悠真の綴る者
長老に案内され、奥まった一角にある建屋の戸をくぐる。
中は整理されているのか散らかっているのか分からぬほど、巻物や書板が山のように積み上げられていた。墨の香りと乾いた草の匂いが鼻をくすぐる。
「伊吹、客人だ」
長老が声をかけると、奥から布をかぶったまま転がるように男が現れた。
「んー……客? あぁ……えっと……」
ぼさぼさの髪に眠たげな目。だるそうに片手を振ったかと思えば、机の上の巻物に目を落とし、にやりと笑う。
伊吹は背を伸ばすこともなく、机に頬杖をついたまま遥花をじろりと見た。
「あぁ遥花か。……瑞穂の詞を封じたんだって? 記憶がないくせに、面白い。いや――実に、面白い」
遥花の胸にまたざわりとした違和感が広がる。
――どうして? 話してもいないのに。
楓が横から「伊吹様、いきなりそういう言い方は……!」と慌てて止めに入るが、
急に目が輝いたかと思うと、早口で言霊の構造やら揺らぎの特徴やらを語り出す。
遥花と陽路はぽかんと口を開けたまま視線を交わした。結局遥花の疑問は拭えないままだった。
「もう伊吹様!」
後ろから鋭い声が飛ぶ。すらりとした体躯の女性で、腰にはクナイと短剣を佩いている。
「いきなり専門用語を並べてどうするのですか。まずは挨拶をなさってください!」
「いってぇっ!」
楓に頭を小突かれた伊吹は、不満げに眉をしかめながらも仕方なく口を開いた。
「……悠真の綴る者、伊吹だ。で、こっちは従者の楓。見てのとおり世話焼きで口うるさい女だ。」
「誰が世話焼きですか! 伊吹様がだらけてばかりいるから仕方なくでしょ!」
楓は腰に手を当ててぷんすか怒っているが、その目は伊吹のことをよく知っている者のそれだった。
陽路が小声で囁いた。
「……なんだか、瑞穂の結芽様と颯真殿とはまた違った雰囲気だな。」
遥花は苦笑しながらも頷いた。
伊吹の掴みどころのなさと、楓のきびきびとした態度。どこか安心できるような、奇妙に頼もしさを感じる組み合わせだった。
長老は咳払いをして場を収める。
「……まぁ見ての通りだ。だが伊吹はここぞという時には必ず力を示す。おぬしらも学ぶことは多かろう。」
遥花は一歩進み、深く頭を下げた。
「遥花と申します。至らぬ身ですが、どうか力をお貸しください。」
伊吹は欠伸をひとつ。
「んー……まぁいいさ。退屈は嫌いだしね。君たちがどこまでやれるのか、ちょっと試させてもらおうじゃないか。」
楓が呆れたように額に手を当てる。
「……はぁ、またそんな言い方をなさって。」
だが、その頬がほんのわずか赤らんでいることに、遥花は気づかなかった。




