新たな従者
昼過ぎ、篝火の里はまだ戦の余韻を引きずっていた。
夜通しの防衛戦の後、ようやく訪れた静寂は、どこか張り詰めたものを孕んでいる。
兵たちは各々の持ち場で休息をとり、焦げた木の匂いと薬草の香りが入り混じっていた。
奏多は仮の寝所で体を休めていたが、不意に外から声がかかった。
「……奏多、少しいいか。」
静かな声。煌志だった。
「は、はい! すぐ行きます!」
寝起きの身体に喝を入れ、慌てて身支度を整える。
煌志は無言でうなずき、静かな廊下を歩き出した。
向かう先は里の奥、使われていない書院の一室だった。
襖を開けると、悠理が座してこちらをまっすぐに見据えていた。
「座れ、奏多。」
煌志が促す。
その声に従って正座すると、すぐに本題が切り出された。
「悠理の従者──薫が今、幽淵の地にいるのは知っているな。」
「はい。陽路から聞きました。」
「戻るまでには時間がかかる。その間、悠理の側に立てる者が必要だ。」
奏多の胸に緊張が走る。
煌志は静かに続けた。
「昨夜の戦い、見事だった。あの混乱の中でも冷静さを失わず、仲間を守った。
……それは、従者として最も大切な資質だ。」
煌志の声は穏やかだが、どこか揺るぎない確信を帯びていた。
「そこで――お前を、悠理の代理従者として任ずることにした。」
言葉が出なかった。
目を見開いたまま、ただ息を呑む。
悠理が視線を向ける。その表情に驚きも戸惑いもない。
「……俺が、悠理様の……?」
やっとの思いで声を絞り出すと、煌志は小さく頷いた。
「そうだ。従者として足りぬものは多いだろうが、伸びしろもある。悠理のそばで磨け。」
奏多は何も言えなかった。
驚きと戸惑い、そして誇らしさが入り混じる。
自分は認められることはないと思っていた。だが、目の前の二人は――その未来を信じている。
「……俺で、務まるでしょうか。」
掠れる声で問うと、悠理がわずかに口角を上げた。
「務まらなきゃ、務まるように鍛えるだけだ。」
「……!」
ただそれだけの言葉だった。
だが、静かなその声音には圧倒的な信頼と、覚悟の重みがあった。
「……はい。」
奏多は深く頭を下げた。
震える声ではあったが、その目は確かに前を向いていた。
煌志が穏やかに笑みを浮かべる。
「これで決まりだな。今日からお前は悠理の傍に仕える。心して励め。」
奏多は深く頭を下げた。
「……はい。全力でお仕えします。」
外に出ると、柔らかな昼の光が差していた。
遠くで子どもたちの笑い声が響き、戦の夜が嘘のように穏やかだった。
広場に出ると、陽路が遥花と話していた。
折れた刀の破片を手に、鍛冶の者と相談しているようだ。
「おーい奏多! 煌志様に呼ばれてたんだろ? どうだった?」
奏多は少し息を整え、笑みを浮かべた。
「……俺、悠理様の従者に任命された。」
「は!? 本当か!」
陽路が目を丸くし、遥花も驚いたように手を止めた。
「すごいじゃない! 奏多、本当に?」
「うん……まだ実感ないけど。」
陽路が笑い出す。
「いやー、やっぱやると思ってた! 俺の相棒が出世だぞ!」
「そんなんじゃないって……」
「いいや、すげぇことだって! ……あ、でも俺の刀は折れたけどな。」
陽路が苦笑しながら、鞘に収まらぬ柄を掲げる。
奏多はそれを見て小さく笑った。
「じゃあ、また一緒に鍛え直そう。お互い、次の戦いに備えて。」
「おう、絶対だ!」
そこへ烈真と隼人がやって来た。
「お、ここにいたか。」
烈真が手を挙げる。
「煌志様に呼ばれてたって聞いたけど……どうだった?」
「……俺、悠理様の従者になった。」
一瞬の沈黙のあと、隼人が笑みを浮かべる。
「へぇ、やるじゃん。あの悠理様のそばか。緊張しそうだな。」
烈真も頷き、軽く肩を叩く。
「誇っていいことだ。けど、気を抜いたら即、斬られるかもな。」
「やめてくれよ、本当にありそうだ……!」
笑いが広がり、張り詰めていた空気がようやく解けた。
陽路が空を見上げて言う。
「……なんか、やっと前に進める気がするな。」
遥花も頷く。
「そうね。次の一歩が、きっと繋がっていく。」
奏多はその光景を見つめながら、小さく拳を握った。
自分の中で、何かが確かに変わった気がした。
新たな始まり。
篝火の里に吹く風は、どこか清らかで、未来の匂いがした。




