帰還①
社殿の最奥、玉座の間。
静謐な広間。柱に吊るされた灯籠が淡い光を揺らし、張りつめた空気のなか、そこには天響の里の長老が鎮座していた。白髪で背はやや曲がっていたが、その瞳の輝きは鋭く、威厳を放っていた。
陽路は片膝をつき、深く頭を垂れる。
「――長老。ご報告いたします。遥花様が……無事にお戻りになられました。」
「おお……。」
長老の目が細まり、遥花に向けられる。その眼差しは慈しみと、同時に重い期待を帯びていた。
「……ですが。」
陽路の声に緊張が宿る。
「おそらく禍ツ者の刺客が里の外にて姿を現しました。彼らの目的は未だ見えませぬが……遥花様を狙ったのは間違いございません」
広間の空気が揺れる。長老はしばし沈黙し、やがて低く言った。
「やはり……動き始めておるか。久遠の均衡が揺らぎかけている……。」
陽路は拳を握りしめ、顔を上げた。
「遥花様は……記憶を失っておられます。しかし、いずれ必ず思い出される。いいえ――思い出していただかねばなりません。その日まで……私が共に支えます。遥花様を、再び道へ導くことをお許しください。」
長老は静かに遥花を見つめる。少女の瞳には不安が揺れていた。だがその隣に立つ陽路の姿は、揺るぎない覚悟を示している。
「……よい。そなたに託そう。」
深い声が広間に響き、決断の重みが落ちた。
広間を出ると、外はすでに宵の帳が落ちていた。灯籠が淡く揺れ、虫の音が響いている。
遥花は隣を歩く陽路に、まだ落ち着かない面持ちで問いかけた。
「……長老に、ああ言ったのは……。」
陽路は一瞬言葉を選ぶように口を閉ざし、やがて真っ直ぐに視線を返した。
「長老に伝えねばならなかったのです。けれど……あれは義務の言葉ではありません。遥花様が綴る者として歩むかどうかに関わらず、私はただ、傍にいてお守りしたい。そのためには、ああ申し上げるほかなかったのです。」
遥花は胸を押さえ、目を伏せる。心にまだ霧がかかっている。だが、陽路の言葉の熱は確かに届いていた。
ふたりはしばし沈黙の中を歩いたのち、陽路が穏やかに言う。
「――そろそろ、お戻りになりましょう。ご家族も、遥花様を案じておられるはずです。お宅まで、お送りいたします。」
遥花は小さく頷いた。
その歩みはまだ頼りなく、しかし確かに“帰る場所”へと向かっていた。