
木骨木皮、水密甲板、西洋式小型舵、また商船は艦尾にスパンカーを装備。
一部の船は試験的に二本マスト・スクーナー型とし、軍船、練習帆船として使用する。
当初の予定では15間(約27m)であったが、水密甲板で積載量が落ちるため、また安泰と議論した結果、規模はやや大きくなった。
特にスクーナー型は竜骨、肋材を組み合わせ、船大工たちの技術習得用の船となる予定である。
その後、この弁才船の設計図を五郎が直接船大工たちに持って行った際、大きな驚きと混乱が起きた。
船大工たちは関船を安宅船並みの大きさにしたような、一風変わった船が交易用であり、また万年筆と定規により、細かく精密に書かれた設計図は驚愕の一言だったのだ。
更に、この設計図を書いたのは大名である里見家の、まだ元服もしていない子供であるという。
そんな畏れ多いうえに先進的な設計は船大工には衝撃的で、かつ素晴らしい物だったのだ。
また、五郎の気安く、船大工たちと意見を交え、艦船には妥協しない性格は好ましく見えたのもあり、数日後には船大工たちから仲間として、また尊敬する人間として受け入れられるようになった。
こんな事もあり、話を聞きつけた耳聡い商人たちは既に館山湾に入港しており、その活気と便利な道具類を見た者の中には投資と此処に店を出したいと言っている状況だった。
今では新たに桟橋、造船所、船台などの建設も始まっており、全てが順調で、館山は空前の好景気に沸いていた。
「というワケで、視察に行こう」
「駄目です。若様」
視察に行こうとする五郎に対し、ぴしゃりと言うじい。
本日も朝から造船所に行こうとしたところ、教育係のじいに止められたのだ。
「視察も重要な仕事だぞ、じい。町民たちが何か困っていないか、作業は進んでいるかを見聞きするのは上に立つ者として重要な事だ」
「確かにそうでございます。見聞するのは大事な仕事です。ですが、駄目です。若様はそう言って造船所にしか行かないですからな」
「父上から好きに造船して良いと許可は取っているから問題ない」
「駄目です」
五郎が権力を振りかざしても引かず、聞く耳を持たなかった。
そして、五郎を諭すように、真剣な面持ちで話し始めた。
「若様、貴方様は齢9つにして殿からここ館山湾の整備を任されたのです。遠ざけられたなんだと言う愚か者もいますが、このじいでも若様が行う事が全て有用だと分かります。そして、あの弁才船で確信しました。若様は里見家始まって以来の天才と謳われる義舜様と遜色ないお方だと」
五郎は義堯から館山湾の開発を命じられていたが、それは〝お飾り〟の存在としてである。
流石に元服していない9歳の子供に、緊急時でもない状況で一切の政務を取り仕切らせる訳にもいかなかった。
そのため、義堯の家臣団から派遣された役人と館山は安西氏の領地ということもあり、安西氏一族の者が政務を取り仕切っていた。
ここの安西氏は実元と同族であり、交易を含む後方基地として館山湾の開発が行われることに狂喜していた。
自分たちの石高が増え、上手くやれば義堯への覚えもめでたい。良いこと尽くめである。
そのため、安西氏が一族総出で張り切って仕事をしており、五郎にはやる仕事が殆ど無かった。
五郎は基本的に発案した内容を役人たちに紙に書き、渡して説明するか、僅かに届けられた書類を見る程度である。
また前世では和船の建造を行うところは少なくなっており、五郎には目新しく見えた。
そのため毎日のように造船所へ行き、造船の手法を眺めては驚き、船大工にアドバイスをしたり、好き勝手に艦船設計をしていた。
「じいは若様を一人前の立派な武将にするのが仕事です。ですので、これから毎日、鍛錬から座学、今まで滞っていたこれら全てをやっていただきます」
断定だった。これからは絶対に逃がしはしない、真剣な眼差しでそう言っていた。
「……て、じいは武芸の腕はからきし駄目だったじゃないか」
「ですので、安西氏の中に腕に覚えが有り、教育者として最適な者を募りました」
「…………ナンデスト?」
「既に練兵所にて待たせております。此方に着替えてください」
