風が泣き、炎は揺らぐ
「おお、篠音。火の扱いもだいぶ板についてきたな」
背後から、落ち着いた声が響いた。振り返ると、炉の明かりに照らされて皺だらけの顔が浮かぶ。篠音の祖父・鋼志だ。
「おじいさま。」
篠音の表情が和らぐ。彼はゆっくりと歩み寄り、炉の温度を確かめた。
「陽路殿の剣を打つには、もう一段階、炎を強めねばならん。だが……蒼鉄石が足りんようだ。」
「蒼鉄石?」
陽路が首を傾げる。鋼志は頷き、壁の地図を指差した。
「北の洞窟、風涙の窟にある。だが、鍛冶場の火を絶やすわけにはいかん。篠音とわしはここで準備を続ける。悪いが、誰か頼めるか?」
「私が行きます。自分の刀のことですし。」
陽路が静かに口を開いた。
「私も行くよ。今日は里のお手伝いもないし。」
遥花が続くと、悠理も小さく頷いた。
「じゃあ、三人で行こう。蒼鉄石、でしょ?」
鋼志が満足げに頷き、手の中の少し青みがかった石を皆に見せた。
「よし。頼んだぞ。蒼鉄石はこんな石だ。」
そのとき、後ろからひょいと手を挙げる影があった。
「じゃあ俺も行く!人出は多い方がいいだろ?」
奏多が勢いよく言ったが、すぐさま翔綺の冷静な声が返った。
「お前はここに残れ。俺の雑用と鍛冶場の手伝いがある。」
奏多の顔が一気に引きつった。
肩をがっくり落とし、「うげぇ……」と小さく漏らす。
そんな様子を見て、篠音が慌てて頭を下げた。
「奏多さん、ごめんなさい。翔綺のこと、お願いします。」
その声に、奏多は一瞬きょとんとしたあと、急に胸を張った。
「な、なに言ってんですか!全然大丈夫です!私に任せて下さい!」
翔綺は苦笑しながら鍛冶場の隅へ向かい、篠音も照れくさそうに微笑んだ。
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洞窟の奥へ進むほどに、空気が変わっていくのがわかった。
風の音が、次第に低く、響くように変わる。
ただの風ではない。
「……誰か、泣いてるみたい。」
遥花が小さく呟く。
岩壁は滑らかで、どこか人工的な整えられ方をしていた。
古代の誰かがここを掘り、風の通り道を作ったのだろうか。
その表面には、淡い光を帯びた紋様が走っている。
風が吹くたびにその紋様が脈を打ち、青く、緑に、白く――まるで息をするように色を変えていく。
足元には小さな水たまりが点々と広がり、天井から滴る水滴が鏡のような水面を揺らしていた。
光が反射して、洞窟の中全体がぼんやりと輝いている。
その中に、青みがかった鉱石の群れが見えた。
「……あれが、蒼鉄石だ」
陽路が低く呟き、歩を進める。
蒼鉄石は岩肌の奥から生えているように埋まっていた。
それは炎ではないのに、まるで熱を持っているように見える。
陽路がそっと手をかざすと、石の暖かさが彼の掌を通して波紋のように広がる。
「まるで、生きてるみたいだな。」
悠理が感嘆の声を漏らす。
蒼鉄石を削り取るたびに、青い光が小さく瞬く。
そのたびに、洞窟の奥から風が響く。
遥花は思わず振り向くが、そこには誰もいない。
ただ、風が涙のように流れていった。
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鍛冶場の火は、一定のリズムで揺れていた。
篠音と鋼志は、炉の温度を確かめながら黙々と作業を続けている。
鉄を打つ音が響き、熱気の中に静かな集中が満ちていた。
そのとき、――ぐらり、と地面が微かに揺れた。
鉄を打つ音が一瞬止み、篠音が顔を上げる。
「……今の、地鳴り?」
鍛冶場の壁に吊るされた道具が、わずかにカタカタと音を立てた。
鋼志が険しい目で外を見やる。
「……嫌な振動じゃのう。風か……いや、違う。」
外から、低く唸るような音が聞こえてきた。
それは風の音にも獣の咆哮にも似ていない、どこか人の声のような――濁った響き。
「篠音、鍛冶場に残っておれ。わしが――」
そう言いかけた瞬間、戸口がガタリと揺れた。
「今の……今の音、まさか……!」
奏多がハッとして外に飛び出すと、森の方角で木々がざわめいていた。
風ではない。空気そのものが揺れている。
「……あれは――」
奏多の目が見開かれる。視界の先、空間の一角が歪んでいた。
黒紫の靄が渦を巻き、地面を焦がしている。
「――言霊の暴走だ!」
奏多の言葉が重く響く。
篠音が外に出てこようとしたが、奏多が手を伸ばして制した。
「出ちゃ駄目です!ここは俺が!」
そう言いながらも、喉の奥がひりつくように乾く。
体の奥から、冷たい緊張が広がっていく。
あの黒い靄は、ただの気配じゃない。
「翔綺……!」
篠音が周囲を見回すが、弟の姿はどこにもなかった。
少し前に外に出て行ったきり、戻っていない。
“まずい……このままだと”
奏多は奥歯を噛み、刀を握る。
鍛冶場の火がざわめき、黒い靄がそれに反応するように形を変えた。
靄の渦が形を変え、獣のような影を形づくっていく。
「くるっ……!」
風が唸り、光が弾けた。
次の瞬間、暴走した言霊が咆哮をあげ、鍛冶場へと突進してきた――。




