思い出
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グランドの隅の方に野球部の部活動場所がある。そこに胸に『青桜一』ユニホーム姿のと感じと書かれた4人の2年生と新入生らしき部員5人が立っていて今まさに自己紹介が終わったところである
「メンバーはこれで全部か…少ないけどやっと9人そろったね」
「誠司はもっと連れてくるって言ってなかったっけ?」
「うるせ...色々声かけたけど全然入ってこなかったんだから仕方ないだろ」
「今年も女子マネなしとか辛すぎ」
『誠司』と呼ばれていたユニホームの肩に主将のマークを付けた180センチ後半の身長はあるであろう一人が前に出る。肩幅、胸板、腕、太もも、ふくらはぎ、何処を見ても良く鍛えられていて筋肉がついている
「キャプテンの原田誠司だ。みんな野球部によくきてくれた、ぎりぎりだが9人集まったのは嬉しいことだ。これからよろしく頼む…それと目標は高く持つ、『甲子園優勝』。何を言ってるんだと思うやつもいると思うが、俺はそのために高校生活を全てかけるつもりでいる」
去年、不祥事で大会に出られず、今年はやっと9人集まったようなチーム、そのキャプテンがこんな発言をすれば笑いが起きても仕方がない
しかし、笑う者はいなかった。何故なら今年の一年には『呉越の4番 村澤』がいるからだ、2年生、1年生問わず知っているほどの超有名人。3年最後の大会では全国大会ベスト4にチームを導き、自身は5打席連続本塁打という輝かしい成績を残している
なぜこんな高校に来たのかは知らないが、みなが注目しそして、期待している
「なあ誠司、盛り上がってるとこ悪いんだけどよ…」
「なんだミヤジュン」
先程の会話の中で、女子マネがいないといっていた2年の先輩が原田へと話しかける
「俺らの2年の中に投手いないじゃん。んでさ、今年の1年にも投手いなくね…」
時が止まったように場の空気が凍る。9人いるといったがうち1人が初心者であることが判明している。先程の自己紹介では投手を経験したことがあるものすらいなかったのだ
「原田さん、投手について少しお話があります」
「なんだスパースター…お前もしかして、投手までできるのか?」
他の新入生より少し前に出て発言する村澤に対して嫌味のあだ名で呼ぶ先輩の方は無視して原田に話続ける
「思い当たる投手がいます。絶対連れてきますので少し協力して頂きたいのですが…」
「協力はいいが何をすればいい。俺にできる事なんて野球と食べて、寝るくらいだぞ」
腕を組んで真面目な顔をして話す原田の少し後ろで先程嫌味をいっていた先輩がくすくすと笑う
「なんだ、橘…」
後ろを向いて睨むと橘と呼ばれた先輩は姿勢を正す。しかし、表情は笑っており、それを隠すために手で顔を抑えている
「えっと、いいですか?協力してほしいのは…」
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夜は気分が沈むからあまり好きじゃない。ましてや昼間にあんなことがあったのでは余計に沈む。自室のベッドの上で横になり、天井を見つめるクボケンは帰ってきたときの制服姿のままである
「あ~だめだ。全然眠くならねえ…やっぱり走らないと駄目か」
毎日の日課、それが走り込みであった。毎日必ず朝5km、夜10kmほど走ってから寝る習慣が体に染みついている。距離は違えど小学生の時から行ってきたことなので1日やらない日があると気持ちが悪い。おかげで学校行事の持久走では必ず入賞する
部屋にかけてあるトレーニングウェアに着替えると何故か、自分の机の上の棚で埃をかぶったグローブに目がいく。見るだけであの日を思い出すので、何度も何度も捨てようとしたが捨てることが出来なかった。グローブには中学の軟式球ではなく、高校野球用の公式球が挟まっていた
「ちょっとだけ…ちょっとだけ投げてみるか」
誰が聞いているのでもないのに、誰かに言い聞かせるように呟くと家を出て走り始める
少し走った位置にグランドがある。少年野球用のグランドだが縦横の広さは100mほどあり、ランニングの合間にダッシュなどを行う際使っている。誰もいないグランドに入って聞くと小学生の時の風景が頭によぎる
『違うよ、透!右利きのグローブは左手につけるんだよ!』
村澤が初めて一緒のチームの練習に来た日
『打つ方はもう、透には勝てないな~。でも俺の球は打たせないぜ!』
4年生にして5,6年生の試合に出場した日
『やったよ!透!俺たち関東大会出場だぜ!』
6年生最後の大会、県大会準優勝で関東大会に出場が決まった日
『中学では別のチームでも、高校は同じとこ行って甲子園行って、プロ行こう!同じ球団でエースと4番だ!』
透が引っ越す前日、5打席勝負で2安打討たれた日。そして約束の日
ただただ、野球をしているだけで楽しかった日々。純粋に野球が好きで、透とプレイできることが嬉しかった日々
野球を辞めようと決断したのもこのグランドだった。でも、なぜか今日はそのことを思い出すことはなかった。村澤に昼間会ったからなのか思い出すのは楽しかった日々
体はランニングとダッシュで温まっている。久しぶりのマウンド。マウンドと言っても平らな地面にプレートが埋め込まれているだけ、子供用と大人用とあって子供用は16m、大人用は18.44mにセットされている
大人用のプレートに足をかける
春の夜風は少し寒いが、火照った体には心地よい気持ちのいい風となる
全身の毛が逆立つ感覚、鳥肌が立つ、久しぶりのボールの感触が気持ち良い。グローブの中で2,3度転がして右手で握る。マウンドは特別な空間、自分はパワースポットなどでは何も感じない人間だが、マウンドでは神を信じてしまう
思わず顔が緩む
振りかぶる、足を上げる、着地と連動して体が流動する
体は自分のピッチングフォームを覚えてい
手から離れていくボールに指先の力が加わる。全体重を乗せた渾身の一球は設置されたホームベースの上を通過してネットに収まる。ネットに激突後シュルシュルと音を立てながら回転が弱まり地面に落ちる
本当は野球がしたかった、大好きな野球から離れることがどれほど辛いことか回りの人は分からないだろう、期待に添えなかったら騒ぐのを辞めて見下す
結果が全てでもひどすぎる現実
「まだ投げれるじゃん」
夜風に乗って聞こえた言葉に後ろを振り向く。バットを肩に担いでバッティンググローブをはめた村澤が立っていた
「健太の家行ったらさ、走りに行ったって聞いてさ。コース変わってなければここ通るかなと思って」
クールで滅多に笑わない村澤が笑顔を見せる。長いこと見ていなかった笑顔だ。子供の時と変わらない、なんだか昔に戻ったみたいだ
「まだマウンドには立てないかもしれない…ごめん」
ネットに寄りかかりスポーツドリンクを口にする村澤に声をかける。これが今の答えだ、高校生活の間だけでは、打者を相手にしてマウンドに立てないかもしれない。正直怖い
「でも戻ってくるんだろ?」
もう答えを知っているかのように村澤は問いをかける
「うん、やっぱり野球はやりたいんだよね」
「マウンドが怖いか?」
「…まだ、何とも言えない。打者を目の前にしたら投げれないのかもしれない…」
「じゃあ、明日。昼休みに野球部のグランドで最強の打者と対戦してみないか?キャッチャーも付けるからそこで投げてみて決めてくれ」
唐突過ぎる提案に戸惑うが村澤は拒否する暇を与えることなくバットを担いだまま帰っていってしまった。体の火照りが覚めて肌寒く感じる。3年間一緒にいなかっただけであんなに大きくなるのかと村澤の背中を眺めながら思うのであった