陽路の回想① 天響の里にて
「陽路……無事でよかった。……どんなふうに過ごしていたの?」
遥花が問うと、陽路はふっと目を伏せ、短く息を吐いた。
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紫苑と共に天響の里に到着した陽路は、まず長老のもとへ行き、幽淵での出来事を報告した。
紫苑が細やかに説明し、陽路は要所で補足する程度に控えた。
報告を終えると、陽路は代理で里を預かる人物のもとへ向かう。
「ご挨拶に参りました。」
待っていたのは、一人の青年だった。
長い髪は肩を越え、光を受けて銀白にきらめく。
柔らかく波打つそれを後ろでゆるく結い、端正な面差しには細縁の眼鏡がよく似合っていた。
「初めまして。天響の里を代理で預かっている、恭弥と申します。」
深く頭を下げる恭弥に、陽路も姿勢を正して応じた。
「綴る者・遥花の従者陽路です。紫苑殿の護衛として同行しました。」
一呼吸置き、彼は言葉を続けた。
「……そして、綴る者・遥花より伝言を預かっています。」
恭弥の眉がわずかに動く。
陽路はまっすぐ視線を向けた。
「代理を頼むことになって、申し訳ない——どうか、そう伝えてほしいと。」
一瞬の沈黙ののち、恭弥は静かに微笑んだ。
「……なるほど。確かに承りました。
彼女が気に病むことではありません。この里を守るのもまた、私の務めですから。」
その言葉には、叱咤でも慰めでもなく、ただ自然な重みがあった。
陽路は胸の奥の緊張をわずかに解き、深く頭を下げる。
「ありがとうございます。必ず本人に伝えます。」
にっこりと浮かべる笑みは、初対面の緊張を溶かすように穏やかで。
その佇まいは威圧とは無縁、しかし不思議と「この人になら任せてよい」と思わせる落ち着きを纏っている。
その足で久方ぶりに実家へ。
玄関先で母が目を見開き、すぐさま台所へ駆け込む姿がある。
「陽路、お帰りなさい。泊まっていくんでしょう?ご飯も布団も——」
慌てる母に、陽路は手を上げて制した。
「すまない、母上。長居はできない。……篝火の里へ向かわなくてはならないんだ。」
その言葉に、静かにうなずく。
そして彼は、ふと口を開いた。
「母上。俺にできることは少ないです。何か、遥花様のためになることを教えてくれませんか。」
母は懐かしむように微笑み、しかし言葉は厳しく。
「鍛錬は時間も大事だけれど、質をおろそかにしてはいけません。歩くときでさえ敵に追われているつもりで進みなさい。それが従者として備えるべき姿です。」
陽路は真摯にその言葉を受け止め、深く頭を下げた。
天響の里を発った陽路は、母の言葉を胸に刻みながら道を急いだ。
「敵に追われているつもりで進め」——その助言どおり、一歩ごとに緊張を解かず、周囲の気配に耳を澄ませながら。
山道は細く、ところどころ崩れかけた石段や、朝露で滑りやすい岩場もある。
それでも陽路の足取りは乱れない。従者として培ってきた感覚を研ぎ澄ませ、ただ前を見据えて歩を進める。
やがて空気が変わった。
森を抜けると、淡い橙色の灯りが遠くに揺れているのが見えた。
篝火の里——その名のとおり、焔を象徴とするこの地は、夜になると無数の篝火が灯され、闇を払うように里を囲むという。
「……着いたか。」
息を整えながら立ち止まり、陽路は目を細めた。
炎の明かりが揺らめくたび、道中の疲労よりもむしろ緊張が増していく。
一歩、また一歩と近づくごとに、焔の明かりは大きくなり、やがて里の門が姿を現した。
見張りの兵に名を告げると、陽路はすぐに迎え入れられる。
篝火の里の熱を孕んだ空気が、全身を包んだ瞬間。
彼の胸は、これまでの道のりとは別の鼓動で高鳴っていた。




