第13話 江戸湾海戦 [後編]
ようやく投稿。楽しんでもらえれば幸いです。
「―――どうやら、半分しか喰えなかった様だな」
真里谷水軍、旗艦。
矢倉の上に設けられた指揮所で、総大将の真里谷信応は呟く。
信応は齢36の、武将として脂の乗った時期にあった。
日焼けと戦で負った向こう傷の残る顔は、火攻めから逃れた里見水軍に向けられていた。
この火攻めに使われたのは、民衆から徴発した漁船やボロ船をかき集めて、安房国から他国を経由して密輸した鯨油と藁を載せた船だ。
皮肉なことに、信応が火船戦術を思いついたのも里見氏のお蔭であった。
安房国で生産される鯨油は安くは無いが、大量の油が一度に出回っており、船も廃船処理の手間が省けたと思えば油代ぐらいしか懐が痛まなかった。
「ですが、里見の海賊共に残っているのは矢倉も無い大型船2隻に小型帆船が10隻ほど。こちらは関船5隻に小早30隻。我々が負けるはずが有りません」
何処かせせら笑うような口調で答えたのはこの船の船軍者であるが、北条からの目付け役でもあった。
信応には里見だけでなく、真里谷も笑われているように感じられて怒りが込み上げてきた。
だが、それも仕方が無いことだとも思っていた。
真里谷・北条水軍の本隊を見渡せば、どれもが大型で、新鋭艦だけで編成された見事な艦隊であったが、「三つ盛鱗」を掲げた軍船の方が圧倒的に多かった。
本隊は信応のいる旗艦を含めて北条方から救援として水夫ごと借りた船が殆どであった。
元々、真里谷水軍は関船1隻、小早20隻からなる名ばかりの存在であった。
何故かと言うと、上は北条氏、下に里見氏という関東でも有力な大名に囲まれ、近年は度重なる内紛と両国から露骨な圧力を受けており、既に力は無かった。更に言えば、両氏は精強な水軍を持っており、それに対抗して水軍を整備するには資金も時間も無かった。
沿岸を警備するための最低限の艦隊、それが真里谷水軍であった。
(……かつては上総国の大半を治めていた真里谷氏も落ちたものだ。この戦で里見に勝っても体のいい北条の家臣か。だが、家は残せる)
信応自身、水軍の扱いに長けているわけでもなかった。
だが、真里谷氏が北条に使い潰される未来を避け、血筋を守るには直系が活躍するしかなかった。真里谷氏の直系は信隆の弟である信応の他に、他に信隆の嫡男、真里谷信政しかいない。
信政は若年なうえ、椎津城主で動けない。だから信応が水軍の総大将として出てきたのだった。
「信応様、これからどうしますか?」
船軍者は分りきったことを聞いてきた。
「無論、突撃だ。それと火矢を用意せい。帆を焼き落とすのだ」
「御意」
先の事は後だ。まずは、この戦に勝つ。勝たなければならない。
信応は決意を新たにし、命を下した。
「全艦、里見水軍へ突撃せよ!」
*
油断していた。
甘く見ていた。
少し考えれば分かったことだ。
真里谷氏は北条へ救援を求めていたのだ。水軍が強化されていてもおかしくなかったのだ。
義頼は後悔していた。最初から榴弾を撃てば良かったのだと、無理やりにでも第二艦隊を指揮下に組み込むべきだったと。
だが、もう遅かった。
こちらが油断した結果、第二艦隊は文字通りの全滅。
後方にいた小早は数隻残っているが、火攻めの恐怖で今海戦では使い物にはならないだろう。
その現状を突きつけられ、また強く音が鳴るほど歯をかみしめる。ブツリ、と音がして、口の中に鉄の味が広がる。少し切れたか。どうでも良い。いや良くないな、総大将はどんな時でも落ち着いていなければ士気に関わる。
(――そうだ、後悔はあとだ。今は早く決めることが有る)
現在、第一艦隊は北上している。このまま行けば敵の本隊にぶつかる。
