道中③
朝の空気は澄み渡り、里を包む木々の葉が風に揺れていた。
久遠の苑の鳥居の前。遥花と悠理が揃って旅立ちの支度を整える。
燈子が前に出て、柔らかく微笑む。
「……よくここまで修めたわね、遥花。舞も、詞鏡の扱いも。まだ道の途中だけれど、あなたの歩みは確かに“綴る者”としてのものよ。」
遥花は胸の奥がじんと熱くなる。
言葉にならず、ただ深く頭を下げるしかなかった。
燈子の隣で家族たちも手を振る。
「遥花様、気をつけて!」
「また舞を見せてくださいね!」
悠理はその光景を静かに見つめていたが、やがて一歩前に出て言った。
「……心配はいらない。俺がいる。」
その一言に、燈子は目を細める。
「頼りにしているわ、悠理。――遥花を、お願いね。」
鳥居の前で立ち止まり、遥花はもう一度里を振り返った。
守られ、導かれた日々。
そのすべてを胸に抱きながら、彼女は深く息を吸い、歩みを進めた。
二人は並んで里の門を抜ける。
朝靄の向こう、篝火の里への道がまっすぐに続いていた。
霧の濃い山道を並んで歩く二人。
沈黙の中、不意に悠理が口を開いた。
「……遥花が覚えていないのも無理はないが。昔はもう少し話していた。」
遥花は驚きに目を見張る。
「……本当?」
悠理は視線を逸らしたまま、淡々と続けた。
「封印の所作の練習をしていただろう。……それを、俺に見せに来ていた。」
遥花は目を丸くする。
「私が……悠理に?」
「そうだ。『ここまでできた』と、誇らしげに。」
一瞬だけ口元が和らぐ。
「俺は何も手を貸してはいない。ただ黙って見ていただけだが……嫌いではなかった。」
遥花は言葉を失う。
その声音はいつも通り冷静なのに、僅かに滲む温かさが胸に刺さった。
「……私、そんなふうにしていたんだね。」
遥花は小さく呟き、胸の奥が熱くなるのを覚える。
悠理はそれ以上何も言わず、前を向いた。
ただ、その横顔がどこか柔らかく見えて、遥花は視線を逸らせなかった。
やがて霧の向こうに、篝火の赤が揺らめき始める。
悠理が足を止め、短く告げた。
「着いたぞ。……お前を待っている人間がいる。」
篝火の灯りが幾重にも揺れる里の入口。見覚えのある背が、遥花の視界に飛び込んだ。
そこに立っていたのは、一人の青年だった。
「……遥花!」
駆け寄ってきた陽路の姿に、遥花は一瞬言葉を失った。
以前と変わらぬ人懐こさを宿した瞳。けれど、その肩幅や腕の厚みは、記憶にあるものよりもずっと逞しくなっている。
驚く遥花の様子に気づいたのか、陽路は照れくさそうに後頭部をかいた。
「……まあ、色々あったからな。ちょっとは鍛えられたかも。」
その声音に気負いはなく、ただ静かに積み重ねてきた日々を滲ませていた。
駆け寄ってきた青年は、懐かしい声と笑顔をそのままに——陽路だった。
感極まったように笑う陽路の声に、遥花の胸は一気に熱くなる。
「陽路……!」
言葉がこぼれた瞬間、二人の距離は一気に縮まった。
その様子を少し離れた場所から見守る悠理。
静かな眼差しの奥に、誰にも気づかれぬ微かな揺らぎが宿っていた。




