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息を整えたセクタは再び開いた扉に向き直った。
慎重に入り口を通過し、歩を進める。
暗闇の中、足音も立てず。
今までは機械相手だった。
機械相手ならば通用するのだ。
この隠れ蓑が。
更にこの暗闇。視覚が遮られる。
慎重に。慎重に。
すぐそこに、ほんの2メートル程先に若干、光が見える。
どうやらその2メートル先に扉があるようだ。
右側と、左側。二つの扉が。左側は固く閉ざされている。
が、右側は無防備に、誘っているように開いている。
そこから少し光が漏れていた。
罠だろうか、と、一瞬考えたがどうやらその先ほどからの臭い。
防腐剤の臭いはここから来ているようだった。
罠、という可能性は薄そうだ。
右側の、開いている側の扉を半身を乗り出しながら確認する。
異臭の原因がすぐ目に飛び込んできた。
よくあることである。
機械技師には。
かの天才技師、クリューシカから聞き得た通りである。
二代目もかなりの秀才のようだ。
失敗、しているはずだが。重要な部分が足りていなかった。
既に廃棄したのだろうか。
思案する。
が、そんなことは後でいい、とセクタは踵を返す。
要塞の外観から推測するに先ほどの、異臭のする部屋が面積の3分の1を占めている。
先ほどの通路は扉二つから先は行き止まり。
閉じた扉、つまりこの部屋の向かい部屋にそれは居る可能性が極めて高かった。
端末の時計を確認する。
こうすると落ち着くのだ。
ああ、今日もあの子は元気だろうか。顔が浮かんでくるようで、どこか切ない気持ちになる。
すまない、と心の中で謝ると向かいのドアノブに手をかけた。
ゆっくり、ゆっくりとドアを開いた。
暗転。更なる暗闇。
ほぼ何も見えない。
先ほどの暗闇が眩しいぐらいに。
自分の足の先が崖だったとしても何ら不思議ではない程にセクタの目には暗闇しか写っていなかった。
「通信機能でも壊れたの?」
それは少女の声のように聞こえた。
敵意は見えない。
少なくとも言葉では。
見えないのだ。
それ以外に、確認手段を持ち合わせてはいない。
更によく耳を澄ましてみるとガチャガチャと金属同士がぶつかっているような音がしていた。
このまま耳を研ぎ澄ませていても仕方が無いと、セクタは会話を試みる。
「あ~。すまないが聞いてもいいか?」
「!誰!?」
少女であろう者は驚いていた。
が、そんなことは気にならなかった。
視えた。
この部屋で唯一、視認することが出来た。
つまり光源。光を放っている。
通常、光を放つはずのないものが。
その瞳。
これまでの人生で一度だけ、聞いたことがある。
この世の最も高い地位の人間に。
光を有すその瞳を「白光眼」という。
暗闇でひたすら、白く輝くその瞳に見入っていた。
美しい。
この世にこれほど美しいものがあるのか。
吸い込まれてしまいそうな瞳とはこのことだ。
星のひとつもない。
地上からの光も一切ない漆黒の空に輝く月のようだ。
同時に儚さのようなものを感じる。
なぜかはわからない。
セクタには珍しく、直感で。
「くっ。」
少女が短く呻くとその美しく儚い光は隠れてしまった。
そこで初めて気づく。
その瞳に見入ってしまっていたことに。
根本的にセクタは美しいものにはあまり興味がない。
外観よりも内容を重視する人間だ。
だから驚いた。
我を忘れてその瞳を見つめていたことに。
らしくない。
悪い傾向だ。
「待ってくれ。」
先ほど、光る目があった箇所、周辺に手を伸ばす。
逃げられてはまずい。
目的の要なのだ。
確証は無い。
が恐らく、この少女が。
セクタの手が宙を切ったところで、再びその目がこちらに注がれた。
2メートル程だろうか。
先ほどより離れていた。
その光る目が姿を現したと同時にガチャっとレバーを引いたような音がした。
一瞬だ。ものの一瞬で何かに脇腹の大部分を何かに食いちぎられた。
「グ・・。ま、待て。ゲホッ。俺は、・・クリュ、シカさんの・・・知人だ。」
声が思うように出ない。
ドロリとした液体が大量に流れ出す。
欠損箇所が熱を帯びている。
通常ならここで息絶えてしまうだろう。
冷えて動かなくなって、終わりだ。
だが、そう簡単には死なない。セクタは。
懐から何かを取り出すとその欠損箇所に埋め込む。
血管の結合、臓器の再現、いわば生命維持装置。
正式名称は無い。サラは名称に関して、余り興味が無い。
「・・・じじいの?」
少女は興味を示したようだ。
少なくとも更に攻撃を加えるつもりはないらしい。
「少し、待っ、て・・・くれ。ゲホッ。うまく・・・しゃ、べ、れん。」
少女はその名を耳にして話を聞く気になったようだ。
何も言わずその場に座り、しばらく、こちらを眺めていた。
十分程経っただろうか。
大方、馴染んできた。
神経への接続がある程度、完了したようだ。
この短時間で。
まともに喋れるほどになった。
共に痛覚が刺激される。
この感覚には慣れている。
問題は無い。
「待たせた。俺はクリューシカさんに依頼されてここに来んだが。」
「・・・」
返答は無い。
相変わらず、セクタの目に映るのは件の白光眼のみ。
「お前がクリューシカさんの弟子か?」
「・・・・・・弟子じゃない。」
否定。
だが、恐らく依頼された子供とはこの少女のことだろう。
生体反応は二つしかないのだ。
この要塞、直径五キロに渡る範囲で。
セクタが一つ目。少女が二つ目。
「じゃあクリューシカさんとはどういう関係なんだ。」
「・・・一緒にここで住んでた。」
育て親か。
確かに弟子とは少し味気が無かったかもしれない。
セクタはあまり子供の扱いは上手くない。
あの子供。業を背負った我が子ですら持て余しているのだ。
初対面の子供と上手くコミュニケーションを取れるはずが無い。
「そうか。クリューシカさんには昔、良くしてもらっていてな。半年程前に電信があったんだ。」
口数の少ない奴だ、と思ったがこの状況だ。
無理も無い。
人の死など腐るほど目にするアクスマグラに於いて、近しい人間が死ぬことなど、有り触れていた。
が、経験が必要だ。平常心でいる為には。
それが不足している。
子供なのだ。当然のこと。
「その頼みというのが、弟子をここから連れ出してやってくれ。というものだ。」
「え?」
「すまない。とりあえず電気、つけてもらえないか。何も見えん。」
「・・・。」
唐突に明かりが点った。
セクタは眩しさに目をひそめる。
薄く開けた目から部屋を眺める。
閑散としていた。
何も無かった。
おおよそ生活に必要であるはずのものが一切。
あるのは壁に埋め込まれている大型ディスプレイと外付けの入力デバイス。
あと床に散らばっている機械の部品、及び工具のみだった。
機械開発、製造は向かいの部屋で行っているとみて間違い無さそうだ。
機械制作用であろう機械がいくつかあった。
ここは大方管理室、といったところだろうか。
少女は目を細めながら、口を開いた。