取り舵をすれば、順風に乗って浦賀水道まで行くことができる。
撤退か?態勢を立て直し、仕切り直す。
――駄目だ、追撃戦でやられる。仕切り直すにも、真里谷の目的は北条から更に援軍を引き出すための時間稼ぎだ。こちらの減耗した戦力では数が増えたら対抗できない。
それに内房には第二艦隊が壊滅したため、守るべき艦隊が無い。こちらの水軍拠点が奪われるかもしれない。
ならば、やる事はひとつ。
「安泰、取り舵だ。このままでは挟撃される」
安泰は何も答えず、こちらを見やる。
義頼は話を続けた。
「そうなる前に、こちらから攻撃する必要がある」
「先にアレを片付けるので?」
ああ、と義頼は頷く。
アレ――真里谷・北条水軍では何と呼ぶか分らないが、敵本隊と区別するために先遣艦隊と呼ぶことにする――を先に片付けるべきと判断した。
「敵本隊はまだ遠く、交戦するまで時間は掛かる。ならば少数の艦隊から叩くのは基本だろう?」
そのためにはまず、立て直しを図らなければならない、と義頼は言い放ち、露天艦橋の最前に出た。前に出ると、不安顔な船員たちがこちらを見ていた。
義頼は1人ずつ船員たちを確かめるよう、ゆっくりと見渡し、終わると声を張り上げた。
「聞けっ!現在、我々の水軍は第二艦隊が壊滅し、苦境に立たされている!」
船員たちに動揺が広がる。後ろにいる安泰も眉をひそめた。
義頼はニイ、と口元を歪ませ、不敵な笑みを浮かべた。
「だが、我々のいる第一艦隊はどうだ?1隻たりとも損害を受けていない!
そう、まだ我々は戦えるのだ!2度の砲撃をしただけで、まだマトモに戦ってすらいないのだ!!
そして、我々は何のために訓練をしてきた?何のために水軍にいるのだ。
敵に、真里谷と北条に勝つためだ!それが今である!
我々には新鋭艦たる図南丸がいる。そして最新兵器である艦砲もあるのだ。
何より、我が水軍の精鋭たる諸君らがいるのだ!私が保障しよう、負けるはずがないのだ!
あとは、諸君らの勇気と活躍のみである!
勝利し、恩賞と名誉と共に故郷へ凱旋したいと思う者は声を上げよっ!」
『お、オオオォォぉぉーー!!』
船員たちの喊声を受けた義頼は満足げな表情で頷く。
「よろしいっ!ならば職務を果たそう。総員、戦闘準備!第二艦隊の仇をとるのだ!」
先程までの不安と動揺は無くなり、士気を鼓舞された船員たちは直ぐさま持ち場へと戻った。
「お見事です」
安泰は振り向き、戻ってきた義頼に声をかけた。それは義頼の手腕に感嘆するような声だったが、当の義頼は打って変わり、頬に手をあてて、目が死んでいた。
「こっちは恥ずかしくて死にそうだがな……」
顔が熱い。鏡で見れば恥ずかしさで顔が赤く染まっていることだろう。
なんとなく、前世の、若いころの黒歴史を思い出した。あれは酷かったなぁ。
それらを忘れるように手のひらで顔を強く押し、大きく息を吐き出す。
「時間が無い。安泰、砲弾はあと何発ある?」
訊ねられた安泰は考えるそぶりを見せる。
図南丸に載せているのは6発の砲弾の入った木箱で、通常弾が16箱、榴弾が4箱であった。
「通常弾が92発、榴弾が右舷に装填中のを含めて24発です」
「十分だ」
榴弾は椎津城へ砲撃をするためのものだが、この状況では残す余裕も無い。
「この海戦で榴弾は使い切る。出し惜しみは無しだ」
「はっ」
安泰は納得した表情で答える。自分もそう考えていたし、大事に抱えて負けたらどうしようもないからだ。
「さて、戦だ。やろうか」
「戦、そうですな」
義頼は続けて言う。その表情はまだ赤く、やや引きつった笑みを浮かべていた。
安泰は苦笑しつつ答え、直ぐさま武将としての顔に戻り、号令をかけた。
「第一艦隊、回頭。敵先遣隊を叩く!」
