鍛冶場の守り手
鍛冶場の外は、黒紫の靄で覆われていた。
奏多は刀を構え、目の前に立ちはだかる“それ”と対峙する。
人の形をしているようで、していない。
影が千切れては繋がり、風のように揺れながら迫ってくる。
その動きは、常識の外だった。
「くそ、マジで……こいつ、読めねぇ!」
飛び込んでくる靄を刀で払うたび、金属音のような風鳴りが響く。
だが、手応えはない。
斬っても斬っても、霧が裂けては元に戻る。
――綴る者がいない。
封じる術を持たない者がいくら斬っても、根は絶てない。
それでも奏多は、退かなかった。
鍛冶場の扉の向こうでは、篠音たちが息を潜めている。
あそこを通されるわけにはいかない。
「来いよ……この俺が相手だ!」
叫ぶと同時に、靄が形を変えた。
獣のような四肢を生やし、鋭い爪が地を抉る。
次の瞬間、視界が歪む。
「――ッ!」
かすめた爪が袖を裂いた。
痛みよりも速く、反射で身を翻す。
人間相手ではありえない角度の動き
まるで風そのものが襲ってくるようだった。
刀で弾き、踏み込み、横薙ぎに払う。
刃が閃光のように走るたび、霧の表面が波打ち、黒い滴が飛び散った。
それでも止まらない。
霧が笑うように形を変え、真後ろに回り込む。
「っ……ぐぅ!」
脇腹に衝撃。膝が一瞬揺れる。
視界の端で、鍛冶場の炎が大きく揺れた。
――もう少し、もう少しでいい。
誰かが戻るまで、守り抜け。
その瞬間、背後から光が走った。
「――下がれ、奏多!」
鋭い声とともに、空気が震えた。
次の瞬間、風が裂け、薙刀が地面を貫いた。
黒い靄が弾け飛び、煙が渦を巻く。
その中心に、翔綺が立っていた。
「翔綺様!」
「二体いた。もう一体は封じた。こっちは……お前がよく持たせたな。」
翔綺の声は静かだったが、瞳には風のような鋭さが宿っていた。
腰には短剣、背には薙刀、そして手には小型の輪刃。
次の瞬間、それらを同時に放つ。
輪刃が空を切り、霧の胴を裂く。
裂け目から溢れた瘴気を薙刀で振り払った後、
襲いかかってくる影には、手にした短剣で一閃
切り裂かれた言霊は一瞬形を失い、霧のように広がった。だがすぐに再び形を取り戻し、無数の目のような光を放つ。
「やっぱり、斬っても意味ない……厄介だなぁ。」
輪刃が戻り、翔綺の手に収めながら思わず呟く。
翔綺は薙刀を振り抜き、風を切る音とともに影の群れを薙ぎ払った。
「言霊のくせに……形を持ちすぎだ。」
黒い塊が跳ね、翔綺の左肩を掠める。
服が裂け、赤がにじむ。だが彼は怯まない。
輪刃を投げ、言霊の核を狙う。
刃が突き刺さり、光が一閃。影が軋んだ。
その瞬間、翔綺は懐から詞鏡を取り出す。
「これ以上暴れるな……。」
右手で印を結び、息を整える。空気が凍りつくように静まり、彼の声だけが響く。
「——封ぜよ。」
紙が風に舞い、光の鎖となって言霊を包み込む。
轟音が響き、詞鏡に吸い込まれた。
残ったのは焦げた鉄の匂いだけだった。
翔綺は息を吐き、薙刀を地に突く。
「……やれやれ、終わった。」
振り返ると、奏多が地面に座り込んでいた。
汗と煤で顔を真っ黒にしながらも、笑みを浮かべている。
「……ほんっと、翔綺様の強さ反則級だな……」
「お前がいなきゃ、鍛冶場ごと吹っ飛んでた。よく耐えた。」
珍しく、素直な言葉だった。
奏多はぽかんとした後、頬をかきながら照れくさそうに笑う。
「そ、そうか?まぁ俺だって、やる時はやるんだよ。」
翔綺は苦笑し、空を見上げた。
まだ風がざわめいているが、落ち着きを取り戻しそうだ。




