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九章 迷い



「―――母さんは」


 話し終えた青年は櫛を取り、後ろから母の肩まで伸びた髪を梳く。

「父さんを殺した第七が憎いか?」

 静かな口調で問う。

「私は……分からなくなったんだ。奴等を抹殺すれば、確かに仇は討てるだろう……現にそのチャンスはあった」

 凶暴な刃の下。第七の永遠の根源、“黒の燐光”は余りに無防備な姿で己の前に転がっていた。


「だが、あの時の私は恐怖の虜だった」


 櫛を持っていない震える左手を眼前に翳す。

「転がり込んできた千載一遇の機会に歓喜など微塵も無く、ただ小晶が……今にも息絶えそうな事実に慄き、破壊する所か剣を抜く事さえ忘れて……」

 再び沸き起こる恐怖で震えた手を額に当てる。

「臆病者だ。私は……復讐者失格だ」


「シャーゼは好きなのね、死神さんが」


 パッ!手をどけた先では、狂っていた筈の母が幾分老けた顔で微笑んでいた。

「っ!?母さん、今……」

 髪から櫛を外すと、患者はゆっくり振り返って息子の頭を撫でた。

「正気に戻ったのか?」

 母は未だ夢見がちな目をしていたが、奥には昔と同じ意志の光がある。

「なら答えてくれ。私は間違っているんだろう?第七は憎き敵で、滅ぼさなければならない相手だ。父もそれを望んでいる、そうだろう?」

「ジョウンは誰も恨まない人だったよ」

 囁かれた台詞の切っ先が、苦悩で荒れ狂う精神を容赦無く抉る。

「違う!殺人鬼は父さんを殺し、母さんを壊した!仮令墓の下で何と思っていようと、生きている私達は……!!」


 パタパタッ。


「母さん……一体、この気のおかしくなりそうな感情は何なんだ?分からない……初めてだ、こんな事は」

 彼女相手に連日支離滅裂な話を続けた結果がこれだ。治まる所か一層錯乱は深まり、一人では最早どうしようもない。


「―――さん、泣かないで」


 よく聞き取れない名前で母が小さく呼ぶ。

「……母さん?」

「あなたは正しいわ。どうか自分を信じて」

「何を、言っているんだ……?私は、―――私は正しくなどない!!」


 バタンッ!!


 ドアを開け放し、銀髪を乱れさせて飛び出す。しばらくしてその出口から長女、アムリ・フィクス女医が顔を出した。「お母さん?」

「嫌われちゃったね」

「まさか。あの子、帰って来てから家ではずっと塞いでいるの」ペコリ。「毎日ありがとう。話聞いてくれて」

「どういたしまして」

 弟の放り出した櫛を拾い、ちょっと借りるね、仕事明けで現れた癖毛を梳いて直した。




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