第一艦隊は取り舵を行い、船首を風下に落とし、順風に乗る。
敵先遣隊は、火攻めの位置からさほど離れていなかった。
「左舷艦砲、榴弾装填」
こちらが接近しているのに気づいた敵先遣隊は先程と変わらず密集陣形を保ったまま、此方へ突進してきた。大音声を上げており、その士気の高さが伺えた。
「目測距離300」
「左舷艦砲、敵関船、照準合わせ!」
号令を受け、砲手たちは猛訓練で身体に染み込ませた動作を行う。
炸薬と砲弾を込め、砲身はほぼ水平、照準は砲手のカン。3人がかりで砲尾下のネジ型の装置で仰角を合わせ、砲の横から棒を差し込み、砲車ごと動かして微調整を行う。
「砲撃準備完了!いつでも行けますぜ!!」
「よおし、榴弾、撃てェ!」
2門の艦砲は、先と変わらない頼もしい轟音をあげた。衝撃が足元を揺らし、辺りには砲煙が漂う。
4発の榴弾は先遣隊の関船、小早に命中。遅れて榴弾が爆発する。轟音と共に内部から矢倉がはじけ飛び、榴弾の破片と凶器と化した木片が襲う。敵艦隊から悲鳴が上がった。
「敵関船、撃沈!」
「おっしゃあっ!」
「ざまぁみやがれ!」
爆発の衝撃で関船が半ばから真っ二つに折れ曲がり、沈んでいく姿に水夫たちから歓声が上がった。
「榴弾装填、急げよ!」
義頼の号令を受けて、発射の衝撃で後退した艦砲に砲手たちが群がる。
先遣隊の残りは小早のみ。旗艦であった関船が沈み、至近距離で爆発を受けたせいか小早の動きが鈍くなる。
「装填よぉし、照準よし!」
「撃て!」
砲手の叫びに義頼は反射的に答えた。
再び轟音と衝撃。小早に命中。爆発は3回。うち1回は空中で爆発し、周りの小早にいた敵兵を殺傷した。火矢に使う油に引火したのか、1隻の小早が松明のように燃え上がる。
「もう一度だ。砲撃よぉい!」
先程より近づく。既に砲撃による轟音と爆発で兵が怯えていた。小早は火矢攻撃もせず、沈んだ船が邪魔になり動けなくなっている。
「撃てェ!」
第一、第二図南丸が斉射する。
連続斉射をしたため、露天艦橋まで艦砲から溢れ出た砲煙で一時的に視界が白く染まる。先程までより強い、むせ返るような硝煙の匂いが鼻をついた。
視界があけると、浮いていたのは2、3隻のみで、敵兵の様子は分らない。
「砲撃中止っ!」
ここで、10隻の小早が喰らい付いた。
銃兵が一斉射撃を行い、残っていた敵兵を殺傷させる。動きが鈍くなったところで手榴弾を投げ込み、撃沈に追い込んだ。
もう、先遣隊の船は残っていなかった。
「敵先遣艦隊の全滅を確認」
安泰は静かな声で告げた。
「確認した。安泰、北上だ。このまま本隊を叩くぞ」
「はっ、――信号っ![第一艦隊、集合せよ。これより敵本隊を叩く]」
マストに信号旗が掲げられ、海面を大きく旋回しながら第一図南丸を先頭に縦一列に並び、北上を始める。
義頼は誰に聞かせるわけでも無く、呟いた。
「さあて、本番と行こうか」
*
「ほぉ、持ち直したか」
残存の里見水軍がこちらの火攻めに参加した艦隊を壊滅し、その光景を見ていた信応は、感嘆した声色で呟いた。
火という、分かりやすく怖い存在を見せつけ、艦隊を焼き払ったというのに、北上してくる艦隊からその高い戦意が伝わってくるのだ。
「ふうむ、となると少々拙いか」
士気は高く、特にあの大型船には高性能な大筒を積んでいる様だ。帆船だというのに風上にも走れ、他にも新兵器を積んでいるとの情報もある。
壊走してくれればやりやすかったが、そう上手くはいかないようだ。
「ふん、これこそ戦よの。実に良い」
信応はその顔面に笑いを張りつけ、実に楽しそうな声で言う。
確かに、里見の砲撃は危険だ。これまでの海戦が大きく変わるほどに。
だが、やりようはある。それを見せてやろうではないか―――!
