篝火のあと、蒼篠へ
幽淵との戦いから、数日が過ぎた。
篝火の里には、まだ戦の名残が漂っていたが、焦げた匂いもやがて土の匂いに溶け、静けさが戻りつつあった。
遥花たちは蒼篠の里への出発を控え、しばらく篝火の里に留まっていた。
再び幽淵の残党が襲ってくるかもしれないという警戒のためだ。
小さな衝突はいくつかあった。
だが、それらは以前のような脅威ではなかった。
各里から応援が駆けつけ、篝火の空気にはようやく“人の暮らし”が戻っていた。
「そろそろ……行けそうだな。」
煌志が肩の荷を下ろすように言ったとき、誰も反対しなかった。
出発の朝、風はひんやりと澄んでいた。
里の門前で支度を整える遥花の目の前を、奏多が弾むような足取りで通り過ぎていく。
「おい奏多、珍しくご機嫌じゃないか?」
陽路がからかうように声をかけると、奏多は振り返りもせず、
「べ、別に。いつも通りだよ!」と、少し早口に返した。
普段の不満げな顔が見えないのが、どこか可笑しい。
その背中を見送りながら、遥花はふと微笑んだ。
「……なんか、楽しそうだね」
「まぁ、あいつなりに張り切ってるんだろ。」
陽路が笑いながら荷を背負う。
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道は緩やかな丘を抜け、青く霞む山並みの方へと続いていた。
先を歩く悠理が、ふと振り返る。
「蒼篠の綴る者のこと、少し話しておく。」
そう言って、足を止めた。
「彼はまだ十二歳。最年少の綴る者だ。祖父が鍛冶屋で、両親は祀る者。姉が鍛冶屋を継ぐ予定らしい。」
「鍛冶屋……ってことは、その子の家、刀とか作れるの?」
遥花が興味を示す。
「そうだ。蒼篠の家系は“音を打つ”ことに長けている。祀る者たちが言霊を鎮めるための鈴や刀、あれも蒼篠の鍛冶が担ってきた。」
「十二歳か、若いのにすごいな。」
奏多の反応に悠理は苦笑する。
「ただ、あいつはなかなかのわがままだ。
口も態度も生意気で、年上でも遠慮なく突っかかってくる。性格はあれでも腕は確かだし、綴る者としての才もある。
ただ、扱いを間違えると…。陽路、奏多、お前たち2人は特に覚悟しとけよ。」
「うわ……それ、一番めんどくさいやつじゃないですか。」
奏多が顔をしかめ、陽路は笑いをこらえきれずに肩を震わせた。
「まぁ、仲良くやれればいいけどな。」
「……無理じゃない?」
「うるさい!」
幾つもの小川を渡り、深い森を抜けた先――そこに、ふと柔らかな光が差し込んだ。
開けた空間の中、青みを帯びた木々が森の合間に静かに揺れている。
そこが、蒼篠の里だった。
森に抱かれたように佇む集落。木々のざわめきの中に、竹の葉のような青色が溶け込み、まるで森そのものが息をしているようだった。
風が吹くたび、葉の揺れる澄んだ音が遠くまで響く。
その音はどこか清らかで――それでいて、どこか懐かしい。
遥花は思わず立ち止まり、深く息を吸い込んだ。
「……きれい。」
湿った土の匂い、流れゆく小川のせせらぎ、苔むした石畳に落ちる木漏れ日。
そこには戦の痕跡などなく、ただ自然の息遣いだけが満ちていた。
「ここが、蒼篠の里か。」
陽路が感嘆の声を漏らす。
「なんか……心が洗われるな。」
「ふむ。こういう場所で武具を打つからこそ、心が澄むのかもしれない。」
悠理の言葉に、奏多はうなずきながらも、落ち着かない様子で辺りを見回した。
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門をくぐると、すでに到着を知っていたのか、一人の青年が駆け寄ってきた。
「お待ちしておりました。皆さま、長老の家へご案内いたします。」
青年に導かれ、一行は竹細工の灯籠が並ぶ道を進む。
その先にあった長老の屋敷は、木と竹で作られた柔らかな造りで、壁には風鈴のような音具がいくつも吊るされていた。
屋敷の中は涼やかで、香のかすかな匂いが漂う。
長老は白髪の穏やかな笑みをこぼしてるが、その身体から圧を感じてしまうほど、しなやかな腕を持つ老人であった。その隣には、一人の女性が控えている。
「よくぞ来てくれた。篝火からご苦労じゃった。」
長老の声は柔らかいが、どこか芯のある響きを持っていた。
遥花たちは順に名乗りを上げ、深く頭を下げる。
煌志からの書状を差し出すと、長老は丁寧に受け取り、しばし目を通した。
「なるほど……従者陽路殿の刀とな、しかと承りました。力を貸しましょう。」
そのやりとりの間、奏多は隣に立つ女性に目を奪われていた。
涼しげな瞳に、整った顔立ち。背筋がまっすぐで、まるで竹そのもののような雰囲気をまとっている。
「ご紹介いたしましょう。」
長老が女性を手で示した。
「彼女は綴る者の従者、沙苑です。里の内の案内や鍛冶場の立ち入りなどは、すべて彼女を通してください。」
沙苑は静かに一礼し、落ち着いた声で言った。
「お疲れのところをようこそ。綴る者、翔綺様は只今、鍛冶場におられます。お通しする前に、少しお休みになりますか?」
「翔綺はここに来ないのですか?」
悠理が尋ねる。
「…はい。その…今はお姉様の近くにいたいそうで。」
その言葉に、陽路と奏多は同時に顔を見合わせた。
沙苑はくすっと少し困ったような笑みをこぼした。
その笑顔は竹林の光のように柔らかく、けれどどこか、人を見透かすような静けさを帯びていた。