すっ、と用意してあった稽古着を差し出す。
ちらり、と五郎が周りの付き人を見渡すも誰も目を合わせなかった。
…………どうやら、本当に逃げられないらしい。
五郎はがっくりと肩を落とし、稽古着を受け取った。
*
夕方。
水軍の訓練を終えた安泰が、五郎のいる屋敷に訪ねてきた。
「ああ、成程。だから今日は町に来なかったのですね」
訪ねてきた理由は、近況報告と五郎が造船所にも町にもいなかったためである。
此方に来て暫く経つが、毎日造船所に入り浸っていた五郎は町でも有名な存在だった。
今日に限って五郎が来なかったため、港から帰ろうとする安泰に町民(特に船大工)から心配の声が上がったのだ。
「まあ、そうだ。おかげでこんなにも愉快なことになっている」
机に向かって本を読みながらも、げっそりした様子の五郎。
見れば湿布と包帯を至る所に貼り、時折痛むのか身動ぎをしていた。
あれから剣術やら弓術やら馬術やらを散々練兵所にて文字通り叩き込まれた挙句、その後は自室にてじいが付きっきりで勉学で搾り取っていったのだ。
今日は既に終わったものの、周りにはじいが用意した「庭訓往来」といった武家の一般常識を纏めた往来物(この時代の教科書)から里見家の歴史書、陸軍式兵学やら正木流商学、……等々。
一部変なものが混ざっていたが、所狭しと本が山積みにされていた。
「しかもじいの奴、明日覚えたかどうか試験するとか言うし、出来なかったら艦船設計は暫くさせないと言っている。打ち身だらけで全身は痛いわ、太ももと腕の筋肉がプルプル震えてるし、最悪の日になったな」
「諦めてください。これも武家の務めです。若様もいつか戦場に出るのですから」
「ホント、武家ってのは大変だな。好きに造船も出来やしない」
そう溜息をついて、面倒くさそうに兵学本を読んでいく。
武家になった以上、戦場には出なくてはならない。それが勤めである。
その事実が五郎の身体に重くのしかかっている気がした。
「……まあ、まだ死ぬ気はないからな。努力はするさ」
「そうして下さい。船大工たちには明日、私の方から言っておきますから」
悪いが頼んだ、と言って読み終えたのか本を閉じて脇に避ける。
「ところで、何か近況報告は無いか?」
「ええ、此方になります」
安泰は持ってきていた紙を五郎に差し出す。
内容は最近の作業の進み具合である。安泰も万年筆を愛用し始めており、簡潔に、文字も楷書体で読みやすかった。
(ふむ、材木も揃い始めたし、職人街が本格的に稼働し始めたお蔭でセメント、煉瓦や木炭も揃ってきたな。武具の方は弓と槍が優先、鉄砲はもう少ししてからか。農業も耕地整理が進んで負担も軽くなった、と。米と雑穀、木綿は問題なし。オカヒジキや椿、アブラナは放っておいても増えるから大丈夫か)
オカヒジキは全国各地の海岸で取れる一年草の塩生植物である。
食用であり、和え物にして食べられる植物だが、これは食べるために生産した訳では無かった。
オカヒジキはナトリウムを多く含み、焼いた灰を煮詰めるとソーダ灰(炭酸ナトリウム)が良く取れるのだ。これを油脂に混ぜてやると硬い固形石鹸が作れるのだ。
油脂は組成的に半分がグリセリン、もう半分が脂肪酸であり、ソーダ灰を加え加熱することで脂肪酸と結合し、固体化する。そしてグリセリンが残るのだ。
ちなみに、油脂だったら何でも良いので表向きは椿やアブラナは景観を良くするためと栽培を奨励し、特に椿油で作った石鹸は大名向けの高級石鹸として売り出そうと考えていた。
(まあオカヒジキの出番は当分先だな。椿やアブラナは暫くの間は油を搾って売り出そう。湾港工事は、やはり殆ど進んでいないか。まあ桟橋が2つ目を建設中、新たな造船所や倉庫が建てられているから十分だろう。水軍の方は帆船訓練が終わったのが20人。こっちも中々進まないものだな)
何時の時代でも、船員と言うのは高度な技術職である。練習中にマストから転落し、大抵は甲板に落ちて死亡する事も少なくなく、長期間の航海に耐えられない人間も出てくる。
そのため、中々育たないのだ。