「艦隊を横列に分散させよ。中心に関船、その前衛と脇に小早を並べろ」
「信応様、艦隊の衝突力が落ちますぞ?」
「構わん。あの砲撃で纏めて沈められるよりマシだ」
「……はっ」
船軍者は不満顔だったが、信応の言葉に了承し、号令をかける。
信応は銅鑼が鳴り響き、艦隊が陣形を変更していくのを見ながら呟いた。
「さて、これをどう対処する?」
*
「ちっ、奴ら対応が早い」
義頼は敵本隊の動きに舌打ちをする。
現在、敵本隊との距離は700間(約1270m)ほど。先遣隊を全滅させた長距離砲撃と榴弾の効果を見るや、敵本隊は密集陣形を組むのを止め、中心に関船を置き、三日月状に横二列に分散を始めた。
「並列の三日月陣ですな」
「しかも小早と関船の上には火矢を用意している。この総大将はよほど有能で度胸もあるぞ」
火矢というのは、危険な戦術である。
ミスをすれば自身の船を燃やす危険があるため、容易には出来ない戦術なのだ。
射手は関船だと5、6名、小早だと2、3名が限界だろうが、それでも数を揃えられると厄介だ。
また分散すれば各個撃破される可能性があるが、この場合だと弓の最大射程(火矢が船に当たれば良い)である220間(約400m)まで接近すれば良いので有用である。
強引に白兵戦に持ち込ませるため、出来るだけ通せんぼするように横一列に並べば後ろへ回り込めない。
なにせこちらは接近すれば帆が焼き落とされ、速力が低下してしまうのだ。炸薬に引火して爆沈、というのも避けたい。
「安泰、何か良い方法はないか?」
「……一定距離を保ったまま艦砲による長距離砲撃の猛打、後に白兵戦。これしかありませんな」
「それしかないか……」
分散された以上、砲撃の効果も命中率も下がる。海面を叩いて転覆、もしくは火矢を消す、とはならないだろう。
ならば、弾薬が切れるまで砲撃で出血を強い、その後、銃撃と手榴弾で更に消耗させ、白兵戦で片付けるしかない。だが、こちらの損害は酷いことになる。
せめて、艦砲が大量にあればやりようがある―――。
「うん?待てよ……」
「若様、どうしました?」
気になった安泰が声をかけるが答えず、何かブツブツと言いながら俯いていく。
暫くして、顔を上げた義頼は邪悪な笑みを浮かべていた。
この顔にドン引きする安泰。
「安泰、耳を貸してくれ」
義頼はその表情と一致するような声色で安泰を手招きをする。
最初は嫌そうな顔をしていた安泰だったが、命令には逆らえず、義頼に近づく。
そして、義頼の話を聞くにつれて感染したのか、終わるころには安泰も凶悪な笑みを浮かべた。
「……なるほど、その手がありましたな」
お互いにニタリ、と嗤い合う。
「そうと決まれば安泰、信号を上げてくれ」
「内容は?」
決まっているだろう?
「信号、[全艦突撃準備、砲戦の後に敵艦隊に肉薄する]だ」
*
里見水軍が仕掛けてきた。
2隻の大型船のみが突出し、砲撃を始めたのだ。
砲声と共に4発の砲弾が飛来し、関船を囲むように水柱を上げた。
直撃はしなかったものの、狙われている、と水夫たちから動揺が走った。
「うろたえるな!敵の砲撃は遅いうえにそう当たるものではない!」
再び砲声。同じく直撃は無く、水柱が立ち上がった。
「太鼓を鳴らせっ!速力を上げるのだ!」
水夫たちは太鼓の音と共に艪を漕ぎ、全速力で突進を始めた。
3度目の砲声。今度は1隻の小早が被弾し、爆発。残骸が散乱し、油が燃え上がった。生存者はいなかった。
だが、残骸には目もくれず、押しのけて進む。
里見水軍の2隻は大きく旋回し、再び砲撃をしてきた。小早2隻が被弾し、沈没に追いやられる。
だが、止まらない。誰にも止められない。
「なに、これは……」
信応は目を疑った。
なんと、里見水軍は4隻の小型帆船を前衛に、横列を組み、こちらに直進してきたのだ!
旋回した2隻の大型船は最後列に入り、そのまま北上していた。
(横列同士でぶつかるだと……、何を考えている?)
