道中②
山道を抜け、風に揺れる木々の音を背に歩きながら、遥花はふと口を開いた。
「結芽は……明るくて、頼れるお姉さんって感じだったね。」
陽路は歩調を緩め、隣の遥花に視線をやる。
「あぁ。結芽様は、どんな場面でも迷いなく行動できる。綴る者としても、人としても強いお方だ。」
「颯真も、すごく真面目で。陽路に弟がいたら、あんな感じなのかも。」
遥花が笑みを浮かべると、陽路は一瞬言葉を失ったように目を瞬かせ、やがて小さく笑った。
「……弟、か。そう見えたか。彼は結芽様を支えるために、どんな時も冷静に立ち回る。確かに、見習うべきところが多いな。」
少し照れを含んだ声音に、遥花の心が温かくなる。
しばらく沈黙が続いたのち、遥花がふと思い出したように口を開く。
「そういえば……悠真の里の綴る者って、どんな人?」
陽路の表情がちょっと崩れる。
「悠真の綴る者は、伊吹様。・・・言霊について非常に知識が豊富な方だ。」
「へぇ……すごそう。」
「まぁ・・・うん。そして従者の楓殿は女性だが、武の腕は里でも随一。伊吹様を守る盾であり矛でもある。悠真の里の者たちにはとって、大きな憧れの存在だろうなぁ。」
遥花は興味深そうに頷き、心の奥に小さな期待が芽生える。
(知識豊富な綴る者と、武に優れた従者……どんなことを学べるだろう。)
その夜。野営の火を囲み、二人は静かに腰を下ろしていた。
薪がぱちりと弾ける音だけが響く。
遥花は膝に手を置き、少し迷ったあと、そっと口を開いた。
「ねぇ、陽路……悠真の里のことは少し分かったけど……私、陽路のことももっと知りたい。」
その言葉に、陽路の瞳が揺れる。
「……俺の、こと……?」
「うん。従者としてじゃなくて、陽路自身のこと。私、まだ全然知らないから。好きなものとか、得意なこととか。」
陽路は一瞬きょとんとして、すぐに困ったように視線を逸らした。
「……俺のことなんて、特別話すようなものはないよ。」
「えー、そんなことないでしょ。小さい頃から頑張ってきたって、結芽から聞いたもの。……ね? 教えて。」
遥花が少し身を乗り出すと、陽路は観念したように息を吐いた。
「……そうだな。食べ物で言えば……温かいものが好きだ。特に、母がよく作ってくれた芋粥は、今も懐かしく思い出す。」
「芋粥……いいね。陽路、甘いものは?」
「……嫌いじゃない。けど、多くは好まない。ただ……祭りのときに食べた蜜団子は、少し特別に感じたな。」
「ふふ、意外と可愛いところあるんだ。」
「からかうなよ。」
陽路が眉を寄せるが、耳がほんのり赤く染まっているのを遥花は見逃さなかった。
「他には?」
「……得意なことは……刀の稽古くらいだ。あとは……」
少し考えてから、ぽつりと続ける。
「鳥の声を聴き分けるのは、人より得意かもしれない。」
「鳥の声?」
「ああ。幼い頃から野で稽古をしていたから。……今も、囀りを聞けば季節や天候を測る手がかりになる。」
焚き火の明かりの中で、陽路の横顔は少し誇らしげで、それを見つめる遥花の胸がまたじんわり熱を帯びていった。
「……鳥の声を聴き分けるなんて、すごいよ。そういうところ、本当に頼もしいな」
遥花が心からの声を洩らすと、陽路は思わず目を瞬いた。
「頼もしい、か……。そんなふうに言われたのは、初めてだ。」
「え? そうなの?」
「俺はずっと“従者”として、誰かの隣に立つことばかり意識してきたからな。……でも、遥花にそう言われると……なんだか、嬉しい。」
焚き火のぱちぱちという音に紛れて、陽路の声は少しだけ掠れていたが、優しい眼差しで遥花を見つめた。
その笑顔を見つめながら、遥花の胸に温かさと恥ずかしさが広がる。
陽路も、ふと自分の鼓動の早さに気づき、慌てて視線をそらした。
(……しまった。これじゃまるで、想いを告げているみたいだ。)
火の粉が夜空に弾ける。陽路は咳払いをして、ぎこちなく話題を変えた。
「……そ、それより。異界にいたときは……どんなふうに過ごしていたんだ?」
「え?」
「食べ物とか……住む場所とか。俺たちの世界とは、ずいぶん違ったんだろう?」
不器用に向けられた問いかけに、遥花は小さく笑った。
遥花は火を見つめ直しながら、少しずつ異界での暮らしを語り始めた。
陽路は静かに、けれど胸の奥の想いが熱を宿すのを感じながら、穏やかな声で語られる異界の様子を聞いていた。