安泰は望遠鏡や羅針盤、六分儀を購入し、天測航法による位置の特定から気象予測、暗算、測量、操船など、なにより文字が読み書きできるように訓練を施しているのも理由の一つであった。
むしろ短期間で手を抜かず、ここまで育て上げた安泰の能力が凄いの一言であった。
「……まあこんなもんだろう。今思えば機械が無いのによく3か月で此処まで進められたな」
「円匙や運搬車、手押し車で作業効率が良いですし、彼らからしてみれば普通に生活できるのですから、それが大きいかと」
当初、工事を行うのに人夫は全く足りていなかった。
この地域の住民は人が足らず、他の地域でも改革により活性化しているため他から人を引っ張る訳にもいかなかった。
そこで、水軍が攫ってきた人、口減らしにあった人、賤民を広く集め、特に人攫いと口減らしになった人は人夫として全て買い取ったのだ。
彼らの住む長屋を立てて、衣服と食事は配給制。僅かだが給金も出るようにした。
この提案をしたのは安泰であり、人攫いなどの略奪行為を嫌っていたためだった。
当然、賤民にやらせるなどとの反対の声は上がったが、他に方法が無く、五郎が義堯の許可を取り、強引に押し切った。
彼らからすればどん底にあった自分たちに衣食住を提供し、仕事と給金を出してくれる現状は望んでいた平穏な生活である。張り切らない訳が無かった。
後に、これを行ったのは五郎と安泰だと知り、感謝すると同時に、新たな水夫募集が五郎たちの水軍に編成されると聞きつけた住人が恩を返すためにと多数押し寄せることとなったのだが、それは先のお話。
「まあ風魔もこの中に紛れ込んでいるんだろうなぁ……」
「職人街にはそう簡単に侵入は出来ないでしょうし、現物を見ても知識が無ければ真似するのも難しいでしょう。………多分」
職人街は技術流出を失せぐため、周りを堀と壁で囲み、周りを屈強な兵士たちが巡回するようにしていた。
特に重要技術に関わる職人たちは発行される木符と週ごとに更新される暗号を入り口で言わなければならず、厳重に守っていた。
他にも目が行きやすい物が多く、バレてもそう簡単には生産出来ないだろうが……、不安は残っていた。
「そうだな。……風魔は後で考えよう。それと捕鯨漁船についてだ」
そう言って、五郎は1枚の精密な絵が描かれた紙を安泰に差し出した。
「捕鯨船の設計案を考えてみた。感想を聞かせてくれ」
設計図に書かれていたのは以下の通りである。
[桜型捕鯨船(仮称)]
・主要目
全長16間(約29m) 船幅23尺(約7m) 喫水18尺8寸(約5.7m)
速力7kt(推定) 乗員36人 兵装 旋回式バリスタ(艦首)1基、捕鯨銛など他多数
・備考
二本マストのトップスル・スクーナー。
木骨木皮、水密甲板、西洋式小型舵。銅製の金具を使用。
幕末期の箱館奉行所が建造した箱館丸をモデルにした二本マストの西洋式帆船である。
弁才船よりも僅かに小さいものの、外洋航海も可能であり、また船殻の対角線上に交差する筋違いを入れることにより、船体強度を上げていた。従来の船より堅牢で、また喫水下の金具と船底には黄銅を使っていた。銅板を船底につけるのはフナクイムシがつかない様にするためである。
フナクイムシは木板に穴を開け、そこに住みつき船底を海綿のようにしてしまう。こうなると船の中に海水が入ってきたり、荒波で船底が壊れて沈没する危険があり、それを防止する為である。
また、フジツボや海藻は付くが、かさぶたのように大きくなっていくと船が走るときに水に当たり、衝撃で剥がれ落ちるため速力が落ちにくいのだ。
この設計内容を見た安泰は、感嘆したように大きく頷いた。
「良い案だと思います。しかし、まだ建造するドックがありませんが、それはどうするので?」
「一先ずは引揚船台でやる。その方が早く取り掛かれるだろう」
造船には幾つか方法があり、五郎は「乾ドック」と「引揚船台」の使用を考えていた。
「乾ドック」は船渠とも呼ばれ、近代造船の主流となった方式である。
水深の深い海岸をコの字形に掘削して、中を石や煉瓦、セメントで組む。コの字に蓋をするようなゲートを持ち、此処から船を出し入れする。修理する際には船を曳き込み、ゲートを閉めたら注排水用のポンプで海水を抜き、船台に固定する。