正面からぶつかれば、100回やれば100回とも数が多いほうが勝つ。
これは古代から変わらないことだ。先程までの戦いぶりから、それが分からないはずが無いだろう。
あるいは、砲撃でこちらの士気を落とすつもりだったのか?だが、突進する艦隊はもう止められない。
もしくは―――。
「自棄になったか……?」
「ふん。飛んで火に入るなんとやらですな。全艦、包囲をしろ!」
信応の疑問をよそに、船軍者は号令をかけ、里見水軍を包囲するために風下に大きく広げ、距離を縮めていく。
あの帆船は普通の船より風上に走れるが、真正面から風を受けては走れない。 そして、方向転換するには、一度風下に落とさなければならない。
この2つの欠点を見抜き、風下に船を多く配置し、逃げられないようにしたのだ。
「弓、射程に入りました!」
「火矢、放てェ!」
船軍者の号令と共に火矢が放たれた。
最前列にいた敵船は直ぐさま火矢を射掛けられ、炎上していく。
「敵艦、突撃してきます!」
帆を燃やしながらも4隻の小型帆船が突撃してきた。
船上に動く影はな―――。
「いかんっ!全艦、退避せよ!」
「何故です!あと少しで里見水軍を――」
船軍者が食って掛かるが、強引に遮る。
「あやつら、ワシらの火攻めをそのままやり返す気だ!」
直後、真里谷・北条水軍に今までに無い轟音と衝撃が襲いかかった。
*
「成功だな」
敵本隊から立ち上がる黒煙を見て、義頼は満足そうに頷く。
義頼が思いついたのは火船戦術を、敵本隊にそっくりそのままやり返すことだった。
4隻の小早から船員を図南丸や他の小早に移乗させ、代わりに炸薬や榴弾、手榴弾などが入った木箱を載せて、横列に突っ込ませたのだ。
火はあちらが勝手につけてくれるので、用意しなくて良かった。
「見事に吹き飛びましたな」
安泰の言うとおり、前衛中央にいた小早が吹き飛び、辺りは船の残骸や死体が浮いていた。それだけでなく、爆発による衝撃と、発生した大量の木片と鉄片によって周りの敵兵を殺傷していた。
中には喫水の浅さから衝撃に耐え切れず、転覆した小早もいた。
「全員、準備は良いか!?」
2本のマストには、砲手と銃兵を除く全員が操帆員として加わっていた。
「敵は混乱中だ!一気に片付けるぞ!」
『オゥ!』
「よろしい、面舵!」
右へ転舵。第一、第二図南丸が切り上がり角度一杯まで変針する。
残りの小早はそのまま直進し、未だ混乱が続く本隊へ突入した。
これまでに無く接近したため、気づいた敵兵が散発的に矢を射掛けるが、火矢は最初だけで、矢数も少なかった。大半は舷側か、楯板に当たって弾かれるが、幾つかが帆や甲板に突き刺さる。
お返しとばかりに銃兵が撃ち返し、弓兵を排除していく。
「上手廻し!」
図南丸2隻は更に右に転舵し、艦首を一時的に正面から風を受けるように廻す。操帆員全員で帆の開きを操作し、艦首から流れる強い風を帆で受けとめさせる。マストや船体が軋む音を上げた。再び操帆員が熟練の技で帆の開きを操作し、急速に方向転換させ、走り始めた。上手廻し成功である。
「よおし、左舷艦砲、敵関船、照準合わせ!」
「撃てェ!」
轟音と共に撃ち出された榴弾は、最右翼にいた関船の船体前部に命中。そして爆発。ぽっかりと空いた穴から海水が流れ込み、傾斜していく。
「艦首捕鯨弩、よぉい!」
艦首に設置された捕鯨弩が動く。
銛には綱は無く、代わりに幾つもの手榴弾が括りつけられていた。
「射手、思いっきりぶちかましてやれっ!」
「了解でさァ!」
「よし、手榴弾着火、撃てェ!」
号令と共に引き金が引かれ、独特の射出音が響いた。
撃ち出された銛は針路上にいた小早に撃ち込まれ、手榴弾が炸裂。敵兵を殺傷した。
「もう一度、上手廻し行くぞ!」
『オオッ!』
針路を再び北へ向け、取り舵。敵本隊側面を走る。
その間にも手榴弾付きの銛と榴弾を小早に撃ち込み、沈没に追いやった。
銃声と轟音、喊声と悲鳴は絶え止まず、硝煙と血と人が焼ける臭いが強くなっていた。
義頼はまだ戦は続いているんだ、とこみ上げてくる不快感を身体の奥に押し込め、号令を下した。
「左舷艦砲、敵関船に照準合わせ!」
「撃てェ!」
