井の中の蛙
「すげーな、くぼけん!市内大会四試合連続完封!新聞に大きく書かれてたぜ!」
中学二年生の階にあたる三階は、朝から騒ぎっぱなしだ
それもそのはず、この中学校は創設以来、野球部が一度も公式戦で勝利したことがないという悪い意味の大記録を持った学校だった
そこに現れたのが今、皆に囲まれている【久保 健太】である。彼は中学校夏の市内大会を四試合連続完封という歴史にのこりそうな大記録を打ち立て、この中学校を市内大会優勝へと導いたのだ
「いやいや、試合に出てた先輩たちのおかげだよ」
健太は皆に笑顔を見せる
最初の完封勝利からひっきりなしに毎日のように生徒に囲まれ、告白された回数も数え切れないほどである
授業が終わり、放課後部室の中で健太と他の二年生達は着替えをしていると扉が開き三年の先輩たちが入ってくる
二年生達は全員立つと一礼し挨拶をする
心なしか先輩たちの表情は浮かばれない
キャプテンの須藤が一枚の紙を健太に渡し、全員で見るように促す。そこには県大会のトーナメント表が書いてあり、一回戦の相手に丸印がついている
「「「【呉越大付属中学】!?」」」
健太以外の二年生たちが悲鳴にも聞こえる叫びを上げる
「そうだよ…よりによって優勝候補だよ
…」
「俺たちの夏は終わったな…」
「親に野球やってる間は、受験勉強、受験勉強言われなくて済むと思ったのに!」
三年生達は俯き絶望に浸っている
そんな中明るい表情の健太がいた
【呉越大付属中学】
【呉越大付属高校】、【呉越大学】の直接の付属中学である。
中学、高校、大学におけるまで野球の名門として全国に名をとどろかせている。特に高校は【埼玉県二強】の一つに数えられ、出場校200近い埼玉県において夏の甲子園29回の出場回数を誇り、甲子園優勝回数も3回としている
今年の呉越大付属中学は最強世代と呼ばれ
入学からエースを任されている二年左の【相馬】
同じく入学から四番を任されている二年【村沢】
同じく入学から五番を任されている二年【川口】
と言った化け物じみた野球センスを持つ面々がそろっている
「くぼけん!お前何で笑ってんだよ…」
健太と同級生、二年生の中の一人がにやつく健太の顔を見て引いている
「くぼけん、お前は俺たちが次の試合でいなくなるから嬉しいのか!」
「いやいや…もちろん勝つ気で行きますよ。ただ、透…村沢と闘えるんだなって思って」
健太はもう一度トーナメント表に視線を落とすと一回戦であたる呉越大付属中学の名前を確認する
「そういえば、くぼけんと村沢は幼なじみだっけか」
キャプテンを勤める須藤が何かを想い出すように手を顎に当てて考えながら健太に問う
「確か、俺たちのチームも当たったことあった気がするな…五年生だったくぼけん達にボコボコにされたっけな…」
須藤は自分で言っておきながら自分で落ち込んでいる様子だ
「今や別々のチームでこっちは弱小校を県大へ導いたスーパーエース…あっちは強豪校の主砲…なんか漫画みたいな設定になってきたな」
「ってことは、主人公のくぼけんがいる俺らが勝ってことですね!」
「でも、あっちから見たら村沢が主人公じゃね?」
「そこは、無視して…ここは、くぼけんが押さえてくれることを願いましょうよ」
「まあ、くぼけんが投げて一点取って守りきる…それしか出来ないからな」
キャプテンの一言を最後にユニホームに着替えた選手達がグランドへと出て行く。全体的に表情が明るくなった気もする
サッカー部やソフトボール部なども一緒に使用するグランドは野球部の使えるスペースが狭い。全国で戦う呉越大付属とは練習量が圧倒的に足りないがそれでも部員の誰もが健太の市内大会でのピッチングを見て期待をしていた
県大会は市内大会とは違い結構な遠出になることが多い。この日健太たちの中学校は呉越大付属にほど近い県営の球場で試合を行っている
平日だというのに観客席はほとんどが人に埋め尽くされている。呉越の人気もさることながら、市内大会四試合連続完封を引っさげたピッチャーがくるということもあり観客席は大いに沸いていた
「あれ…市内大会を四試合にで完封したっていう久保健太だよな?」
「間違いないよ…新聞にも乗ってたし」
「おいおい、まじかよ…」
「期待してたんだけどな…」
「所詮、市内大会のレベルなんてたかがしれてるってことか」
「全国は違う…」
マウンドに立つ健太は肩で息をしてダイヤモンドを回る背番号3を付けた【川口】の姿を眺めている
川口がホームベースを踏むと健太の後方に点滅する点数が
0-18
の表示に変わる
まだ回数は2回裏…
そんな馬鹿な…
なんで、なんで、なんで…
こんなに差があるのかよ
同じ中学生だろ?
ふざけんな、ふざけんな
点数を刻む電子掲示板が0-21を示したときやっと2回裏の呉越の攻撃が終わる
ベンチに座り、タオルを頭からかぶった健太に声をかける者はいない。みんながみんなベンチに俯きながら座り、話そうとしない
マウンドに立つ相馬の球はキャッチャーの構えたミッドに吸い込まれ三振の山を築く。既に3回表にして7個目の三振を取った
そうか、俺は所詮…井戸の中の蛙か
試合が終了し電子掲示板に表示されているのは0-49
市内大会大活躍の久保健太の名はこの日を境に消えた