闇道を駆ける想い
透真は山林を駆け抜けながら、荒くなる呼吸を整えていた。
追跡していた幽淵の者は、気配を断つ術に長け、罠の扱いにも慣れていた。
一瞬の気配の断絶、そのまま逸れ道に消えてしまったのだ。
(このまま追っても、時間だけを無駄にする。ならば……先回りだ。)
透真は判断を切り替えた。瑞穂を襲ったということは、次に狙われるのは限られている。
それは 悠真の里、もしくは真澄の里…自分が守るべき言霊庫だ。
「……急がないと。」
山を抜けると、低い丘陵の奥に小さな村落が見えてきた。
藁葺き屋根の家々が並び、薄い煙が立ち上っている。
透真は息を整えて走り込み、村長の家へ向かった。
「馬を一頭、譲ってくれないか。急用だ。」
状況を聞いた村人は、驚きつつも事情を察したのか、快く馬を引き出してくれた。
透真は深く礼を言い、手綱を握りしめる。
「必ず、守ってみせる。」
馬の腹を蹴った瞬間、風が裂けるように駆け出した。
真澄の里まで、最短で半日。
だが、逃走した幽淵の者は徒歩で移動していた。
馬で向かえば、十分に先回りできるはずだ。
透真は馬を走らせながら、使い獣を呼び出した。
遠くから黒い小鳥がふわりとやって来て、肩に止まる。
「凛空へ。急ぎ渡してくれ。」
封書を受け取ると、小鳥はひと鳴き、空へと舞い上がった。
「幽淵の者がこちらへ向かっている可能性がある。特に言霊庫と長老殿の守りを固めよ。透真。」
透真は馬を走らせながら、空の彼方へ消えていく影を見つめた。
(どうか間に合ってくれ……。)
馬の息遣いが荒くなり、汗が飛び散る。
風は冷たいのに、胸の奥がひどく熱かった。
その頃、森の奥深く、ひと気のない山道を、一人の影が音もなく進んでいた。
影風。
その眼に宿る光は、獣のような鋭さの中に、どこか狂気じみた穏やかさが混じっている。
元・久遠の宵隠れ、闇に忍び、音もなく人の背後に回る、影から国を支える者たち。
今は、幽淵の装束をまとう者として単独行動を続けていた。
「真澄までもうすぐだ。」
影風の足取りは早い。
裏道や獣道の地形は完全に把握している。
人のいる村には寄らず、外れの家を探しあて、最低限の食料と水、馬を奪った。
奪った馬で駆けていたその時だった。
ピュウ――と鋭い風切り音が耳をかすめた。
影風は即座に身を翻し、背後の梢を見上げる。
「……使い獣か。」
闇に紛れるように降りてきた小さな使い獣が、影風の前に舞い降りた。
その爪には封書が握られている。
影風の胸がどくん、と高鳴った。
(……この獣は……遥花様……!)
震えを抑えながら封書を受け取る。
紙を開く指先が、わずかに震えていた。
『あなたが天響を襲ったの?
村長を殺害したの?
茜を連れ去ったの?
もしそうなら、なぜ?』
影風は静かに息を吐いた。
(……なんと率直な。遥花様らしい……だが純粋すぎる問いだ。)
どう答えるべきか。
心は嬉しさと焦りの間で揺れていた。
(正直に全て話せば遥花様は傷つく。
久遠が攻撃されることを……望まれていないだろうから。)
しかし、嘘で遥花の心を曇らせたくない。
彼女への執着にも似た忠誠は、影風の魂を縛りつけていた。
(ならば……“事実”の輪郭だけを示し、核心は曖昧にする。
遥花様が辿り着くべき場所へ導くために。)
影風は馬から降り、封書を返すための紙を取り出し、筆を走らせた。
『遥花様へ。
あなたが私へ問いを送ってくださったこと、
この身に余る光栄にございます。
まず、天響で起きた出来事――
私が関わったのは “ある目的を持った者” を助けるためでした。
その過程で起こった事象のすべてが、私の意志ではございません。
村長殿に関しては、私の手によるものではありません。
しかし、あの夜、別の者が動いていたことは確かです。
茜殿をお連れしたことのは仲間の意志です。ですが決して害する意図はありません。
遥花様。
私はあなたの味方です。
そしてどうか、それを忘れないでください。 影風 』
影風は封を閉じ、使い獣の足にそっと結びつけた。
「……届けてくれ。遥花様に。ただし一人きりの時にひっそりと。」
使い獣は一声鳴き、闇へ吸い込まれていった。
影風はしばらくその背を見送った後、静かに立ち上がる。
「遥花様……私はただ、あなたの選ぶ未来のために道を掃うだけ。」
その声には狂気を帯びたほどの静かな決意が滲んでいた。
影風は再び夜道を駆ける。
真澄の里へ向かう足取りは、迷いがなく、喜びを噛みしめているかのようだった。