このため、大型艦の素早い修理、建造が可能な方式であった。
「引揚船台」は陸から海の適当な深さまで長い滑り台を設けて、車輪付き船台をウインチで昇降させる方式である。これは小型船向きだが簡単な整備だけで良いという利点があったため、この方式で造船を進めることにしたのだ。
「小型船と言っても、未来の日本での基準だしな。人力と木製船台でも20間(約36m)ほどの船までならば問題ない」
「乾ドックは建造しないのですか?」
「アレ、船の修理には便利だが、とんでもなく手間と金がかかるんだ。もう暫く先でないと人手が足りない」
「……ちなみに、幾らぐらいかかるのですか?」
何となく嫌な予感がしつつも、安泰は聞いた。
五郎は思案顔で暫く沈黙した後、史実の建設費を思い出し、答えた。
「確か、幕末に建設された横須賀海軍施設の第1号ドックが全長120mほどで、ざっと12万両だったな」
「じゅっ……!」
「しかもドック本体の建設費だけだから、そこに下準備の締切堤と入口付近の海底の浚渫なんか含めるともっと高くなる」
五郎の容赦ない言葉に、安泰は絶句した。
幕末期は物価が高騰し、一両の価値は江戸初期の半分近くまで下がった。
つまり乾ドック1基建造するのに、現在の里見家年収の半分の金額はかかる計算となる。
当然だが、横須賀と館山湾は地形が違うため、これに加えて他の設備を作らなければならない……、安泰にはもはや幾らかかるか見当もつかなかった。
「まあ建造するのは埋め立てと防波堤や桟橋の設置が終わってからだし、当分先だよ。それに煉瓦とセメントで出来るだけ安くするさ」
「……そうしてください」
将来的には大型船の建造で必要になるものの、現状では要らない設備に金と人を使う余裕が無かったのだ。資金を商人から借金する手もあったが、余りに高額なため、里見家の利権や秘匿技術などを対価に持って行かれる可能性があった。他国の大名に対抗するためにも技術は守らなければいかず、流失する可能性を抑えるためにも借りる訳にもいかなかった。
「さて、そろそろ良い時間だし、勉学に戻るとしよう」
「そうですか。では私は退出しますね」
そういって立ち上がり、安泰は帰り支度をする。
「……ああそうだ。安泰、ちょっと待ってくれ」
五郎が引き留めるように声を掛け、奥から小さな桐箱を取り出してきた。
「中身を確かめてくれ」
手渡され、言われて箱を開けてみると、入っていたのは銀製の二本軸のかんざしであった。
簡素だが飾りとして血赤色の玉があり、銀との対比でよく映えていた。
「……これは?」
「貰い物だ。ある商人が献上してきたんだが、使い道が無いんでな。奥方にプレゼントするといい。赤色の玉は珊瑚だそうだ」
「よろしいので?かなり高価ですよ」
「使い道が無いといったろ?売り払う訳にもいかんし、本来なら安泰自身にも何か渡すべきなんだが、生憎と他に何も無くてな」
これには安泰も苦笑した。
率直に、女性もので丁度良いから妻にプレゼントすればいい、としか思っていないようだ。恐らくその商人は五郎の許嫁にでもと言ったのだろうが、本人には全く伝わっていなかったのだ。
しかし、安泰にはその気遣いが好ましく思えた。
「有り難く、頂戴いたします。妻も喜びます」
「済まんな、安泰のは今度、名物の一つでも用意するさ」
「ハハ、期待しています。では勉学、頑張ってください」
「ありがとう。そうするよ」
そういって、安泰の退出を見送ったあと、再び本を開いた。
この日は明かりが夜遅くまで消えることは無かった。
そして翌日。
じいの用意した試験にどうにか合格し、五郎は一夜漬けが成功したことに涙を浮かべ、喜びを露わにした。
じいは「やはりこの方は天才である」と一人感動し、それから稀代の武将にしようと更に鍛錬が厳しくなったのは全くの余談である。
話が進まねえ……。いつになったら戦闘シーンが……。
次は造船か、水軍の話を予定しています。
誤字、脱字を見つけた方は報告をお願いいたします。
※2014/9/4 誤字・脱字の修正を行いました。