言霊暴走と潜影の手
瑞穂の里の門が視界に入り始めたころ、天響から向かった一行はすでに息を殺し、周囲を警戒しながら歩を進めていた。
伊吹、透真、結芽。そして後ろには、兵士達。
里の周囲に漂う空気は、明らかに異常だった。
湿り気のある風に、焦げた木片の匂いが混じっている。
門兵が慌ただしく駆け寄ってくる。
「結芽様! よくぞお戻りを! 集落の方で……言霊の暴走が発生しておりまして!」
予想していたとはいえ、その言葉に結芽は息を吸い込む。
「綴る者様が不在のため、颯真殿と瑞穂兵が総出で対応しておりますが……範囲を抑えきれず、消耗戦となっております!」
結芽は即座に頷き、迷いなく現場の方へ駆け出した。
「言霊庫はどうだ?」
透真が問うと、門兵の顔に一瞬影がさした。
「……確認が取れておりません。暴走への対応で、手が回らず……」
その瞬間、透真の目に鋭い光が宿る。
「言霊庫が心配だ。私なら今、そこを狙う。」
伊吹も頷く。
「俺もその意見に賛成だ。透真、任せたい。いいか?」
「了解した。」
透真は即座に身を翻し、里の奥へと疾走する。
伊吹は結芽の後を追い、兵士たちに短い指示を飛ばしてから走り出した。
結芽が現場に到着した時、瑞穂の集落はすでに惨状を呈していた。
家屋はいくつも倒壊し、木片や土埃が宙を舞う。建物の影から、濁った嘶きのような声が何度も響いた。
中央では颯真が槍を握りしめ、兵士たちと連携しながら言霊の攻撃をかわしている。
しかしその動きには明らかな疲労がにじんでいた。
丸一日以上続く戦闘――限界が近い。
「颯真!」
結芽の声に、颯真が驚いたように振り向く。
「結芽様! ……よく、お戻りに……!」
「おお、結芽様が戻られた!」
兵士たちの士気が一気に高まるのが分かった。
綴る者不在の中で、彼らがどれほど心細かったか、一言で理解できる。
結芽は弓を構えながら颯真へ告げる。
「颯真、動けますか? 封じますよ。」
「……はい! 結芽様、まだ大丈夫です!」
二人はすぐに距離を取りながら配置につく。
言霊は黒い煙のような尾を引き、地面を割るように突進してくる。
結芽は弓矢を放つ。
矢は空気を切り裂き、言霊の進行方向を強引にずらす。
そのわずかな隙を狙い、颯真の槍が突き込まれる。
ギィ、と耳障りな音が響く。
言霊の身体が揺らぎ、黒煙が散った。
だが、颯真の足がふらついた。
「颯真!」
「……っ、大丈夫、です……!」
無理に姿勢を立て直したその瞬間、言霊が跳ねた。
影の塊が颯真へと迫る。
その刹那。
金属の鋭い衝撃音が割り込んだ。
「颯真、代わるぞ。少し休め!」
伊吹の声だった。
片腕で颯真を引き寄せ、もう片手の刀を横薙ぎに振るう。
風を切る音と共に、言霊の黒い身体が弾き飛ぶ。
「そこの者! 颯真の手当を急げ!」
伊吹が叫ぶと、すぐ近くの兵が颯真を抱えて後方へ運んでいった。
結芽は伊吹の横へ滑り込む。
「伊吹、行きますよ!」
「ああ!」
ここから、二人の共闘が始まった。
伊吹は前衛として言霊の注意を引きつける。
重心の低い踏み込みから繰り出される斬撃は鋭さを失わない。
言霊の攻撃が迫れば、刀で受け流し、あるいは地面を蹴って回避する。
結芽はその背後から、狙いを定めた矢を放つ。
伊吹の動きと矢の軌道が交差し、言霊の進行方向を制御する。
結芽の矢は決して直接の決定打を狙わない。
言霊の“逃げ道”を潰し、伊吹の刀が届く場所へ追い込むための誘導だ。
息が合っていた。流れるような連携。
言霊が大きく身を膨らませ、攻撃の予兆を見せた瞬間
伊吹は地を蹴り、頭上へ跳ぶ。
結芽は即座に、言霊の影に射抜くような矢を撃ち込む。
黒い影が一気に揺らぎ、形が崩れる。
「……今だ!」
結芽は大きく息を吸い、詞鏡を取り出す。
その表面に言霊の影が吸い寄せられるように揺れ始めた。
結芽は静かに、しかし強く告げる。
「――沈め。瑞穂をこれ以上、壊させません。封ぜよ。」
詞鏡がまばゆい光を放ち、言霊は悲鳴のような音を上げて吸い込まれていった。
光が静まり返ると、暴走の音もぴたりと止んだ。
兵士たちが一斉に息を吐いた。
「結芽様……!」「助かった……!」
結芽は振り返り、息を整えている伊吹へ微笑む。
「伊吹、お疲れさまです。あなたがいなかったら……」
「礼はいい。まだ終わってないだろ。」
伊吹の視線は里の奥、言霊庫の方へ向いていた。
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透真が言霊庫に到着した瞬間、嫌な予感が背筋を這い上った。
静かすぎる。
扉がわずかに開いている。
近づこうとした時、視界の端を黒い影が走った。
「……出たな。」
幽淵の装束を着た者が、言霊庫の奥から飛び出し、建物の影へ走り去っていく。
透真は即座に追った。
相手は驚くほど軽やかで、音もなく地を蹴る。
追走に気づいた瞬間、屋根裏へ飛び移り、瓦を蹴って別の方向へ跳躍した。
さらに、道の至るところに罠が仕掛けられていた。
細い糸、転がる石、わずかに傾けられた瓦。
どれも、追跡者を転倒させるための小さな仕掛けばかりだ。
(これは……後始末や潜入を専門としてきた者の動きだな。)
透真は罠を凌ぎながら、相手を見失わないように距離を保つ。
しかし、曲がり角で一瞬視界から外れたその一瞬で相手は消えた。
透真は足を止め、ゆっくり周囲を見渡す。
屋根、影、塀。
どこにも気配はない。
(撒かれたか……)
焦りはしない。
透真はすぐに袖から小さな使い獣を取り出し、短い文を書き記した。
『言霊庫前で侵入者らしき者が逃走するところに遭遇、現在追走中。
見失った場合は真澄へ即移動する。透真』
使い獣を放ち、息を整える。
敵は詞鏡を奪った可能性が高い。
だが、ここで時間を無駄にはできない。
透真は静かに腰の刀を握り直した。
(真澄か……間に合わなければ、また被害が出る。)
風が吹き抜ける。
透真は新たな決意と共に走り出した。
瑞穂の里の騒擾は、まだ終わりを告げていない。




