毒刃の余韻
透真は、荒れ狂う言霊を封じ終えたばかりの身体に鞭を打って走った。
目指すのはこの真澄の里にある巫女殿。里そのものが大いなる浄化の地である以上、巫女の祈祷と薬は何より早く確実に毒を鎮めるはずだった。
距離は近い。
だが焦りが、道を必要以上に長く感じさせる。
(頼む……間に合ってくれ。)
背を伝う汗は戦いによるものか、それとも心のざわつきか。
巫女殿の見慣れた白壁が視界に入り、ようやく胸が少しだけゆるむ。
「透真様、こちらです!」
迎えてくれた見張りの若者に案内され、すぐ隣室へ駆け込む。
ふすまを開けた瞬間、胸に押し寄せたのは薬草の鋭い香りと、布を絞る音だった。
部屋の中央、横たえられている凛空。その傍らには結芽、そして巫女――水凪がいた。
水凪は長い黒髪をひとつにまとめ、白と淡い水色の衣をまとっている。穏やかな目元はしかし、治療の緊迫のためか少しだけ険しい。
「透真様、処置は終わりました。毒の回りは早かったですが、なんとか間に合いました。」
その一言を聞いた途端、膝から力が抜けそうになる。
透真は深く息をつき、凛空の顔を見る。
蒼白ではあるが、呼吸は安定している。
「……良かった。本当に……助かった。」
水凪は頷き、淡々と続けた。
「影風の毒は、即効性のものではありませんが、体力を奪い、判断力を鈍らせます。数日は安静に。動けるようになっても戦闘は避けた方がいいでしょう。」
「そうか……急な対応に関わらず素早い対応ありがたい。」
隣の結芽も、ようやく少し安堵の息を漏らした。
「ほんと、焦ったよ……。あんな顔色の凛空、見たことなかった。」
「油断していたとは言わぬが……敵はいやに手際がよかった。狙いは言霊庫だったんだろうが、毒も用意していたとすれば……」
透真は眉を寄せながら言葉を切る。
結芽が静かに続けた。
「透真。今後の動き……どうする?」
透真は凛空の寝顔を一瞥し、水凪の方を向く。
「予定通り、蒼篠の里へ向かうつもりだ。あの敵は真澄で詞鏡を奪った……次は間違いなく蒼篠を狙うだろう。」
水凪は小さく頷き、近くに置かれていた小箱を差し出した。
「これを持って行ってください。毒への解毒薬を数種。すべてに効くわけではありませんが、対処の糸口にはなります。蒼篠は自然に恵まれています。あちらの専門家と協力すれば、より確かな対策ができるはずです。」
箱の蓋を開けると、小瓶がいくつも収められている。
透真は慎重に受け取り、深く頭を下げた。
「感謝する、水凪。大きな助けだ。」
「いえ。凛空はこの里の守り手でもありますから。」
結芽も礼を述べたあと、凛空の髪をそっと撫でる。
「凛空。あとは任せて。私たちがやるから……ゆっくり休んで。」
透真はその姿を見つめ、静かに決意を固めた。
「休めるときに休ませよう。……行くぞ、結芽。」
結芽は凛空を一度振り返り、短く頷いた。
「うん」
ふたりは巫女殿を後にした。
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森の奥――。
影風は枝を踏む音すら立てず、夜の暗がりに溶け込んでいた。
月の光を避けながら、身に下げた袋の中身を確かめる。
「……ふふ。少しだが、真澄の詞鏡も奪えた。」
袋の中には、複数の詞鏡。
(急ぎ過ぎて吟味はできなかったが……まあ、使えるだろう。)
影風は木の幹にもたれ、肩を軽く回す。戦いの名残がまだ筋肉に残っている。
「あのガキ――凛空だったか。思ったよりやるな。ちょっと手加減しすぎたか?」
思い返すのは数刻前の戦い。
凛空の踏み込みの鋭さ、読みの深さ。そして――
「……そしてあの透真。想定外だったな。」
影風の唇が、愉快そうに歪む。
「気づくはずもねぇか。俺はアンタをよく知ってるが、アンタは俺を知らない。ま、都合がいいけどな。」
透真が敵意を向けてきたときの、あの真っ直ぐな視線を思い出す。
まるで「初対面」のように、迷いなく。
影風は空を仰ぎ、夜風を吸い込んだ。
「次は蒼篠だな。あそこは鍛冶の里だが自然に囲まれている。毒の調整にゃ格好の場所だし……また騒がしくできるな。」
数歩、闇の中を歩き、ふと立ち止まる。
「さて、どう料理してやるか……」
影風は、身軽な影となり闇に消えた。
蒼篠の里へ――
第二の襲撃は、もうすぐそこまで迫っている。




