動き出した、この先は
悠理の封じによる詞鏡の光がゆっくり消えると、あたりの黒い波紋が音を立てて溶けていった。
すると、裂け目の向こう側から、ふたりの姿がゆっくりと現れる。
遥花は隣にいた涼を抱きかかえるよう座っていた。
涼は薄く目を開け、ぼんやりとこちらを見た。
悠理は何も言わずに駆け寄り、すぐにそばに膝をついて二人を確かめる。
手の震えはないか、呼吸は安定しているか――細かく確かめて、ようやく小さく息を吐いた。
「無事か、2人とも。」
悠理の声はいつもの冷静さを保っていたが、その目は柔らかかった。
涼は首をかしげて、もぞもぞと小さく答える。
「わかんない……急に眠くなって、気づいたらお姉ちゃんがいたの。」
その時、足音が近づき、奏多が息を切らして戻ってきた。
刀の柄に泥がつき、額には擦り傷の痕がある。
顔を真っ黒にして、息を整えながら頭を下げる。
「すいません、悠理様。追跡したのですが、逃げられてしまいました。」
緊張が解けたのか、奏多の声には申し訳なさが混じる。悠理は一瞬だけ奏多を見やり、すぐに肩を叩いた。
「いや、よくやった。おかげですぐに言霊を封じることができた。」
悠理の労いに、奏多はやや赤くなりながらも、安堵の笑みを返す。場に流れていた空気が少しだけ和らいだ。
三人は涼を家まで送ることにした。
里道を歩きながら、悠理は淡々と問いかける。
「どうしてあの場所にいたんだ、涼。」
涼は首をすくめて、「分かんない。ふわーっとして、気づいたらそこにいた」と素直に答えた。言葉の端に不安はあるが、子どもらしい無邪気さも混じっている。
涼を家の前で引き渡し、母親の涙混じりの礼を受けたあと――気が抜けたのか、遥花の膝がふっと崩れた。顔が青白く、目が遠のく。
二人は反射的に遥花を支えようとする。
「遥花!」
悠理が叫び、奏多も駆け寄る。
遥花の唇がかすかに震え、まぶたが閉じる。
日常の灯りが遠のくように、彼女はそのまま意識を失った。
奏多は狼狽して手をばたつかせるが、悠理が落ち着いて指示を出す。周囲の者を呼び、奏多と共に透真の元へと運んだ。
一方、その時、遠く離れた場所では予定通りの合流が進んでいた。
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影風は、言霊の裂け目の中を駆け抜けた後、仲間の元へと向かった。薄暗い屋敷の一室で、烏丸と名乗る男が腕を組んで待っていた。烏丸はざっくばらんな笑みを浮かべ、両手を広げてやれやれと肩をすくめる。
「いやー、巻くのに苦労したわ。あいつ、ホントしつこかったわ。」
烏丸の声に、影風は肩の埃を払うようにして、静かに頷く。
「お目当てのお嬢さんとは無事に話せたか?」
「あぁ。」
影風は短く答えた。
その顔には先ほどの疲労と、どこか安堵にも似た表情が浮かぶ。
烏丸はにやりと笑って肩を叩く。
「そりゃ良かった。言霊一つ失ってまで話す価値があるのかは知らねぇが、お前のその顔を見たら、手伝った甲斐があるわ。」
影風は静かに目を細めた。
「感謝する。次はお前の目的を手伝わせてもらおう。」
烏丸の目が鋭くなる。夜のように低い声で言った。
「おう。あいつを——あいつを殺るぞ?」
影風の表情が暗くなる。短く、しかし確かな決意の声で答える。
「……あぁ。」
烏丸は拳を握りしめ、仲間たちもゾクゾクと集まってきた。その背後に薄く差す月光は冷たく、影の連中の計画がこれから動き出すことを告げていた。




