水に心を委ねて
湖面のそば歩く一人の青年が現れた。
薄紫色の髪を耳にかけ、淡い青の衣をまとったその姿は、
まるで水に溶けるように柔らかだった。
「遠路はるばるようこそ。私はこの真澄の里で綴る者を務めております、**透真**と申します。」
透真は微笑みながら一礼し、三人を出迎えた。声は穏やかで、風鈴のように澄んでいる。
彼の背後には、湖の光が揺れ、まるで透真自身が光をまとっているように見える。
遥花が軽く頭を下げると、透真は優しく微笑み返した。
「長老がお待ちです。どうぞこちらへ。」
三人は透真に案内され、石畳の道を抜けて長老の屋敷へ向かう。
湖を囲むように建つ家々はどれも水辺に寄り添い、
庭先では子どもたちが木の笛を吹いていた。
どこか、懐かしさと祈りが同居する空気だった。
長老は深い皺をたたえた老人で、
穏やかな声で彼らを迎えた。
「蒼篠の長から聞いておるよ。よくぞここまで。
道中も険しかっただろう。今日はまず身体を休めなさい。
明日、透真が言霊庫へ案内しよう。」
「ありがとうございます。」
遥花が礼を述べると、長老は目を細めて頷いた。
「真澄は“癒やしの里”とも呼ばれておる。
この水の音が、疲れた魂を鎮めてくれるだろう。」
透真が一礼し、三人を宿へ案内した。
「湖のほとりに客人用の宿がございます。
食事もご用意いたしますので、どうぞごゆっくり。」
その微笑みには、作為のない優しさがあった。
遥花は思わず息を整え、彼の背中に人の温もりを見た気がした。
夕暮れ。
三人は里を散策した。
湖畔では旅人たちが手を合わせて祈りを捧げ、
湯気を上げる露天の清水場では、疲れを癒す人々の姿もあった。
「思ったより賑わってるね。」
遥花が言うと、悠理が頷く。
「戦や病で傷ついた者が、浄化を求めて来るんだろう。」
奏多が補足した。
「ここでは“水に心を委ねる”って言葉があるそうです。」
湖面には無数の灯籠が浮かび、風に揺られてゆらゆらと光を散らした。それは、誰かの祈りのようで――遥花はしばらく言葉を失った。
「……きれいだね。」
その一言に、三人の足が自然と止まった。
翌朝。
澄んだ鐘の音が里に響き渡る。
遥花たちは支度を整え、透真との約束の場所である湖畔の祠へと向かっていた。
霧は薄く、湖面に朝日が滲む。
「今日は“言霊庫”を見られるんだね。」
遥花が少し緊張気味に言うと、悠理が頷いた。
「外からの詞鏡の祀り方は特別だと聞く。どう扱うのか、しっかり見ておこう。」
その時、緊迫した声が響いた。
「涼! どこなの、涼!」
振り向くと、昨日出会った母親が必死に走っていた。
顔は涙に濡れ、息も絶え絶えだ。
「どうしたんですか!?」
遥花が駆け寄る。
「さっきまで家の前にいたのに……目を離したら、もう……!」
母親の声はかすれ、肩が震えている。
悠理が眉をひそめる。
「また迷子か……。里の中は入り組んでいる、見つけにくいな。」
奏多があたりを見渡した。
「湖のほうへ行ってないといいが。」
母親は何度も首を振る。
「お願い……! あの子、水が好きで……危ないところに行ってしまったら……!」
遥花は迷わず頷いた。
「私たちも探します。きっとすぐ見つかりますから。」
「ほ、ほんとに……?」
母親の目にわずかな光が戻る。
遥花は優しく微笑んだ。
「大丈夫。昨日も無事に会えたでしょう? 今度もきっと。」
悠理が短く頷く。
「手分けして探そう。俺は東側を。」
「じゃあ俺は湖のほうを見る。」
奏多が続く。
遥花は母親の肩に手を置き、「一緒に、もう少しだけ頑張りましょう」と言った。
朝の霧が、ゆっくりと流れていく。
湖面がかすかに揺れ、光がちらりと跳ねた。
その穏やかな景色の中に、どこか不安な影が差していた。
涼を探す三人の小さな決意は、やがて思いもよらぬ出来事へとつながっていく。




