復讐の行路
烏丸は洞窟の暗がりに腰を下ろしたまま、手のひらに載せられた薄紙を何度も読み返していた。
外套の裾はまだ土と血で汚れており、息は荒い。
炎の残る焚き跡がかすかに揺れ、洞窟の奥に影を踊らせている。
紙には、影風の筆致で綴られた報告が簡潔に記されていた。
『蒼篠経由で篝火へ行く。その途中、綴る者が不在の瑞穂と真澄で可能な限り詞鏡を奪う予定。
茜を連れた兵は篝火へ直行させる。表の道の兵からは定刻の連絡がなく、戦闘に巻き込まれたか、あるいは……おそらく死。』
烏丸は薄紙を畳み、息を吐く。やはり計画は綿密だ。
だが綿密であるがゆえに、異なる局面への柔軟な対応を要求する。
現場は想像以上に騒然としている。
表の兵が沈黙しているということは、影風の予測通り綴る者の反撃に遭い、戦力を喪失した可能性が高い。
そうなると、我々の動線が限られてくる。だが、ここまで来て引き下がる理由はない。
指の先で古い刀の柄を確かめる。先刻の追跡劇で負った浅い切り傷が疼く。
悠理と奏多の執拗さは予想外だった。特にあの悠理という綴る者の目は、ただの若者のものではない。
刃のような冷たさと、守るべきものを見抜く力が混じっていた。
彼らに引き止められたことで、こちらの計画にズレが生まれたのは紛れもない事実だ。
しかし、目標は達した。長老の血が畳に染み、あの者の命が消えたのは確かだ。
計画の動機を思い返すと、怒りがふつふつと蘇る。
「……くそったれ、あの老いぼれめが俺を利用し、弟の首を縛った。俺に死を求めたくせに、弟を使ったままにしておくなんてな。」
烏丸の声は低く、洞窟の壁に反響した
久遠は烏丸を扱き捨てた。追放された烏丸に残されたのは、弟だけだった。その弟を守るために、烏丸は冷酷にも決意した。壊すべきは組織そのもの。長老の死は、その一歩に過ぎない。
だが同時に、計画の不確定要素が増したことを烏丸は憂えた。
悠理たちの執拗な追跡、長老殺害を素早く発見し、動いた者がいたという事実。
指揮系統を一時的に維持できる者が残っていたということは、想定外の展開だ。
烏丸は深く息を吸い、荒い呼吸を整えた。落ち着かなければならない。苛立ちをそのまま行動に持ち込めば、失敗するだけだ。
洞窟の入口から差し込む薄明かりが壁を淡く照らす。時間は刻一刻と動いている。
彼らは即座に新たな動きを決断しなければならない。
烏丸は腰の鞄から紙を取り出し、小さな使い獣に託す文を素早く書き綴る。文は簡潔に、しかし緊急性を滲ませた指示だった。
「報告。こちらも表の班より連絡無し。推定壊滅。予定通り悠真を襲うが、状況悪ければ華灯へ転進。茜は篝火へ直送する旨、了解。追跡者(悠理、奏多)により交戦・負傷あり。用心を。行動開始は一刻後。烏丸。」
封蝋を施し、小さな使い獣を放つ。羽音は洞窟に短く響き、やがて闇を切って飛び去った。
洞窟の奥で、烏丸は簡単に傷の手当てをする。裂けた擦り傷に簡易止血を施し、布で軽く縛ると、身体が少しだけ楽になった。戦いの後の体の疲労が胸に忍び寄る。
だが休んでいる猶予はない。出発の時間が迫っている。
彼は立ち上がり、油でしめられた外套を翻した。洞窟を抜けて外の空気を吸う。
薄曇りの朝の空が顔を出し、山の稜線がぼんやりと輪郭を示す。
冷気が肺に入ると、現実がより鮮明に戻ってくる。
出発前に、烏丸は深呼吸をする。激情は冷めつつあるが、心の底に渦巻く復讐心は消えていない。
弟の顔がふと浮かび、胸がぎゅっと痛んだ。弟を安全な場所へ導くために、今は手を止められない。
久遠という巨大な檻を壊すために、まだやるべきことは山ほどある。
烏丸は悠真へ通じる尾根道を選んだ。その後は旅人が多い華灯へと入る。
烏丸はそう計画を思案しながら遠ざかる山影を見つめる。彼の瞳には、不気味な決意が灯っていた。
「久遠は潰す。てめえらが何を言おうと、関係ない」
心の中で呟く。剣と火と計略が交錯する戦局は、まだ序章に過ぎない。その思いを胸に、烏丸は走った。薄明かりの中、洞窟の入口が小さく消えていく。