船体中央に命中。爆発。耐え切れず関船は木が折れる音と共に海中へ沈んでいく。
残骸と溺死者がまた増えた。
「適帆、取舵ィー!」
これで、完全に敵本隊後ろへ回り込んだ。
「さあ、敵は既に壊乱して恐るるに足らず!全て沈めるのだ!」
義頼は号令を吐き出し、味方から喊声を、敵から悲鳴を浴びた。
―――その後の戦いは、一方的なものであった。
図南丸2隻は通常弾に切り替え、砲撃のほかに銃撃も加えていった。残った6隻の小早も死傷者を出しながらも銃撃と手榴弾を投げ込み、敵を減らしていった。
最終的に敵本隊で残ったのは、旗艦らしい関船と、小早が数隻だけであった。どれも砲撃か、手榴弾で船体がボロボロになっており、黒煙を上げていた。
辺りには大量の船の残骸と、溺死者が浮いている中、第一図南丸は関船に接舷した。
既に攻撃してくる敵兵はいない。銃撃と砲弾で倒れるか、海へ飛び込んだかのどちらかであった。
この関船も徐々に傾斜をしており、沈むのも時間の問題だろう。
「くくッ、見事なものよ」
指揮所にいたのは、既に片足は無く、全身血塗れとなった武将であった。
その顔は紅い血と、僅かに見える肌は血の気が失せて白く、瞳だけは異様に輝いていた。
「貴方が、この艦隊の総大将か?」
「いかにも。真里谷水軍の総大将、真里谷信応である」
そこに転がっているのはこの船の船軍者だ、と続けて言う。それは胴体が半ばから千切れ飛んでいた。
信応、と聞いた瞬間、義頼は僅かに顔色を変えた。
まさか、真里谷氏の中心人物が指揮しているとは思わず、あれだけ大胆な戦術を取るのだから、北条水軍の有名な誰かだと予想していたのだ。
義頼は姿勢を正し、名乗りを返した。
「里見水軍、総大将の里見義頼だ」
「ほう」
艦隊を打ち破ったには、あまりにも若すぎた総大将であった。
信応は後ろにいた安泰を見やる。
「岡本安泰よ、貴様が指揮したのか?」
「……いや、船の操作と、細かい指揮だけだ」
「そうか、そうか」
嘘では無い、そう理解した信応は驚きと戸惑い、そして酷く楽しそうな表情を浮かべた。
「く、くく、フッ、ふは、ハーハハハハッ!!」
高く、高く、笑い声を響かせる。
「愉快、愉快だ!まさか、まさか全力で挑み、元服したての若造に負けるとは!」
くつくつと笑いながら、信応は訊ねた。
「ひとつだけ聞きたい。最後の火攻め、あれは誰の発案か?」
「……私だ。正直、火攻めと横列で来られた時、尻に帆をかけて逃げようと思ったぐらいだ」
義頼は答えた。諧謔味を含んだ声だった。
「ほほう、ワシの戦術も間違ってはいなかったのか」
それは良い事を聞いた、とまた大きく笑う。
「くくっ、これから先、お主がどうなるか見てみたかったが……」
「貴方の首を取らなければ、この戦いは終わらない。そして、その傷では長くはないだろう」
その通り、と信応は頷く。
「ワシの負けだ。首を持って行くがよい」
そう言って力を抜き、目を閉じた。
義頼は無言で頷き、太刀を抜いた。
そして、大きく振りかぶり、信応の首を刎ねた。
義頼は信応の首を丁寧に包み、そして宣言した。
「敵将、真里谷信応は討ち取った!」
「皆の者、勝鬨を上げよ!」
里見水軍から勝鬨が上がり、後に[江戸湾海戦]と呼ばれる戦いが終結した。
[江戸湾海戦]
里見水軍 × 真里谷・北条水軍
結果
・里見水軍の勝利
損害
・里見水軍
焼失・沈没 関船3隻、小早28隻(第一艦隊4隻、第二艦隊24隻)
戦死者・行方不明者 600名(推定) 第二艦隊の船軍者を含む ほか重軽傷者多数
・真里谷・北条水軍
沈没 関船5隻、小早60隻(推定)うち30隻が火船で焼失
戦死者・行方不明者 900名(推定) 総大将、真里谷信応を含む
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人物紹介
真里谷信応 <まりやつ-のぶまさ>
真里谷氏の直系で、正式な嫡男(兄の信隆は庶兄)。しかし、既に信隆が後継者として立てられたために、信隆派と信応派に別れて内紛が勃発した。
史実では椎津城が陥落した3日後の天文21年11月7日に自害。
後に北条氏康が信応供養のために寺領を寄付した。




