オアシス
「おはよう!クボケン!」
朝練が終わり、教室へと戻ると既に洋平が自分の席に座っており、他の男子と談笑をしていたようだ。朝練があった分1日がとてつもなく長く感じる気がする。まあ、1限目が数学なので先生もやる気ないし大丈夫だろう
「朝から風香ちゃんにしごかれたんだってな!」
「洋平が言うと卑猥にしか聞こえないな…」
「そっちを連想するお前が卑猥だろ!この卑猥エース!」
こいついちいち声がでかい。案の定クラスがシーンとなり、視線が健太と洋平へと向けられる。しかし、健太は先に危険を察知しており、机に突っ伏して寝たふりをする。洋平が一人で叫んだ形となる
「朝から元気だね、洋平君」
「おはよう風香ちゃん!聞いてくれよ、こいつ朝から下ネタ全開なんだぜ!」
「やめろよ!お前じゃあるまいし!」
そこからは健太と洋平の言い争いになり、眺めていた風香の表情が緩み、ケラケラと可愛らしい声を出して笑う。それを見ていたクラスメイト達も二人の言い争いに笑っていた
その後の授業は地獄であった。朝の早起きプラス15kmのランニングは予想以上に体の体力を奪っており、睡魔が押し寄せてくる。1限目の数学こそ寝ることが出来たが、その後の英語、現代文、化学など融通の利かない先生方の授業はとてもつらい
昼休みは睡眠に使おうと思っていたのに洋平が今日こそは付き合え、というのでしぶしぶ女子3人と洋平、健太という組み合わせでお昼を食べに行く
午後の部活はみんながノックやバッティングなど技術的な練習を行い、健太は投げ込みを行う。投げ込みと聞いただけで心が躍り、朝からの疲れを忘れてしまう、投手とはみな単純な生き物なのだろう
原田に座ってもらい1球1球確認するように丁寧に投げ込んでいく。元々足腰は鍛えていたため安定したフォームを保ち、コントロールはそんなに悪くはない。後は上半身の強化と投げ込みする必要があった
「お前の持ち味はカーブだ。ストレートは凡人。鍛えなければ強豪校にはバッティングマシンよりも遅い撃ちごろの球だ、だがこのストレートもカーブと合わされば脅威だ。ほんの一瞬でもバッターに迷いを生み出せればお前の勝ちだ…よし、走ってこい」
投げ込みが終わるとすぐにランニングをさせられる10km走り、これで本日だけで25kmを走破した
そこからの2週間は地獄となった。毎日毎日、走り込みをやらされ土日には42.195km走らされた。もちろん通してではないが、このままではマラソン選手にでもなってしまいそうだ。みんなも足腰を鍛えるメニューに筋肉痛になり、野球部みんなが足を引きずりながら登下校、学内生活を送っていた
毎日のように家に着くと玄関入口を開けると倒れこむようにして入り込む。そして、倒れこむ
「お兄ちゃんおかえり!」
元気よく居間から飛び出してくるのは中学2年生の妹・久保 さちである。兄である自分から見ても可愛いし、恐らく同じ年の男子諸君にも人気があるのだろう。肩ほどまでの髪は黒く艶やかでおかっぱ、それに反比例するように色白の肌は輝いて見える、眼はクリッとしていて輝いている、笑顔はまさに久保家のオアシス、乾いた健太の心を癒す。母はわかるが何故あの父親から生まれたのか疑問しかない
「健ちゃん、早く風呂場行って、お風呂入っちゃいなさい」
台所の方から母親の声がしたかと思うと怒気の籠った父親の声が聞こえてくる
「男なら部活程度で疲れてんな!さっさと動けバカタレが!」
いつも通りのやり取りである。何かにつけて健太に対してきつく当たる。特に自分が応援している野球チームが負けるとイライラが頂点に達するようだ
「今日は勝ったんだ」
荷物を運んでくれる女神に問いかけると女神は輝く笑顔でうんと答えた。しかし、そんな父親も母親には勝てない。苛立ちも一喝のうちに沈められてしまう
最近は慣れてきたが初めは風呂場にたどり着くことすらできなかったし、一人で風呂に入ると寝てしまって死ぬかもしれないということでさちが風呂場の扉を開けて見張っててくれた。今は扉こそ締められているがその扉の向こう側で本日の『出来事コーナー』が恒例のように始まる
疲れ切った体に染み渡る女神の歌声に聞こえて次第にうとうとしてくると返事が来なかったことを疑問に思ったさちが扉を開けて、頬をつままれ起きる。大体、そんなやり取りを4,5回行うのも日課だ
だいたい9時ごろに帰ってきて風呂に入り、夕食を取り、自室につくと10時半を回っている事が多い。健太が風呂を出て夕食を取っている間、さちは健太の部屋でゲームか漫画を読んでいる。そして健太が来るとちょっとだけ話をして11時にはさちの部屋へと行ってしまう
ここ2週間で健太の身の回りは急激に変化した。腐りきった毎日から野球漬けの毎日になり、親もなんだかんだ応援してくれてる、さちに至っては健太が野球を辞めた日から野球が嫌いと言って父親が野球を見ているとチャンネルを勝手に変えたりしていたがそれもなくなり、父親と意見を交わしながら野球を見るようになった。良いのか、悪いのか分からないが良くくっ付いてくる。まあ兄としては嬉しい限りだ
そんな感じで学校の宿題などやる時間がないと言い訳しつつ就寝する