表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/22

帰還②

天響の里の奥、静かな通りに佇む一軒の家。その戸口の前で、遥花は足を止めた。胸の奥がざわめき、戸を開けるのが恐ろしいような、不思議な感覚に捕らわれる。


陽路がそっと声をかける。

「……ここが、遥花様のお家です。ご家族が、お待ちでしょう。」


遥花は小さく息を吐き、頷いて戸を開いた。


中から現れたのは、年を重ねても背筋の伸びた母と、穏やかな眼差しを湛えた父だった。母は遥花の姿を見た瞬間、手を口に当て、次の瞬間には駆け寄って抱きしめる。


「……遥花……本当に、遥花なの……!」

その声は震えていた。


父も目を潤ませながら頷く。

「夢ではないのだな……ようやく、帰ってきてくれたのだな。」


遥花は抱きしめられながらも、どう返せばいいか分からず、かすかに首を振った。

「……ごめんなさい。思い出せなくて……」


母は一瞬驚いたが、すぐにその背を撫でる。

「いいのよ。生きて帰ってきてくれた。それだけで……。」


その場の空気が落ち着いたころ、陽路が一歩進み出た。

「――恐れながら、少しお時間をいただけますか。お伝えせねばならぬことがございます。」


両親は神妙に頷き、囲炉裏端に移って腰を下ろす。陽路は正座し、淡々と、しかし確かな口調で話し始めた。


「本日、里の外で遥花様と再会いたしました。ですがその折、禍ツ者どもが不意に現れ、襲撃を仕掛けてきました。狙いは……遥花様そのものだったのか、それとも別の意図かは定かではありません。ですが、確かに言えるのは――この里にまで禍ツ者の手が迫っているということです。」


母が険しい表情を浮かべる。

「……遥花を、狙って……?」


「はい」

陽路は深く頷く。

「しかも、遥花様は長き異界での暮らしのためか、記憶を失っておられます。綴る者としての務めも、里のことも……ほとんど覚えてはおられません。」


父の眉が動き、苦渋の吐息が漏れる。

「……過酷な旅路を強いられたのだろうな。」


母は遥花の手を包み込み、揺れる瞳で陽路を見た。

「……記憶を失ったままでは、この子も心細いでしょう。陽路、貴方が傍についてくれているのなら……少しは安心できます。」


陽路は姿勢を正し、静かに言葉を返す。

「私はただの従者にすぎません。けれど、どのような状況であろうと――遥花様を守るのは私の務めです。例え今、綴る者として歩むことを思い出されていなくても……その傍に在りたい。それが、私の願いでもあります。」


遥花は驚きに目を見開いた。

(……私の傍に在りたい……?)

胸の奥が熱を帯び、言葉にならない思いが広がっていく。


父がその様子を見守りながら、深く息を吐いた。

「……陽路の言葉、ありがたく受け取ろう。だが、禍ツ者が里近くにまで迫った以上、私たちだけでは抱えきれぬ問題だ。長老方と協議を重ねる必要があるだろう。」


母も小さく頷き、遥花の肩を抱き寄せた。

「遥花、きっと大丈夫。貴女には、支えてくれる人がいるのだから」


そのとき、襖を開ける音が響いた。

現れたのは、少し年下の娘――茜だった。白衣に身を包み、真っ直ぐな眼差しで姉を見つめる。


「……お姉様。」


遥花は思わず立ち上がったが、どう声をかければいいか分からず、視線を逸らす。記憶がなく、妹の顔を覚えていない自分が、どう向き合えばよいのか――。


そんな遥花の戸惑いを察したのか、茜は静かに頭を下げた。

「お帰りなさいませ。……お話の内容を少し聞いてしまいました。記憶を失っている、それでも、こうしてまたお会いできただけで、私は嬉しいです。」


茜は一瞬言いよどみ、それから勇気を振り絞ったように陽路へ向き直る。

「ですが……この家で過ごすのは、今のお姉様には負担が大きいのではないでしょうか。記憶がない中で、家族として接しようとすれば……かえって混乱することもあるはずです。」


母が心配そうに茜を見た。

「茜……?」


「だから、しばらくは陽路のお宅でお世話になるほうがよいと思うのです。従者である陽路なら……お姉様を安心させることができるでしょうから。」


言葉は柔らかいが、その胸の奥に複雑な感情が渦巻いていることは、陽路にも伝わってきた。

――尊敬する姉が帰ってきた喜びと同時に、無意識の恐れ。


遥花は茜を見つめ、震える声で言った。

「……ありがとう。優しいのね。」


茜は小さく首を振り、淡く笑った。

「優しいのではありません。ただ……お姉様にとって一番よい形を考えただけです。」


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